法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

植村隆インタビュー詳報において、産経側の主張が自壊していくまで

朝日の検証において、植村氏の取材がどこまで明らかにされ、どのように批判への反論がされたか。
産経の要約において、植村氏のインタビューがどれほど矮小化されているか。
産経の詳報において、植村氏がどのように疑問に応じて、結果として産経の不勉強をあばいたか。
産経の検証において、植村氏に産経が求めた誠意と比較するとどうか。
それぞれ順番に見ていこう。

朝日検証

大前提として、2014年8月5日に出された朝日検証の時点で、植村氏はコメントをよせていた。
慰安婦問題を考えるに関するトピックス:朝日新聞デジタル
デジタル版の各項目は消えてしまっているが、第三者委の報告発表にあわせて紙面掲載版が公開されている。
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014080516.pdf
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014080517.pdf
その「「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない」という項目において、取材過程が1993年に雑誌で公表されていたことも紹介されていた。
ちなみに朝日検証で批判が過熱した後も、植村氏は東京新聞文芸春秋において自論を公表し、講演や訴訟もおこなっている。
つまり産経インタビューまで植村氏が隠れていたかのような認識は、土台から誤っている*1


産経がインタビューした植村氏の主張も、基本的には朝日検証の延長である。
それなのに産経側は植村氏を追及するどころか、ただ過去の自社記事を指摘されただけで批判の矛先がにぶっていく。
それどころか産経側がもちだした情報が、植村氏の指摘で産経にはねかえるばかり。
植村批判の大半が詭弁であることと、想像以上の産経側の不勉強ぶりが、このインタビューで明らかにされたのだ。

産経要約

まず8月3日にインタビューの要約記事が公開された。
【朝日新聞慰安婦誤報取り消しから1年】元朝日記者・植村隆氏にインタビュー 「テープ聞いたの一度だけで記事書いた」(1/6ページ) - 産経ニュース
しかし6分割された長文の要約記事において、インタビュー部分はほとんどない。6分割された記事の3ページ目まで、過去記事を撤回した2014年8月5日の朝日検証や、第三者委や独立検証委による朝日批判を紹介している。
植村氏のコメントが登場するのは後半の4ページ目、それも末尾になってから。

植村氏はこの記事は韓国挺身隊問題対策協議会で一度だけ聞かせてもらったテープをもとに同会から背景説明などを受けて書いたと説明。テープについて「僕は持っていない」と語った。テープを聞いた時点では、女性の名前は知らされなかったという。「女子挺身隊」という言葉が出てきたかどうかに関しては「定かじゃない」と答えた。

しかもコメントへ反論したいかのように、争点をそらす記述が5ページ目に書かれつづける。

 朝日新聞は昨年8月の検証記事で、金氏が挺身隊の名で連行されたかどうかについては見解を示さなかった。その後、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」との「おことわり」をデータベース上に追記。事実上、誤報を認めた。

しかし植村氏のコメントに反論したいなら、争点にするべきは「金氏が挺身隊の名で連行されたかどうか」ではなく、どのように金氏が証言したかであり、当時の知見において妥当な説明になっていたかである。
実際は朝日検証に「「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視」という項目があった。その項目は金学順証言の項目「「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない」でも援用されている。
はてなブックマークですら、朝日新聞が同一視の原因になったかのような誤読に満ちあふれていたが*2朝鮮半島では朝日報道のはるか前から挺身隊と慰安婦が混同されていたことや、日本国内の専門書籍でも長らく同じ説明がされていたことが指摘されていた。
要約記事における植村氏のコメントは、他に5ページ目末尾と6ページ目末尾だけ。

 植村氏は第三者委の指摘について「強制的に連行されたような印象を与えるということだが、印象ではなく『強制連行』(という表現)で伝えているメディアがあることにも触れてほしかった」と語った。「植村が捏造記者じゃないことが報告書からも分かる。そこを強調したい」とした。

植村氏の韓国人の義母は当時、金氏らを原告とする賠償訴訟を支援した太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部だった。植村氏は「結婚する前からずっと、この問題を取材してきた。別に家族のために書いたわけじゃない」と述べた。

