法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『相棒 season23』第7話 復讐者は笑わない

 刺殺された男は、目撃者の証言によると通報をこばんだという。男の正体は29年前に元交際相手を殺し、行方をくらませた人物だった。
 容疑者は元交際相手の女性の父や、当時の交際者。事件を捜査した三浦は、時効後に出会った交際者の笑顔を良かれと思って指摘したことを悔いていた。
 さらに制度変更の直前に時効が成立していたはずが、事件の直後に渡航して時効が不成立だったこともわかる……


 川崎龍太脚本。一見すると単純な刺殺事件と復讐心から、交際者がつとめているスーパーマーケットのDV事件とつながり、そこあら奇妙な犯罪がおこなわれていた真相が明らかになる不思議なサスペンスだった。
 真相に直結するというか、真相にあたる犯罪が導入になっている某映画を思い出す*1。映画には原作があって同じ犯罪が導入だが、動機は映画版の設定と同じ。インスパイアされて事件の視点をひっくりかえして今回の物語がつくられたのかもしれない。
 かつてのレギュラー三浦の再登場だが、あくまで時効をめぐって生まれた奇妙な犯罪を構成する要素という印象が強い。真相の判明後にサブタイトルを見返すと、よくできているとは思うが。

*1:真相に直結するので、タイトルがわからないようURLだけ記載する。 https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20080411/1207946784

『真夜中ぱんチ』雑多な感想

 女子高生時代から3人組の配信者をやってそこそこの人気をあつめていた真咲だが、配信中に仲間をなぐってしまい大炎上。追いだされた真咲は見返そうとするがアンチコメントが怖くて顔出しできない。しかし廃病院で吸血鬼の少女に出会って……


 2024年7月から放送されたP.A.WORKS制作のオリジナルTVアニメ。『パリピ孔明』をTVアニメ化したスタッフが再結集し、ことぶきつかさがキャラクター原案をつとめた。

 もう少しリアルな設定のアニメかと思っていたが、『ゾンビランドサガ』や『アキバ冥途戦争』のようなジャンル混交作品だった。作画はゆるめだが安定して動くし、3DCGのカメラワーク表現も良い。
 しかし主人公の性格の悪さ、手の出る早さはキャラクターとして魅力的だが、仲間と別れる原因となった「パンチ」の理由が初回ではわからないまま違う話に展開して放置されたのはストレスがたまった。初回の時点で他の暴力シーンを見るとたいした理由ではないだろうとは想像できるが、それについての主人公と仲間ふたりの認識がわからないため共感も拒否感も生まれない。
 そこから主人公チームを除いて登場する配信者は好感をもてる人物ばかりだが、リアルの配信者に取材しているので貶める描写は難しいのかなと思ったら、第8話で一大コラボ企画で配信者とファン双方のさまざまな問題を描写したことに感心した。トラブル続きのイベントをアドリブで乗り切る群像劇としての面白味もあり、白眉の回。
 ただ、そこから人気を爆発させようとする終盤のイベントは、そのさなかで主人公が懸念した真相そのままで工夫が足りない。その懸念をいったん忘れさせる過程も入れておらず、意外性がなく感心できなかった。楽しい配信生活がつづくオチとして物語のまとまりはあるが……

『わんだふるぷりきゅあ!』第44話 たくさんの幸せ

 お鶴が犬のフクをひきとってから、ちょうど18年になろうとしていた。幼いころからフクを見てきたいろはは誕生日のパーティーを開こうと思いたち、まゆの提案で手づくりのブランケットをプレゼントすることに。
 しかしお鶴の家のパーティー当日にいろはたちがあつまると、フクは立ちあがることができなくなっていた。しかもトラメが強力なガオガオーンを呼びだし、いろはたち全員が退出することに……


