法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

くりかえし明記したことをガメ・オベール氏の愛読者に見落とされ、「何か意図的に省略されていることがないか」と疑われている……

疑いをかけているのはid:yamakaw氏で、他の愛読者も私のエントリから情報が欠落しているかのように応じている。

seidenki_mochi氏が紹介しているapricotjaam氏のツイートから、はてなブックマークid:Apeman氏がコメントをしていたと指摘したいことがわかる。


しかし困ったことに私のエントリでも、コメントが拒否される前にApeman氏がはてなブックマークで批判をしていた順序を明記しているのだ……
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記

私が知るかぎりApeman氏が最初にガメ・オベール氏へ批判的なコメントをしたのは、戦犯ゴボウ問題ではなく、靖国問題だった。
2010年の当時に、Apeman氏自身が、論争の発端からガメ・オベール氏の文章を引いて、それぞれの経過をまとめている。
「事実であろうと、なかろうと」PartII - Apeman’s diary

・1月17日、ガメ氏が「ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。」「そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。」と発言。この「ボケ」はいうまでもなく日本国民の一人たる私にも向けられていることに留意されたい。
・同日、私が「へぇ。それ誰のこと?」とブコメ

次にApeman氏は1月21日、上記とは独立してコメント欄で戦犯ゴボウ問題の根拠について質問しようとしたが、承認されなかったという。

エントリで「発端」という言葉を使ったのはここだけだ。引用のように、Apeman氏自身がエントリにまとめた経緯においても、靖国問題が先にあったことがわかる*1
たとえ「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても、コメントが承認されなかった以前に衝突があったことは理解できる文章のはずだ。
しかも私は、承認されなかったApeman氏のコメントとガメ・オベール氏の反駁を紹介した後に、靖国問題で衝突していた時系列をあらためて説明している。

ガメ・オベール氏が不特定多数へ「ボケ」と評価し、Apeman氏が「へぇ。それ誰のこと?」と応じた時点で衝突が始まったとはいえるだろう。
しかし、相手の全人格を対象にして批判を始めたのはガメ・オベール氏が先だったし、その表現も罵倒に満ちた攻撃であることも指摘せざるをえない。

最初は「ブコメ」という略語が理解できなかったのだとしても*2、seidenki_mochi氏が説明している。そもそも、seidenki_mochi氏がyamakaw氏の読み落としを指摘しないことが不思議でならない。



ここまではっきり書いていて、コメントが拒否された部分を読めば嫌でも目に入るような位置なのに読み落とされたのだとすると、私にはどうすればいいのかわからない。
yamakaw氏はつづけて私を批判するようなツイートをくりかえして、少なくないリツイートやファボをえているが、読み落としを指摘されている様子がうかがえない。



「見なかったことにする」が良くないことだと考えるのであれば、まず反論の対象をちゃんと見ようとしてほしい……

たしかに私自身の方針としては、相手のアカウントが異なれば別人としてあつかうようにしているし、他での衝突と独立した内容のコメントであれば衝突とは個別に会話することも多い。
しかしガメ・オベール氏の罵倒については、Apeman氏のブコメと比べた上で評価している。むしろ愛読者がガメ・オベール氏の表現を無視しているかのような様子に私は首をかしげている。



この連続ツイートだけは、ある意味で納得感があった。
私としては、緊密な知略や入念な捜査で証拠をつかむ展開こそ光がさして見えるし、不充分な証拠で悪を倒すことを優先する展開は誤認による挫折が待ち受けていないかと恐れてしまう。
『殺人の追憶』 - 法華狼の日記

対してyamakaw氏は、戦犯裁判の根拠が争点になっている話題で、わざわざ「証拠能力の欠ける証拠じゃ俺は有罪じゃないんだぜ」を「いやな感じ」な事例として出した。
あくまで趣味嗜好の話ではあるが、そのように細部の証拠固めを軽視していった延長線上に、先日に批判したような愛読者のふるまいが生まれる危険はないだろうか。
歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている…… - 法華狼の日記
見落としは誰にでもあるが、だからといって事実を軽視しない姿勢は忘れないでほしい。

*1:このApeman氏のエントリはapricotjaam氏もつづけて存在を指摘している。jamcat on Twitter: "能川@nogawam = @apesnotmonkeys さん、元記事のガメさんは、過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っていると読めるけど、これ、一般的な「日本人はさ~」って話でしょ で、あなたはガメさんに直接個人対個人でクソコメ送ってるわけじゃん… https://t.co/vnIulmqSpl" そこでapricotjaam氏はガメ・オベール氏を擁護するにあたって、「過去惨たらしく死んだ日本の若者に対して軽薄な態度を取る現在の日本国民に怒っている」という解釈で充分だと考えているらしい。しかしApeman氏はその「軽薄な態度」という認識そのものを批判しているので、反論として成立していない。千鳥ヶ淵戦没者墓苑で戦死者を追悼することが軽薄であるといえるだけの理路くらいはapricotjaam氏は示さなければばらない。