こうしたコメントに対して、第三者委ではなく独立検証委の「金さんが、吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのような錯覚を作り出すのに、大きな役割を果たした」という評価を引く。
独立検証委の報告は多くの問題をかかえていたと思うが*3、まったく無批判で援用しつづける。これではインタビュー記事というより、独立検証の紹介記事に植村氏のコメントが付属しているだけだ*4

産経詳報

そして8月29日にインタビューの詳報記事が全10回かけて公表された。
インタビューをおこなったのは阿比留瑠比編集委員と原川貴郎記者。
この詳報により、要約で隠されていた産経側の不勉強ぶりが明らかになった。


まず詳報(1)*5で、本題に入る前に、植村氏が取材にこたえていないという誤解がとかれる。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(1)】「阿比留さんだからと逃げることはない」(1/8ページ) - 産経ニュース

植村「いや、あのねえ、去年の10月くらいに申し込まれたことは一度あって、その時は書面回答させていただいて、対面取材はなかったですよね。それで1月9日に阿比留さんとお会いして、『どうぞ』ということだったんですけど、その後は申し込みはなかったですよ(注:植村氏は1月9日に文芸春秋と東京基督教大の西岡力教授を相手に損害賠償と謝罪記事の掲載などを求める名誉棄損訴訟を起こし、その後に記者会見した)」

阿比留「その後は植村さんにスポットをあてる理由が特になかったものですから、申し込んではなかったと思いますけれど。そういうわけでですね、せっかく植村さんにお話いただけるならば、今までわれわれが疑問に思っていた点も説明していただければお互いすっきりするかなあということです」

産経は、国内メディアの取材をすべて拒否しているという記事については謝罪したが、それでも産経のインタビューには答えていないと主張していた*6
しかし植村氏が産経からも逃げつづけていたわけではないことを、このインタビューで阿比留氏も認めたようだ。


詳報(2)では、植村氏が「連行」という表現を使ったことを、吉田清治証言に似たような印象を生んだと主張する。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(2)】「『強制連行』僕は使っていない」(1/8ページ) - 産経ニュース
しかし植村氏が示した西岡力氏の論文で、いきなりつきくずされる。くわしく報じなかったことを批判する文脈で、「連行」という表現をもちいていたのだ。

植村「連行のところ、まあこれからまたちょっと議題全体でいいんですけど。例えばね、産経の正論の筆者の西岡(力・東京基督教大教授)さんという人が、連行という言葉について、ここにこういうふうに書いているんですよ(論文集の中を示して読み上げる)『朝日に限らず、日本のどの新聞も金さんが連行されたプロセスを詳しく報ぜず、大多数の日本人は当時の日本当局が権力を使って、金さんを暴力的に慰安婦にしてしまったと受けとめてしまった』とある。この場合の連行というのは、原川さんどういう意味ですか。強制連行の意味ですか」

阿比留氏は「個別具体に見ないとこれだけじゃちょっと分からない」としかいえず、原川氏も「どこかに連れて行かれた」と西岡論文を解釈し、植村氏の表現を否定できないことを認めてしまった。
さらに植村氏は、産経も1991年の金学順報道で「強制連行」の記述があることを指摘した。その産経記事を阿比留氏は間違っていると評価したものの、自社が訂正したかどうかも把握していなかった。

植村「一つお聞きしたい。そうしたら、阿比留さん、この記事はどう読む?(平成3年12月7日付の産経新聞大阪本社版記事を示す)」

阿比留「これは今日、初めて見ましたから訂正したかどうかはちょっと分かりません」

原川「私、初めて見ましたので、どういう経緯でこうなったか、どこまで調べられるか。これはちょっと日付をメモさせてもらって」

そもそも朝日検証でも「他紙の報道は」という項目で、1993年にも産経新聞が吉田証言を報じて「強制連行がなかったともいえない」と記述していたことが指摘されていた*7。「強制連行 自由を奪われた強制性あった」という項目でも、河野談話で「強制連行」を認めたと産経が報じていたことが指摘されていた。
かつて産経側も「強制連行」という表現をつかっていたことくらい把握していると思ったが、そのような準備もまともにしないままインタビューしたらしいことに驚かされた。


