『戦後日韓関係史』の宣伝をかねて、浅羽祐樹氏と白鳥潤一郎氏と佐々木真氏*1が鼎談していた。
「韓国ムカつく」「訳わからん」と投げ出す前に――『戦後日韓関係史』の使い方 / 浅羽祐樹×白鳥潤一郎×佐々木真 | SYNODOS -シノドス-
「極論」という表現が出てくるのは、2015年末の日韓合意の見方について、ある特定の立場しか正解あつかいしない人についての発言だ。
双方というのは必ずしも日韓両政府ということではなくて、ある特定の立場しか正解でない、100点でないという見方からすると、60点かもしれないし、100点じゃないものは全部0点にみえている人たちがいるわけですよね。
一方では、そもそも慰安婦を売春婦だとみる人からすると、1965年の請求権の対象ですらないという極論もあり、他方では、強制連行で、少女が連れて行かれて――たとえ実証的な裏付けはなくても――法的賠償や、追悼碑の日本国内での建立、そして教科書での分厚い記述をしなければならないという極論があります。そうした人たちからみると、このたびの合意というのはそもそも不要か、あるいは不十分なわけです。
しかし日本政府が形式として踏襲をつづけている河野談話では、「法的賠償」こそ訴訟への関心をはらっていくという言及にとどめているが、問題を記憶しつづけていくことはうたっている。
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
はたして河野談話の実行を求めるだけの「追悼碑の日本国内での建立、そして教科書での分厚い記述をしなければならない」といった意見も、「慰安婦を売春婦だとみる」と対置できる「極論」なのだろうか。
じつのところ、河野談話にしてもその時々の妥協策のひとつではあったし、ある意味では浅羽氏のいう均衡解だった。そんな過去の妥協を一方の極論あつかいして、それと相殺して均衡するあたりに目標がくるように極論を主張すれば、均衡解を選ばせるように「ある特定の立場」を受けいれさせることができる。
ある特定の立場しか正解でないと考えているように見えたとして、その人が本当に特定の立場しか正解でないと考えているとは限らないものだ。
浅羽氏は前後して、韓国だけがあらためて謝罪をもとめるような「蒸し返し」をしているかのような観念も語っている。
合意した後なのに、もういちど総理の手紙がほしいといった意見が韓国から出てきます。国内世論は厳しいし、説得するにはそういう材料が必要なのもわからなくもないんですが、それだったら最初からパッケージ・ディールにするしかなかったわけですし、日本としては、「あらためて」おわびと反省を表明したうえに「またかよ」となりますから、そういう日本の状況を知ってますか、そしてそういう「蒸し返し」が試みられることで、さらに日本国民が「さらにうんざりしますよ」と韓国側のナカノヒトにいろんなかたちで伝えています。
ただ、反応が鈍いんですよね。日本はまだ余裕があるだろうとかね。慰安婦少女像の「移転/撤去」において進展がないなかで10億円を拠出することに対しては、日本も世論が厳しかったわけです。政治決断にリスクがともなうのは本来、双方同じはずです。
しかし「政治決断にリスクがともなうのは本来、双方同じはず」という発言は奇妙だ。たとえ加害被害の関係から根本的に同じでいられないことは無視するとしても、日本だけが合意を誠実に履行して、初めて韓国に対していえることではないだろうか。
現実には、安倍内閣では靖国神社参拝や教育勅語肯定をおこなう稲田朋美防衛相が更迭されることもない。それどころか杉山外務審議官が国連で慰安所制度の性奴隷制を否認して批判をあびたりもした。これは日韓合意の限界、もしくは日本政府の不誠実さのあらわれだ。
日韓合意については、日本政府が過ちをおかしたか、合意そのものが過ちか、今のところ二択だと思っている - 法華狼の日記
一方、少女像の移転について合意で求められた範囲のことは韓国政府もおこなっていると、読売の深読みチャンネルで浅羽氏も認めている。
慰安婦少女像、「合意」守らない韓国の裏事情 : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 1/4
少女像についても、「撤去」が明示的に盛り込まれたわけではない。韓国政府は「関連団体」と協議することで「適切に解決されるように努力する」という文言になっている。
もちろん、これは2国間合意における単なる「努力」目標ではなく、「公館の安寧・威厳の維持」を定めたウィーン条約という一般国際法の義務事項にあたるというのが日本政府の立場だ。それをふまえて、韓国政府も「適切な場所への移転」をそれなりに模索しているのは事実である。
日本政府がおおやけにおこなっている不誠実さについて、浅羽氏の見解を知りたいものだ*2。
そもそも、「強制連行で、少女が連れて行かれて」という見解に対して、わざわざ「たとえ実証的な裏付けはなくても」という表現をはさんでいるのは、誰の何を忖度した結果だろうか。
少なくとも、少女が連れて行かれた事例が実証されていることは*3、歴史学上で認められているはずだ。まさか「強制連行」という言葉を軍組織の直接的な強制募集という意味に限定し、日本軍の責任を矮小化させるようなデマゴギー*4に加担したいわけでもないだろう。
ちなみに浅羽氏の著作は以前に2冊ほど読んだが、それとてらしあわせて考えても、あいまいな表現をつかってデマゴギーに加担しているという心象をもたざるをえない。先述したように、一方がデマゴギーであれば、単純に均衡解をもとめる発想はデマゴギーにいささかなりとも加担するような結果をもたらしてしまうものだ。今回のSYNODS記事における発言はどうなのだろう。
*1:かつてインターネットの嫌韓感情を社会規範に対する若者の反抗のあらわれとみなす発言をしたことがある。韓日関係冷却に言論の責任も、韓日編集幹部セミナー│韓国社会・文化│韓国ドラマ・韓流ドラマ 韓国芸能ならワウコリア
*2:世界各地でおこなわれている少女像建立の動きについては、深読みチャンネル記事で「日本政府はその一つ一つに反論しているが、少なくとも在外公館の前の2体とそれ以外は分けて考えるように努めるべきだ」と意見している。つまりウィーン条約をもちだす日本政府の主張が、実際の日本政府の行動と乖離していることを認めているようなものだ。
*3:同時に、日本軍慰安婦になる以前から売春婦であった事例もある。もちろん、それだけで日本軍慰安所制度の加害性を相殺することはできない。思うに、“日本軍とはまったく関係ない売春婦が、勝手についてきて商売していた”といった観念を要約したつもりで浅羽氏は「慰安婦を売春婦だとみる」と口頭で発言したのではないだろうか。
*4:狭義の強制連行のイメージを作ったとされる吉田清治著作においても、軍令や暴力を強制連行の必要条件にはしていない。吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を読む - 法華狼の日記 もともと騙されて募集された事例もふくめた国策動員を指す言葉だったため、騙して集められた事例が吉田証言以前に「強制連行」と報じられたこともあった。慰安婦を騙して集めたことを、1975年の新聞記事は「強制連行」と表現していた - 法華狼の日記