法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「挺身隊」という言葉が1944年の「女子勤労挺身隊」の意味しかないと、はたして1991年の日本で断言できただろうか?

植村隆氏の名誉棄損裁判で対西岡力敗訴確定*1を受けて、朝鮮半島地域研究者の木村幹氏がツイートしていた。


「当時は慰安婦被害が詳しく知られていなかったため、“挺身隊”と“慰安婦”が混用」というのも違うと思う。当時の段階でもこの程度は十分調べられた筈。1973年に書籍を出した千田夏光はそんな間違いはしてないでしょ。
朝日のみならず当時の日本メディアがそれまで日本国内で自社が報道した内容すらきちんとチェックせずに、「韓国側の理解」をそのまま垂れ流したことは、植村さんに対する批判の妥当性とは別の話として、もうちょっときちんと反省されるべきだと思う。
より正確に韓国で混用されたていたことは事実なのだけど、日本においてはそうではなかった。だから、この二つをごちゃごちゃに議論してはダメだという事。

しかし2014年の朝日検証をふりかえると、「当時の段階でもこの程度は十分調べられた」とは断言しづらいくらいの論証はされている。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視:朝日新聞デジタル

 原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった。朝日新聞は、国内の工場で働いた日本人の元挺身隊員を記事で取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかった。

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

説明どおりに1986年の日本の事典の記述を引いたのであれば、少なくとも「韓国側の理解」を「そのまま垂れ流した」わけではない。
そしてこの事典の記述も「韓国側の理解」を「そのまま垂れ流した」わけではなく、まさに千田夏光著作から引用したものと説明されている。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

この記述は木村氏も以前に言及*2していた高崎宗司論文*3によってソウル新聞記事の誤読が原因と指摘されているが、だとすればむしろ千田著作が「そんな間違い」の源流だったことになる。
もちろん事典は最新の研究を反映しづらいし、誤った記述が混入することもあるが、2000年初版の『旺文社日本史事典』三訂版などにも同様の記述が確認できる。
朝鮮人強制連行とは - コトバンク

女子挺身隊の名のもとに従軍慰安婦として駆り立てられた女性もいた。

もっとも事典も広い意味では「当時の日本メディア」かもしれない。
しかし専門分野の事典もふくめて広く記述されていたのであれば、「日本においてはそうではなかった」という断定もまた言葉が足りないのではないだろうか。


そもそも「挺身隊」は広い意味をもつ言葉であり、1944年に女子挺身勤労令で集められた「女子勤労挺身隊」の略語では必ずしもない。
挺身隊とは - コトバンク

任務を遂行するために身を投げうって物事をする組織。

ある目的のために身を投げ出して働く部隊。多く、銃後で組織されたものをいった。

「女子挺身隊」という言葉もふくめ、ekesete1氏が1943年以前の実例を採集している。内閣情報局の『写真週報』で1942年につかわれている例もある。
ekesete1のブログ : 明治~太平洋戦争の「挺身隊」用例(1)

原文で「陸軍女子挺身隊」とかぎカッコをつけてあるということは、どうやらこれが正式名称だった可能性がある。法律に基づく勤労動員としての女性挺身隊は1944年だか43年だかだそうだが、既にそれ以前から「女子挺身隊」の用語を当局は用いていたことになる。

もちろん文脈によって動員されたものとは明らかに区別できる場合もあるだろう。


そこで青空文庫で少し気にかかる文章を見つけたことがある。それは1979年出版*4の『戸坂潤全集 別巻』を底本とした、戸坂潤『社会時評』に収録されている。
戸坂潤 社会時評
これは1930年代の『文藝春秋』に掲載された連載らしい。そこで「挺身隊」が出てくる「思想問題恐怖症」の「満州サービスガール」は1933年が初出だ。

 満州国官吏は無論男の場合であるが、それが女の場合になると、満州サービスガールがある。今年の一月に親切で有名な東京飯田橋職業紹介所の鳴物入りの宣伝で、之は千人程の中から選ばれた三十二人の代表的インテリガールが、「帝国ホテルよりも大きな」ハルピンのアジア・ホテルのサービスガールとなって送られて行った。この有為な女子青年達からなる「挺身隊」は無論、東洋の到る処に進出して国威を発揚している例の種の娘子軍などではない筈であった。当人達や父兄達は云うまでもなく、直接関係のない吾々世間人もそう信じていたのである。何しろ紹介者が歴とした例の有名な飯田橋の職業紹介所であるし、先方は外でもない満州国の旅館だというのだから。それに満州国当局の後援のあるホテルであったとしたなら、誠に肩身の広い申し分のない就職口と云わざるを得ない。

時期から考えて、このカギカッコつきの「挺身隊」が「女子勤労挺身隊」とは思えない。
そして逆説的に関連づけている「例の種の娘子軍」は、娼婦を暗示した表現に読める。しかもこれは従軍慰安婦がふくまれるような意味をもつ。
娘子軍とは - コトバンク

① 婦人だけで組織した軍隊。また、婦人の一団を比喩的にいう。
※不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉上「陸海軍一致したら、娘子軍(ラウシグン)百万ありと雖も恐るるに足らずだ」
② 軍人を肉体的に慰安するために、軍隊に付属して同行する一団の娼妓。転じて、海外に出稼ぎする娼婦のグループをいった。〔訂正増補新らしい言葉の字引(1919)〕

念のため文章の前後を読むと、日本軍慰安婦どころか娼婦ではない事例らしい。しかし同時代の読者がもっている先入観にうったえつつ、ひとひねりをくわえたようにも読める。
先述の高崎論文では、当時の朝鮮半島において挺身隊として集められた女子が慰安婦にされると噂されていたこと、学籍簿に動員記録が残っている例があることも指摘されている*5。戸坂潤の文章からは、日本内地で先行して似た噂が流れていた可能性を感じないでもない。
ちなみに日本軍慰安所制度にかかわる文章として、1934年に掲載された「高等警察及び冷害対策」の「自然現象と社会現象」で、貧困で人身売買される東北の女性を論じている。

とにかく新聞の「東北凶作救済運動」は天下の輿論を動かし、センセーションを捲き起こすのに成功したと云わねばなるまい。特に農村の娘が酌婦・芸妓・娼妓・女工・女給・女中などとして安売りされるということが、少なからず世間の男や女の興味を惹いたらしい。子女の安売は日本では何も今日に始まったことではなく、又必ずしも農村だけに限られている現象でもないのだが、農民のただの凶作やただの貧困ではジャーナリスティクに興味がないので、世間では之を人身売買や芝居の子役の形に直して、問題に色艶をつけようと力めているらしい。

読んでいて疑問をおぼえるところは多いが、良くも悪くも現代的に感じさせる指摘もあったりして、当時の男性視点の資料として興味深い。
おそらく木村氏のような専門家には既知の資料だろうし、まったく別の読みをするべき文章なのかもしれないが、いい機会なのでここに紹介しておく。

*1:www.asahi.com

*2:現在はツイートを削除しているようだが。hokke-ookami.hatenablog.com

*3:https://www.awf.or.jp/pdf/0062_p041_060.pdfのノンブル41頁。

*4:木村氏があげた千田著作と朝日新聞が依拠した事典の、ちょうど中間くらいの時期だ。

*5:ノンブル57~58頁。