法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『呪怨 終わりの始まり』

 児童虐待のうたがいで佐伯家へふみこんだ児童相談員が、とんでもないものを発見する。学級担任となった女性教師が、不登校の児童がいるらしい佐伯家へむかい、その前後から女性教師の周囲に異変が起きるようになった。さらに佐伯家へ度胸試しで侵入した女子学生たちも恐怖へ直面するようになり……


 人気ホラーシリーズの続編としてつくられた2014年の日本映画。『催眠』等の落合正幸が監督と脚本をつとめ、Jホラーをプロデューサーとして牽引した一瀬隆重が共同脚本。

 シリーズをたちあげた清水崇も原案や監修としてクレジット。しかし同時期の別作品インタビューで話をふられ、「僕の手から強引に剥ぎ取られたシリーズ」*1とコメントしたような立場だったらしい。


 カメラを微妙に動かしたりと全体的に清水崇の原典より予算をつかっているようだが、その大半が恐怖を減じさせる方向にはたらいている。屋根裏が汚していない白木なので、わざわざセットを作っているのがバレていることも鼻白む。
 シリーズのセルフパロディ的な恐怖描写が、よりによって原典でもすべった描写ばかりなのも良くない。たとえば顎がなくなった少女はビデオ版2作目*2から引いており、メイキングを見ると巧妙なVFXをつかっているのだが、長々と映すので絵面の間抜けさばかり感じられた。
 さらに失敗しているのが、シリーズの顔でありつつ、だからこそ早々に消費されて笑いの対象になった白塗り少年の佐伯俊雄をメインにすえたコンセプト。窓から腕だけが見えるカットだけは、最近に視聴しても怖かったビデオ版1作目*3における初登場のオマージュとして不穏感を出せているが、原典ほどの異物感はない。
 冒頭のモキュメンタリーのようなビデオ映像や、生身で暗がりにたたずむカヤコはそこそこ恐怖を感じられたから、むしろ白塗りの俊雄を使用しない方向にすればマシになった気がする。原典にはなかった設定をつけくわえてまで俊雄を中心にしたいなら、原典にはないホラー描写のアイデアがほしい。


 しかし恐怖の演出力そのものも全体的に弱い。恐怖が登場する直前にカットを割って客観的なショットを入れることが多くて、観客に心の準備をさせてしまう。数少ない怖さを感じさせた冒頭のビデオ映像ですら、いったんカットを割って普通の映画らしい客観的なカメラにして、さらにいくつかのカットを入れてから恐怖が襲ってくる。このシークエンスは最後までビデオ映像で撮りきるべきだ。後半の広い部屋で少女が超常現象でふりまわされる場面は長すぎ、かといって肉体的にボロボロになるわけでもないので物理的アトラクションとしか思えず、ホラーにもサスペンスにもスプラッターにもならない。
 明るい屋内で恐怖描写を多用するコンセプトは面白かったが、演出力の不足で裏目に出てしまう。明るいため造形物の稚拙さも目につく。先述した顎なし少女のVFXはメイキングを見ると良い印象だが、映画を視聴している時は組みあわせた造形物の稚拙さばかり目についた。終盤の最大の恐怖も同様の問題があり、映画全体が怖くないという印象で終わってしまった。
 物語の構成も首をかしげる。いったん呪いにとりこまれた教師に対して、恋人として同居する脚本家が謎解きをおこなって、やはり呪いにとりこまれてしまう。そこから再び教師の一般人としての視点で恐怖を感じていく展開が感覚的に納得しづらい。シリーズ恒例の時系列シャッフルをおこなっているなら問題ないが、交互に呪いがかかったり解けたりしては弱体化と感じてしまう。いったん呪いにとりこまれれば逃げられないことをシリーズで印象づけられているため、教師視点にもどっても死んだキャラクターの物語としか見ることができなかった。