*2:yamakaw氏もはてなユーザーなので考えにくいが。

歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている……

約十年前、ガメ・オベール氏をApeman氏が批判するようになった発端を、下記エントリでふりかえった。
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記
戦犯ゴボウ問題という日本の問題を矮小化しかねない都市伝説*1を、実際に記録を読んだようにガメ・オベール氏が語った。Apeman氏が根拠となった資料の実在性をたずねたところ、ガメ・オベール氏がはげしく反発したあげく、虚偽を主張したことが明らかにされた。
それから時間がたった現在まで、Apeman氏を初めとしたガメ・オベール氏への批判者に対して、新たなガメ・オベール氏の愛読者たちが反駁を試みつづけている。


しかし愛読者の反駁を見ていると、事実関係を把握しようという意識が、全体として希薄だと思わざるをえない。
ひとつの例として、2015年からApeman氏のツイッターアカウントの凍結を呼びかけていたcienowa_otto氏は、2019年になってようやく発端となる文章を読んだという。

念のため、冒頭のエントリでふりかえったように、発端となる文章だけならばApeman氏らは強く追及はしていなかっただろう。最初は質問しただけだったし、悪意で流布したとは判断していないかった*2
また、Apeman氏が批判ツイートを連投するようになったのは、ガメ・オベール氏や愛読者の側からApeman氏へリプライをくりかえしてからのこと*3。それをApeman氏の一方的な嫌がらせといえるだろうか。
こうした情報を先日に別の愛読者のエントリ*4にコメントしたが、長文だったとはいえ承認されていない。


さらに愛読者の反駁対象はApeman氏から逸脱して、はてしなく筋の悪い根拠を集めるようになった。事実関係の把握より反駁する材料集めを優先した結果だろうか。
特にひどいのがcoasmono_coacoa氏で、「はてなサヨクウォッチスレッド」を紹介したまでは良いとして*5ホロコースト否定論者が複数人から批判された事例を「ガメさんに対しての行為と同じようなふるまい」と位置づけた。

coasmono_coacoa氏という個人の問題にとどまるならまだしも、その情報をvisionarywinter氏などは「収穫」と評価してしまった。

リンクされているブログを確認すると、執筆しているusausaland氏は冒頭から集団ストーカーの被害を訴えている。その繊細な感覚による評価が「嫌がらせ」の根拠として充分だとは私には思われない。
GROUP STALKING - 非情なる集団ストーカー被害からのサバイバル記 - 能川元一氏からの反論(というより誹謗中傷と暴言)

埋め込みツイートに、あっという間に50程のRTがつく時があったのですが、組織的でなければその様な事にはならないと思います。連携が取れすぎている、という印象もありました。

しかもエントリでusausaland氏を実際に批判している人数は十人にも満たない。逆に発端は第三者とのやりとりをusausaland氏がスクリーンショットして自説を主張したことにあり、つまりusausaland氏自身が「横入り」をしている。
また、usausaland氏はナチスドイツのホロコーストに対して、エントリで「私の様に明確に捏造だという立場の人間」と自認しており、それが批判されている。そのような立場で複数人から批判されることを、はたして「嫌がらせ」と呼べるだろうか。
一般的に、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それがホロコーストのように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
さらにusausaland氏は、日中戦争の百人切り競争が冤罪だと主張するyamamoto8hei氏*6に対して、賛意を示してもいる。

上のツイートにリプライしていた山本平八という方の投稿。この方は能川氏に対してアンチの方のようです。思わず「いいね」を付けたくなりました。

この時点でも、問題はホロコースト否定論にとどまらなくなっている。


事実として、apricotjaam氏という愛読者は、南京事件否定論者や従軍慰安婦問題否定論者の主張を引いて、それに対する批判を「どんな手を使ってもかまわない、ということなのだろうか」と紹介した。

ここでapricotjaam氏は「私は右翼でもネトウヨでもありません」と自認しているが、ならばなぜ戦争犯罪の否定論者の文章を信用できるのか。
それにホロコースト否定論と同じく、戦争犯罪の否認は批判されてしかるべきだろう。それが南京事件のように有名な話題であれば、注目されて批判をあびることに誰かの陰謀を見いだす必要はない。
いや、apricotjaam氏が南京大虐殺を否定することは間違っているとは断言せず、「議論するつもりはありません」という立場を表明しながら南京事件否定論者を自説に援用した時点で、意図はどうであれ南京事件否定論に加担してしまっている。


ホロコースト否定論者をもちだしていたcoasmono_coacoa氏も、apricotjaam氏に呼応して、眞鍋かとり氏という南京事件否定論者をもちだし、Apeman氏が「論破」されて評判を落としていたと主張する。

しかし、いったいどこが「論破」され、どこで「評判」が落ちていたというのか、coasmono_coacoa氏の紹介ではまったくわからない。
まず、いきなり「これだけ信頼できる一級資料、一次資料がないんですから」とコメントした眞鍋かとり氏があしらわれたのは当然だ。Apeman氏のエントリ本文では一次資料が示されていたのだから。
マイ定義と無知をもとに「一次資料」の重視を叫ぶ国会議員 - Apeman’s diary

「一次資料」が大切だと言いながら、なぜ戦後の聞き取りを真っ先に挙げるんでしょうか? せめて『南京戦史資料集』くらい挙げられなかったのでしょうか? その他、戸井田議員が無視しているしこれからも無視するかもしれない資料のリストを青狐さんが整理しておられます。

第十軍の法務部が残した陣中日誌、軍法会議日誌を読めば、実際には殺人や強姦をおかした将兵が「おかまいなし」になっている例がいくつも見つかる(ここのコメント欄参照)のですが、一次史料を重視する戸井田議員はご存じなかったのでしょうか?

なぜcoasmono_coacoa氏はApeman氏の元エントリを示さず、コメント欄の一部をきりとった眞鍋かとり氏のエントリを紹介したのだろうか。
やりとりを見ていくと、少なくとも時系列を誤認していることがわかるし、それによりApeman氏の元エントリを確認していないことも推測できる。

なぜならApeman氏が初めて戦犯ゴボウ問題にふれたのは2006年8月のことであり、2007年3月に論破された結果という仮説は絶対になりたたないのだ。
「ごぼうを捕虜に食べさせて有罪になったB級戦犯」は都市伝説? - Apeman’s diary
また、推測するしかない犠牲者数を厳密に問うことは否定論に通じる加害性をもつということは、Apeman氏はたびたびエントリで指摘していた。
14万人と7万人、30万人と… - Apeman’s diary

しばしば「グレーゾーン」として議論の的になる「敗残兵」「便衣兵」の殺害にしても、自分の国が戦場になった側と他国で戦争をした側とではパースペクティヴがまったく異なる、ということを理解しておくべきだ(被爆の後遺症によって数年後に亡くなった人びとも原爆の犠牲者だ、と日本側が考えるのと同じように)。

「論理」で「犠牲者30万人」の「蓋然性」を否定する数学屋さん(追記あり) - Apeman’s diary

「30万人説否定であって虐殺否定ではない」主張を批判するのは、30万人説を批判するそのしかたが否定論のそれと変わらないからである。
何度か述べてきたことだが、「30万人が犠牲になったと考える十分な証拠はない」ことと「30万人説はまちがっている」こととは異なる。

ちなみに後者のエントリは、眞鍋かとり氏がコメントする数日前に上げられている。そこでApeman氏が犠牲者数を答えなかったことをもって「論破」されたと考えたのはどこの誰だろう。


そして他の愛読者は、こうしたツイートを読んでもリツイートやファボするばかりで、いさめている様子はうかがえない。
それどころか、ShoulderbyShiga氏などは情報を「桶狭間足り得るかも」と喜んで、それを実際に相手の過誤として反駁につかいはじめている。

urotaetaro氏のように、「歴史修正主義*7を批判すべきと主張しながら、戦争犯罪の犠牲者数に答えなかったことを「脆弱」と評するような人物もいる。

こうした愛読者のふるまいは、もはやApeman氏とガメ・オベール氏の対立を超えて、はっきり戦争犠牲者への加害であるといわざるをえない。


ほりおこせばApeman氏も個別には過った発言をしているはずだ。その辛辣な言葉づかいそのものを問題視する人もいるだろう。
しかし愛読者はガメ・オベール氏の主張を信じてか、集団での嫌がらせがApeman氏の問題だと考えて、それを探そうとしている。
結果として、Apeman氏を発端として多くの批判が集まる事例が、おおむね批判されて当然の問題だったという印象を受ける結果となった。
誤解を恐れずにいえば、Apeman氏の批判に明らかな妥当性が見えなければ、はてなユーザーは批判に加わろうとはしないのだろう。
一方、ガメ・オベール氏の愛読者にはそのような抑制が見られない。このままでは、さらにひどい展開になりかねないと懸念しているが……