 井上美緒脚本にのもとゆうや演出で、ペットの出会いと別れを正面から力強く見せる。ともに生きる幸せの長さと、ペットの衰えに対する人間の多様な思いを描いて、第26話をこえる充実した画面になっていた。
『わんだふるぷりきゅあ!』第26話 暑すぎてヤバい! - 法華狼の日記
 人間に変身した犬としてこむぎがフクの言葉を代弁し、お鶴が子供のやさしさと思って受けいれながら、一度だけ他人が知らない情報をこむぎが語って驚く加減がいい。ニコのふるまいなどもふくめて、ファンタジーな設定を節度をもって活用している。
 プリキュアひとりひとり異なるシールドデザイン設定を活用して、協力して防御していると実感できるカットなど、アクションそれ自体もアイデアが多彩でよくできている。そこからガオガオーンとプリキュアの戦いの余波でフクの命が失われそうになる緊張感も、収拾できないほど過剰な悲劇にしない。あくまで戦いを遊びとして楽しんできたトラメらしい行動をさせて、戦いの終焉とともに被害が回復する設定描写から自然にお鶴とフクのドラマにもどす。いつもの散歩用の手押し車に乗せて山道を人力で運ぶよりも、たとえばタクシーで近道しようとして前にも後ろにも進めなくなる描写のほうが自然ではないかと思ったが、話の都合で理不尽な行為をしているとまでは感じなかったので許容できる。
 作画監督は竹森由加、赤田信人、酒井夏海、廣中美佳の共同で、原画に板岡錦など。あくまで必要な映像をつくるために人員を投入している。最強といっていいガオガオーンの暴れぶりを表現するにあたって破片や土煙といったエフェクト作画も多く、吹きとばされたプリキュアをカメラで追うために大きな背景を用意している。ガオガオーンの破壊によって人間が道をとおれなくなる展開の説得力を出すために必要な描写でもある。

北朝鮮の政治外交軍事を研究している専門家の宮本悟氏のツイートをいくつかメモ

 韓国大統領の戒厳令と抵抗する市民運動についての報道で、下記のようにツイート*1をして注目を集めていた。


今日のランチで、「日本では市民が死ぬ覚悟で国会に来たと報道している」と他の研究者たちに語ったら、1人がメシを吹き出してしまった。

 宮本氏の話が虚偽だとは思わないが、それが日本の報道や登場した市民を笑ってよい理由になるとも思わない。川上浩一氏のツイートにだいたい同意できる。


死の危険性、死の恐怖、死への覚悟は時と人によって、さまざまでしょう。その吹き出した方は、過去において、もっと危険な修羅場を体験されたのでしょう。
けれども、その方が吹き出したからと言って、今回、体をはって戒厳令を阻止した韓国市民を、あなたが嘲笑することはできない。

 つけくわえるなら、恐怖に直面した時、自身の不安をまぎらわせるために笑ってしまうことも人間の一般的な心理だ。笑う理由はさまざまに考えられる。
 ちなみに宮本氏は自民党の裏金問題を軽視し、烙印的なメッセージあつかいしたことがある。


政策で投票する日本人ってどれくらいいるのよ?あんまり聞いたことない。せいぜいイメージや印象で決めているんじゃない?だから裏金とか烙印的なメッセージが効いている。これは政策には何の関係もないし。

 権力者の問題よりも、それを批判する市民の態度ばかり気にするという意味では、宮本氏にも一貫性があるといえるかもしれない。


 さらに宮本氏の他のツイートや対話を読んでいくと、政治や外交の専門家としての知見も不安になってくる。


私が国門研で働いていた時、明らかに統一教会に傾倒していたのは鳩山由紀夫さんだった。安倍さんはむしろ統一教会を忌避していた。小泉さんは嫌がっていた。清和会には福田さんも安倍さんも入っており、清和会として統一教会と関係があったはずはないのだが・・・。

 宮本氏の認識そのものは疑わないが、日本国際問題研究所にいたのは2006年から2009年、第一次安倍政権の始まる直前から終わった直後までだ。
 下野後の安倍氏が政権奪還のため旧統一協会に接近していった報道を宮本氏は見ていないのか。同じ特集の前の記事でも指摘されているのだが。
蜜月・旧統一教会と自民党:/上(その2止) 安倍家3代と「反共」の絆 雌伏の晋三氏に再接近 | 毎日新聞
 そうした時期的な距離の変化を「モモも 旧イケダ@Z9JxL7KRUioxOlx」氏が指摘していたが、なぜか宮本氏は相関が主張されたと読み誤って否定している。


ちょうど、安倍晋三氏と統一教会の関係が疎遠になり、鳩山由紀夫氏と統一教会の関係が深まっていた時期かも知れませんね。


なぜ安倍晋三氏と統一教会の関係が疎遠になれば、鳩山由紀夫氏と統一教会の関係が深まるのかよく分かりません。


 他国の自虐的な皮肉を引いて面白がりながら、自国への自虐的な皮肉を返された時は面白がらないところも興味深い。


キューバの庶民が言う格言が面白い。よく当たっている。「資本主義世界では将来何が起こるか分からない。社会主義世界では過去に何が起こったのか分からない」


公文書破棄したり改竄したりする日本は社会主義国だったのか。


社会主義では、公文書があるのかも分からんが…


日本て社会主義国だったのかな。過去のデータも発言も議事録も隠蔽廃棄偽造でわからない。将来は結構見えちゃうし…。はー。


日本では、自分で勉強しようとしないで、誰かに教えてもらうまで勉強できない人たちが増殖しているだけ。
教えてもらったら、「なんでもっと早く教えてくれなかったんだ」と逆ギレするという救いようのない人たちがいるからなぁ…

 公文書改竄についても、権力者の問題よりも批判する市民の態度ばかり気にするという意味で、宮本氏には一貫性があるかもしれない。
 しかし社会主義国に対しては権力者の問題として認識する能力が生まれるようだ。

*1:現ポスト。

『魔物ハンター妖子』

 平凡な女子高生の真野妖子だが、恋愛を楽しみたい学園生活のなかで異変がはじまっていた。若くして子を生んだため力をうしなった母のかわりに魔物ハンターになるよう、妖子は祖母から求められる……


 マッドハウスが制作した1990年代前半のOVAシリーズ。DVD-BOXは一時期プレミア化していたが、2022年にBlu-ray BOX化されて入手しやすくなり、ブラックフライデーセールで通常より安価になっている。

 後に『センチメンタルグラフティ』などを企画した六月十三の、アニメ初企画作品。ゲームや連載小説、キャラクター原案の宮尾岳によるコミカライズなどのメディアミックスもおこなわれた。


 1作目の無印は、1990年に公開されたアニメ映画という売りだが、1時間に満たない中編であり、OVAを箔付けするために劇場公開したパターンだろうとしか思えなかった。キャラクターデザイン原案は当時なりに新しいし、原案者の宮尾はアニメーター出身なのに、その魅力を実際の映像に反映できていない。
 作画そのものもマッドハウス作品として見ると良好ではない。上映のためにスケジュールの制限などがあったためか、キャラクター作画からひんぱんに影がなくなるところが特に気になる。影無し作画そのものは大好きだが、前後のカットとくらべて統一感がなく、フルショットだけ影をなくすような方針でもなく、見ていてかなり違和感がある。これでも劇場版から映像を向上したところが多いらしいのが驚きだ。
 思春期の少女主人公の妄想などのエロティック描写が全体的に当時の青年漫画か、せいぜい『レモンエンジェル』くらいの芋っぽさなのも残念。コンドームを堂々と見せるのも、自然な日常というさりげなさはなく、下ネタのような雰囲気。チャイナ風のハンター服の良さをきわだたせるためにも、日常シーンでパンチラは入れないほうが良かった。水着シーンはキャラクターの印象づけとして意味があるが、作画は普通……なぜかウルフカットの理事長のお色気シーンは力が入っていて、下着の透け具合などアナログなアニメとしてはがんばって表現できているが、年齢やデザインのためエロ劇画のような印象を強めてしまっているし、そもそも敵の三下にすぎないので使い捨て感が強い……
 主人公母がハンターになる前に処女ではなくなったので、主人公の前のハンターは祖母になり、忍者装束で活躍するところは魅力であると同時に難点。あまりに前面に出すぎてドラマも牽引しているので主人公の存在意義を食ってしまっている。さまざまな男に色目を使ったり使われたりする主人公だが、あまり主体性がないまま最終的にドラマをほうりなげてオチがつかないので釈然としない。


