法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

比較政治の専門家なら「狭義の強制連行」という概念を1991年以前に反映できないことは指摘できるはずではないか

先日に、金学順証言を植村隆氏が報じた「当時の段階」において、はたして「挺身隊」と「慰安婦」が日本で区別できたのだろうかという疑問を書いた。
hokke-ookami.hatenablog.com
同じように、「連行」という表現が当時において必ず「強制連行」と読解され、なおかつ日本軍による直接的な奴隷狩りと必ず解釈されたかという疑問がある。


まず「狭義の強制連行」という言葉は1992年に初めて確認されていて、同年に批判されたことがわかっている。
雑誌『諸君!』で秦郁彦氏が初めて文章にして、それを受けるように吉見義明氏が同年の『従軍慰安婦資料集』で「広義の強制連行」を示した。
「狭義の強制連行」とはどういう意味? - 河野談話を守る会のブログ2

1992年9月号の「諸君!」の中で秦郁彦はこう書いている。

官官憲の職権を発動した「慰安婦狩」ないし「ひとさらい」的連行(かりに狭義の強制連行とよぶことにする)を示唆する公式資料は見当たらないというのである。

この文章は、1993年3月5日の『昭和史の謎を追う』下巻p.338にもちゃんと収まっている。
これに対して吉見教授は、92年11月の『従軍慰安婦資料集』で以下のように反論した。

一般には、強制連行というと人狩りの場合しか想定しない日本人が多いが、これは狭義の強制連行であり、詐欺などを含む広義の強制連行の問題をも深刻に考えてしかるべき

2014年の朝日検証でも「強制連行は使う人によって定義に幅がある」として、対立する一方の意見として1992年の秦主張が引かれている。
強制連行 自由を奪われた強制性あった:朝日新聞デジタル

慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

1992年より前に強制連行を狭義や広義で論じる文章は見つかっていないらしい。
念のため、熱心にさがせば存在する可能性もあるし、文章以外の議論でもちいられていた可能性もある。また奴隷制がそうであるように、最も激しい被害だけが一般の印象に残るのかもしれない。
しかし「強制連行」という言葉が人狩りに限定されるという固定観念は、その言葉の誕生から実際の用例まで見れば、明らかに誤りだ。


まず1965年という初期に歴史用語として「強制連行」をつかった朴慶植朝鮮人強制連行の記録』からして、末期の「徴用」に限定せず動員の強制性を見いだしていた。
朝鮮人強制連行 外村大研究室

朴慶植は、動員の実態について研究を進め、事実を正確に、かつ問題の本質を明確に伝えるために適当な語として「朝鮮人強制連行」を使用したのである。つまり、「朝鮮人強制連行」の語には、「日本帝国主義のために、同じように苦しみをうけていたとはいっても、まったく同じ苦しみではない。そこには民族的な支配と被支配の関係があった」(『朝鮮人強制連行の記録』一二~一三頁)ことや、「募集」なり「官斡旋」、「徴用」といった語を行政当局側は使用するが、実態としてみた場合、いずれもかわらない暴力的なものであったことを明確にするという意味が込められていたと見ることができる。

日本軍慰安所制度にかぎっても、吉田清治証言以前の1975年の新聞配信記事からして、騙されて集められた事例を「だまされ強制連行『慰安婦』に」という見出しで報じていた。
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慰安婦募集における「人狩り」のイメージを作ったとされる吉田清治証言にしても、1983年の著作を読めば、軍令や暴力を強制連行の必要条件にしていなかった。
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1990年の国会において、野党議員が「一九三九年から一九四一年までの間、企業が現地へ行って募集したのは強制連行とは言わぬのですか」と政府に問いただしていた。
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「強制連行」を狭義の人狩りとだけ解釈するのは、解釈した側が誤りだろう。当時にきちんと調べれば、業者が募集する事例なども「強制連行」と呼んでいいことは明らかだ。
つまり、1991年に書かれた植村隆氏の記事は、業者に騙されて動員されたという証言であっても……いやだからこそ「強制連行」と表現することに何の問題もなかった。
それでも植村氏はだまされたという証言の具体性を優先して記述し、用語解説でも強制をつけない「連行」という表現にとどめて記事を書いた。


この「強制連行」という表現のあつかいについて、比較政治専門家として木村氏と共著もある浅羽祐樹氏への不信感がある。
浅羽氏は著作で「強制連行はなかった」という主張に対して、「いちいちもっとも」と評して事実認識から批判しなかった。現在の争点ではないと指摘しただけ。
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後年にシノドスの鼎談記事を読んでも、浅羽氏のもっている「強制連行」概念が後づけの狭義にひきずられている印象を持たざるをえなかった。
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木村氏は、後づけされた概念で非難する態度をとがめるか、概念が後づけではないことを論証して先行研究を否定できるだろうか。まさか「贔屓の引き倒し」*1はすまいと、普段の言説から期待したい。
そして何より、不当な誹謗中傷をつづけられている植村隆氏について、この一件だけでも研究者として歴史用語の事実関係を指摘してほしいと願っている。

*1: