佐藤側の説明を見るかぎり、演技であってもアドリブで断りなく他人に身体接触することや、関係を構築すらしていない他人への意見がモラルハラスメントにあたる問題だという意識が欠けているように思える。
佐藤二朗の事務所『文春』に反論 | 朝日新聞デジタルマガジン&[and]
二人は夫婦役で、橋本氏演じる鈴木明日香が運転中に目を瞑り、助手席に座っていた夫役の佐藤が慌てるというコントシーンでした。その芝居中、目を瞑ったまま口だけを開ける芝居を橋本氏がしたため、「口ではなく目を開けて」と言って、佐藤の指が橋本氏の顎に触れてしまったのです。この接触が問題となるとは思いもよりませんでした。
今後の撮影のためにもわだかまりを残さない方がいいと思い、橋本氏を労う意味も込めて橋本氏の楽屋を訪れました。そこにはスタッフの方もおり、3人が在室する状況の中で、俳優同士の会話として、橋本氏の演技が素晴らしかったと感じたことを伝えました。そして過去の心の傷は最大限、尊重されるべき社会だと心から思うが、トラウマがあって夫婦役を演じるなら先に状況を相手に共有すべきである事、その状況が続くなら俳優を続けるべきではないのではないかと僕個人は思います、と伝えました。この日、橋本氏は、佐藤が退室するときも笑顔でした。
その後も佐藤はお約束通り、一貫してクランクアップまでそのレギュレーションを守り続けました。佐藤の言動がハラスメントにあたるものでないことは、専門家からの確認を受けています。
この説明だけで佐藤氏には特段の問題がなく、橋本氏こそ加害者だという主張が少なからずインターネットに広まっていることに首をかしげる。
むしろ当初は情報共有の不備*1による事故にすぎなかった問題が、その後の佐藤氏の言動で拡大してしまったとしか思えない。
たとえば映画制作における高畑勲氏の指示がモラルハラスメントのような問題行為にあたることは、すでにインターネットでも一定の共有がされていると思っていたのだが*2。
仮に楽屋での佐藤氏の橋本氏への主張が妥当だったとしても、仕事において必要な情報の共有が主目的だったとしても、そして相手が笑顔を浮かべていたとしても、ハラスメントにあたらないとは限らない。
監督が絵コンテで撮影前に絵作りを決めこんだり*3、インティマシー・コーディネーターが普及している潮流を思うと、俳優が共演者の演技を指示したという説明そのものにも越権行為という印象がある。もちろん現場によっては演出家が共演への指導をもとめたり、そうでなくても許容することはありうるので、ここで佐藤氏が問題とまでは思わないが。
また、身体接触が困難であることと俳優の継続の困難を同一視する意見は、観客の立場からすると妥当とは思えない。性的な意図がなくても他人の身体に不用意に接触するべきでないことは、現在は常識のはずだ。
もし身体接触を描写するとしても、映像作品であれば実際に身体を接触しなくてもモンタージュで接触しているようにも見せられるし、昔からつかわれているようにスタンドインやVFXを活用することもできるだろう。
もちろんアドリブではなく信頼関係をむすんだうえで身体接触をすることもできるだろうし、それを重視して先述のようにインティマシー・コーディネーターが普及しつつあるわけだ。
橋本氏が過去の作品で深く身体接触をしていることも指摘されているが、観客の立場でそれらの現場の状況がわからない以上、情報共有の不備による不用意な身体接触という問題が同じように存在したと断言できるはずがない。
つまるところ橋本氏の制限は無責任な観客からすれば致命的な問題ではない。もともと身体接触の描写がなくてもすばらしい作品はあるし、身体接触の描写を見たい時の選択肢は複数ある。
もちろん身体接触に制限があることは制作全体にもさまざまな制限がかかり、その負担が嫌われて制作に参加する機会が減る可能性はあるとは思う。それが気になる同業者もいるだろう。
しかし不用意に体にさわった立場で主張すれば、それこそ責任転嫁に聞こえかねない。佐藤側の説明において、身体接触を謝罪したくだりがないのはなぜだろうか。
あえていえば、俳優同士であれば身体接触に許可はいらないという古い誤った観念をもつ俳優も、それはそれで作品制作のリスクになるだろう。