「2」とナンバリングされた2作目は山田勝久監督が総監督にまわり、『ハイランダー*1の阿部恒が監督およびキャラクターデザインと作画監督に抜擢された。全体が一気に向上し、企画の各要素が無駄なく噛みあい、最低限の商品として成立している。原画に佐々木正勝など*2。自室を真上から俯瞰するコンテなどもいい。
 冒頭のハンターアクションからいきなり濃厚な作画で背景動画もまじえて良く動き、すでに主人公が経験をかさねたことを映像だけで説得力を出す。主人公をしたって見習いに入る少女を登場させ、中盤で敗北するところを主人公が救うことで格の違いを表現しつつ、最後の戦いでピンチになった主人公を少女が変身して助けることで成長のドラマとする。
 複数のバトルが短い尺で複数回あってアクションアニメとして充実しつつ、そのバトルがキャラクターの関係性を変化させて無駄がない。いきなりハンターになるまでの「1」と、すでにハンターとして成熟した「2」で主人公のキャラクターが断絶しているし、シリーズを楽しむにはいっそ「1」を無視して「2」から視聴しはじめてもいいかもしれない。
 お色気シーンも作画が良く、必要最低限なので希少性で印象に残る。主人公と少女が風呂に入った場面で照明を落とし、裸の会話を上品に見せる演出など感心した。


「3」は当初は完結編だったそうだが、主人公が単身で異世界的な場所へ行って戦うという番外編的な作り。相手が小物とはいえ、着物をきた主人公が変身どころか武器ももたずに魔物を体術でいなす描写で、すでにハンターとして完成していることがわかる。
 惚れた男は意中の相手がいたという真相や、その背後でおこなわれていた善意の策謀など、基本的に定番をならべただけだが、ストレスがたまらずに単発回としては悪くない。現世側で弟子たちが主人公を助けようとコメディチックに奮闘する描写もあわせて、ライトな和風ファンタジーとして楽しめた。


「スーパー・ミュージック・クリップ」は、4作目というには短い、実写声優などを映したり本編を編集したミュージッククリップ集。
 冒頭の宮尾イラストを利用したPVと、小寺勝之コンテに斉藤哲人一人原画の新規SDアニメは悪くない。あくまでファンディスク的な作りだが。


「5」は実質的に4作目だが、ゲンかつぎで5でナンバリング。「2」「3」と出番が後退していった祖母をふたたび舞台にあげつつ、魔物ハンターの歴史を描くことでシリーズ本編の完結編という印象がある。作画も「2」「3」の延長としての良好さがあり、とても良いとは言えなかった「1」全体をセルフリメイクした感もあった。
 祖母を少女化したり魔物ハンターのオリジンと主人公を出あわせるため、発端の魔物に時空をあやつる能力を付加。世界を静止させる能力が絵として面白いし、アクションのメリハリも生まれる。


「二乗」は、1994年にOVAとしては完結したはずが1年後にすぐ作られた新作。しかし制作会社は継続しつつ、メインスタッフで続投しているのは「5」で参加した脚本家くらい。監督は一演出家として挑戦的な映像をつくっていた時期の新房昭之がつとめ、作画スタッフも総入れ替え。
 キャラクターデザインも刷新され、一気に現代的なさっぱりした絵柄になった。線が整理されているので裸体やパンチラも生々しすぎず、それでいて流麗な描線で艶やか。アクションも冒頭の訓練的な動きからして絶品で、日常芝居も体育の妄想など素晴らしい。クライマックスの魔物復活から直線的な金田伊功エフェクトが楽しめたりもする。現代に見ても作画アニメとして充実していた。仏壇にむかう祖母を魚眼レンズで映したり、コンテ段階でもおもしろいところがいくつか。
 内容は、設定としては直接の後日談だが、印象としてはセルフパロディに近い。間違った故事成語を口にする主人公など、これまで存在しなかったキャラづけが付加されていて、しかし本筋にはかかわらない。物語を動かすのは「1」からつづいている男への惚れっぽさだ。そして主人公は鏡像的なライバルのハトコとと戦うわけだが、そのライバルの妹分まで主人公のそれとそっくり同じで、しかもその理由は存在しない。完全にリアリズムを放棄してストーリーの都合で人間関係を構築している。
 主人公妖子(ようこ)のハトコの妖子(あやこ)は主人公のほっするものとして男をうばうだけで興味はもっていないという、ある意味での百合っぽさがある。その男をうばう行動がハンターとして致命的な行為につながり、その贖罪から主人公と関係を再構築。もっと露悪的な展開になるかと思いきや、意外なほど前向きで主人公の善性が周囲に波及していくジュブナイル的な作品として完成されていた。
 もともと魔物ハンターという設定に特殊性はあまりないし、説明が不足している設定もあまりなく、物語は単独で完結しているので、現在に視聴するならこの「二乗」だけで充分かもしれない。