この「連行」という表現は、詳報(7)で改めて争点となる。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(7)】「大学には娘を殺すという攻撃があった」(1/8ページ) - 産経ニュース

原川「ただ、その、このだまされたというこの日本語ですよね、だまされたという言葉と連行という言葉を同時に使うのは日本語の日常の用語法上、両立しないという指摘だと思うんですけど」
植村「ああ、そうなんですか。ま、それは僕はちょっとね、分からないんだけど。ま、僕が日本語の専門家じゃないわけですけれども、別に、先ほど言った西岡(力・東京基督教大教授)さん(の過去の論文)でね、『連行されたプロセスを』ということで、これはプロセスが、あるいは人身売買だったかも分からんし、だまされたかも分からんし、強制連行かも分からんと。戦場に連れて行かれたという意味で私は書いたわけで、それがそういう意味で書いたということを繰り返したい」

「僕が日本語の専門家じゃないわけですけれども」で終わるようトリミングした批判も見られるが*8、しっかり植村氏は根拠を出し、主張も明快だ。
それどころか、後段で植村氏から問われた阿比留氏が、「強制連行」は「広い意味」と「狭い意味」があるからわからないと言葉をにごす。

植村「で、金学順さんは強制連行で慰安婦になったんですか」

阿比留「それは分かりません。強制連行、先ほど一番最初に、広い意味でいうのと、狭い意味と」

産経側は「連行」という言葉をせまくとらえることしか考えられないのに、「強制連行」という言葉はひろくとらえられるという。基準がおかしいとしか考えられないが、これは植村氏への要求に産経自身が遠く及ばないためだろう。
植村氏は基本的に「連行」という表現をもちいていたが、産経などは「強制連行」という表現をもちいた。河野談話報道でも、朝日は「強制連行」という表現をつかわず、産経は「強制連行」という表現をつかった。よく批判されがちな論点において、たいてい朝日は他紙よりも慎重だったのだ。
そもそも金学順報道は、だまされて慰安婦にされたという証言をつたえたものだ。つまり朝鮮半島において官憲の直接的で暴力的な連行はなかったと、いちはやく修正したひとりが植村氏だったといえよう。
証言が証拠になるからこそ、朝鮮半島における慰安婦募集で、「狭義の強制連行」以外の手段が主流だったと判明した - 法華狼の日記

事実として、1990年初頭に被害者証言が広く集められたことで、慰安婦制度の全体像が判明していった。吉田手記という一人の証言に依拠する必要はなくなったのだ。

実名で初めて名乗り出た1991年の金学順証言も、人身売買によって従軍慰安婦にされたという内容であった。証言が証拠となるからこそ、「狭義の強制連行」が主流でなかったことが判明したわけだ。

植村氏よりも慎重さに欠けていた産経が、植村氏が先につたえた認識にもとづいて、その初報を批判して個人攻撃する。恥ずかしいとは思わないのか。


前後するが、詳報(5)では元朝日新聞記者の前川氏から、植村氏の売り込み記事だったという証言をもちだす。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(5)】「金学順さんに会ったのは、弁護士聞き取りの同席の時だけ」(1/8ページ) - 産経ニュース

阿比留「分かりました。それでじゃあ、一応これも、ハッキリさせておきたいので、(元朝日新聞ソウル特派員の)前川恵司さんが当時の植村さんの担当デスク、大阪本社担当デスクに取材した。そしたら、(1991年12月25日の記事は)植村氏からの売り込み記事だったと。『彼は義母が遺族会の幹部であることを言わなかったし、私も知らなかった』と」

植村「売り込みとかじゃないですよ。で、そのデスクの根拠って何か、産経新聞として前川さんのデータ以上にあるんですか。独自に」

阿比留「ないです。いや、だから確かめているわけですね。(当時の担当デスクは)義母が遺族会の幹部であることを言わなかったし、私も知らなかった、と」

しかし前川氏ひとりしか証言がなく、デスク自身の証言すら確認していないので、あっさり植村氏に否定された。
そもそも初報時の遺族会と挺対協は対立していた。挺対協からの取材に特別な便宜がはかられたことは考えにくいし、事実として直後に北海道新聞が詳報をぬいてしまった。この経緯が雑誌でくわしく書かれていたことは、先述したように朝日検証で紹介されており、第三者委も産経詳報も否定できていない。


そして詳報(8)で阿比留氏は吉田清治証言をもちだすが、その報道は植村氏と関係ないどころか、初報は前川氏によるものと指摘されてしまう。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(8)】「朝日の侵略戦争の反省を伝えようという作業に誇り」(1/6ページ) - 産経ニュース

阿比留「まあ、大きなところでは分かりました。ただ、吉田証言を18本取り消すなどですね…」

植村「それは、僕、ちょっと記事を書いてないんで、書いた人に聞いてください。多分、前川(恵司)さんなんかも…。前川さんと交流、ありますよね」

阿比留「多少あります」

植村「じゃあ前川さんの記事も、多分12月に取り消されているんで。それで、僕の記憶では前川さんの記事が一番、最初だったと思うんですよね」

先に前川氏との関係を語ったため、先に聞くべきではないかと指摘されるのも当然だ。裏取りするように要求してきたインタビューにおいて、自身が容易にできる裏取りすらしていないことを露呈してしまった。ただの不勉強ではない、選択的に証拠を集めようとしたゆえの自滅といえるだろう。
ちなみに植村氏自身が吉田証言そのものを報じたことはないが、1997年に済州島で「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」という調査報告をあげて、朝日新聞の特集に反映されたことは、詳報(6)で言及されている*9。つまり金学順記事をふくめて、植村氏は吉田証言に反する方向の、むしろ現在の通説に近い報道をしてきたわけだ。


この後も、詳報(9)で慰安婦20万人説という誤解が広まっていると産経側が問いかける。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(9)】「捏造記者というと名誉棄損になると訴えたかった」(1/4ページ) - 産経ニュース

原川「強制的に慰安婦にさせられた、その人たちが20万人にものぼるという誤解がその世界に広がっていますけれども。こうした誤解について植村さんは慰安婦問題に取り組まれた方としてどのようにお考えなんですか」

しかし植村氏が、欧米の研究者による声明*10でも人数は確定できないと書かれていることを指摘する。

植村「あの〜、僕はこれを言うと水掛け論になるから言わないけど、最近、米国で187人の歴史研究者らの声明というのがありましたよね。ごらんになったと思うんだけど、そこにまさにその答えが出てる。ちょっと、これを読ませていただくと、『慰安婦の正確な数について、歴史家の意見は分かれていますが、恐らく、永久に正確な数字が確定されることはないでしょう。確かに、信用できる被害者数を見積もることも重要です。しかし、最終的に何万人であろうと何十万人であろうと、いかなる数にその判断が落ち着こうとも、日本帝国とその戦場となった地域において、女性たちがその尊厳を奪われたという歴史の事実を変えることはできません』と書いていますね。つまり数の問題。まさか、300人とか400人レベルとは思っていないよね? 慰安婦って、いないんですか?」

これはただ確定できないから20万人を誤解と断言できないという指摘にとどまらない。
少なくとも世界的な研究者の共通認識として、20万人説がひろがっていないという指摘である。
そして、そうした数字を争って矮小化しようとすること自体が世界的に批判されるという指摘である。

産経検証

最後に、詳報(10)において植村氏が産経と朝日の共同取材を提案し、阿比留氏はひとりの一存では決められないと応じた。
【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(10)止】「『歴史戦』やるなら被害者の証言も聞いてほしい」(1/6ページ) - 産経ニュース

阿比留「相手側に誠意があればこっちは構わないです」

植村「いやははは。朝日の連中は相手方に誠意があればとかいうと思うんだけど。多分、朝日の現場の記者たちとこんな、こう違うじゃないかってあんまりやり合わないでしょ」

ところで産経側の誠意だが、詳報(2)で言及された植村氏の指摘を受けたためか、8月4日に「本紙も過去に使用」という記事を出していた。ちょうど要約記事を掲載した翌日だ。
「強制連行」「挺身隊」 本紙も過去に使用 - 産経ニュース

 平成3年9月3日付「朝鮮人慰安婦問題を考える 大阪市立労働会館で集い」▽同年12月7日付「日本政府は謝罪を 従軍慰安婦で提訴の金さん」▽5年8月31日付「屈辱 人生問い実名裁判」−の3本(いずれも大阪本社版)です。

もちろん「産経新聞は、金氏も含め強制連行を裏付ける証拠はないとの認識に基づいて報道しています」と末尾で主張しただけで、記事自体の訂正はおこなっていない。
これが植村氏の指摘に応じた記事ということも明記されていないし、詳報記事へのリンクも見当たらない*11。取材過程をつまびらかにし、謝罪こそしないまでも自発的に訂正をおこなった朝日検証に、質も量も遠くおよばない。


もちろん、過去に自紙がどのような報道をおこない、現在ではどのように見解が変わったか、それを記事として明記するだけでも本来ならば意義はあるだろう。一種の検証ではあるし、事実上の訂正とみなすこともできる。
しかし朝日検証を批判した基準を適用するならば、この産経検証を高く評価することは難しい。それとも、朝日検証に求められた誠意を産経検証に求めてはならないのか。

*1:はてなブックマーク - 植村隆記者による従軍慰安婦報道は、表現の慎重さにおいて頭ひとつ抜けていた - 法華狼の日記で「で、その初動の「混同」から30年撤回・修正しなかったのは何故なんですか? 申し訳ないですがどう私への反論が出来てるつもりなのか全然わかりません。補足エントリを期待します。」とコメントしているid:ketudan氏だが、「主犯が別に居るならゴニョゴニョ言わず名指しした方がいいと思う」という自身のコメントが引用されているのが見えないのだろうか。

*2:はてなブックマーク - 「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタルid:imakita_corp「「挺身隊」の鉢巻をして軍需工場などで勤労奉仕する女学生の映像は戦争ものドキュメントでよく見られたし朝日の記者が混同する理由が未だによく分からん。韓国の混同を意図を以って輸入・利用したんじゃないかねとも」やid:Baatarism「それでも韓国の慰安婦団体は「挺身協」を名乗り続けるんだろうな。これも国際的に悪影響を与えた誤報です。」など。

*3:「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」の報告書は、検証のふりすらできていなかった - 法華狼の日記

*4:実際に詳報(1)で「いわゆる一般記事の中でご見解とかご発言を引用させてもらうのと、あとおそらくそれでは全て盛り込めないでしょうから、その部分は別途、その一問一答形式とかですね」と阿比留氏が発言しており、「植村隆氏にインタビュー」という要約記事のタイトルは実態を反映していないと考えるべきだろう。

*5:以下、各詳報記事ごとに「詳報(数字)」と表記する。リンクは分割1ページ目におこない、分割された別ページから引用する場合は省略する。

*6:植村隆記者による従軍慰安婦報道は、表現の慎重さにおいて頭ひとつ抜けていた - 法華狼の日記

*7:詳報(8)でも植村氏によって言及される。

*8:Hazama Hisatake on Twitter: "植村隆インタビュー詳報7http://t.co/2eST8Xm5XH 「騙されたという言葉と連行という言葉・・日本語の日常の用語法上両立しないという指摘」 植村「ああ、そうなんですか。ま、それは僕はちょっとね、僕が日本語の専門家じゃないわけですけれども」この人、元新聞記者でしょ?"Hazama Hisatake on Twitter: "例えば、ダンサーの募集広告を見てフィリピンから来日した女性が、風俗で働かされたといったケース、これを「連行」と言う日本人はいない。日本生まれの在日だってこんな言い方は絶対しない。"とツイートした[twitter:@Hazama_Hisatake]氏の評価等。

*9:【元朝日新聞・植村隆氏インタビュー詳報(6)】「意に反して日本軍の性の相手をさせられたというところをずっと書いている」(1/7ページ) - 産経ニュース

*10:従軍慰安婦問題において、勇気ある歴史家への支持が国外から表明されたということ - 法華狼の日記で紹介したが、歴史研究者というより政治学などもふくむ日本研究者という説明が正確か。

*11:関連ニュースに要約記事へのリンクも出てくるが、これは機械的なものだろうし、そもそも要約記事には産経への指摘が記述されていない。