*1:戦犯ゴボウ問題という都市伝説を疑うことは、BC級戦犯裁判は本当に不当だったのかと懐疑する意味がある - 法華狼の日記

*2:2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版で「いろいろと尾ひれがついて流布していることは承知していますから、こちらも最初から悪意を疑ったわけじゃありません」とコメントしている。

*3:連投を始める以前の状況を確認するには、たとえばツイッターの検索窓に「@apesnotmonkeys since:2014-09-17 until:2014-09-19」と入力すればいい。何の前触れもなくガメ・オベール氏が被害を訴え、その主張に愛読者が乗ってApeman氏への非難が殺到したことがわかる。同時期にApeman氏がガメ・オベール氏を批判するエントリを上げたのは、あくまでその結果だということも日付から推測できるだろう。3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

*4:ねこびと日記: ゴボウ譚とコミュニケーション能力 (ver1.01)

*5:反駁できそうな情報を集めることを優先すれば読解力を失っていく先行事例として、ガメ・オベール氏の愛読者には良い反面教師になるとは思うが。「はてサ」の「ウォッチ」すらできないウォッチャー - 法華狼の日記

*6:引用分は山本八平を誤記している。

*7:私自身はさまざまな考えにより「偽史」という表現を使うようにしているが、今回は引用の意図もあって、あえてエントリタイトルに用いた。

『世にも奇妙な物語'19雨の特別編』

奇妙な味の短編ドラマを見せる、土曜プレミアム枠で恒例のオムニバスドラマ。
www.fujitv.co.jp
前回*1につづいて30分枠の短編5作だが、今回はタモリの登場するブリッジでも小さなドラマが展開。各編に呼応する台詞をタモリがゲストキャラクターへ投げかけて、最終的にゲストキャラクターも各編の主人公と同列の立場に組みこまれる。
特にすごい内容というわけでもないが、そこそこメタフィクションっぽさもあり、閉鎖環境サスペンスとしてもまとまっていたので、嫌いではない。


「さかさま少女のためのピアノソナタは、音楽コンクールに挑戦する青年たちが、間違えると二度とピアノを弾けなくなる楽譜に出会い、奇妙な顛末をむかえる。
ファンタジー設定で本格ミステリを展開する北山猛邦の『千年図書館』が原作だという。実際、楽譜を逆さにして弾くという講義で語られた豆知識が、伏線として作用するあたりはミステリっぽさを感じた。
また、すべてを音楽にかけた人生こそが呪いであり、呪われた楽譜がそれを中和するような展開も意外で面白かった。弾いている間に全てが静止する楽譜の設定も、映像作品として純粋に楽しい。
ただドラマオリジナルらしいオチは、蛇足でしかなかったと思う。無理にモヤモヤを残そうとして、むしろありきたりなオチになってしまうことがこのシリーズの悪癖だ*2


「しらず森」
は、夫と不仲になった女性が実家に戻り、かつてよく遊んだ神社の森へ息子をつれていったところ、神隠しにあってしまう……
ホラーっぽさを強調した前半から、ハートウォーミングな後半へと、ノスタルジックなドラマを展開。時空を超えるネタはベタだが、子供のころ埋めたタイムカプセルでSFっぽく見せる。
原作は未読だが、原作者の初めての短編だという。インタビュー*3によると「スコシフシギ」を意識したそうで、いわれてみると藤子F短編の『山寺グラフィティ』等に近いところがあるかな。
特に目を引く内容でもなかったが、安いVFXも粗の出ない短さで、このシリーズに期待される内容はあったかな。特殊メイクのような神主の風貌も印象的。


「永遠のヒーロー」は、怪人に対抗してヒーローが警察の一部署として活躍する世界の物語。ヒーローの家族とのコミュニケーション不和から、世界の真実が暴かれる……
トップ成績のヒーローとして郷ひろみが主演。撮影場所やヒーロースーツの造形は東映特撮っぽい。そこがメインの物語ではないし、技術力を上げている本家に比べると安っぽかったが、それなりにパロディとして楽しめた。
ヒーローの周囲に隠された真実も、押井守を連想させつつも、意外と本家のヒーロー特撮でもやりかねない内容。ただ30分枠で二重のどんでん返しが凝縮されて、不条理劇としてけっこうよくできている。
どんでん返しによってヒーローの意味が消えるのではなく、現実を虚構が支えるという構図が強化されていくところも、タイトルに象徴されるヒーローテーマのドラマとして、不覚にも感心した。


「大根侍」は、バスケ部の先輩に恋する女子マネージャーが、先輩が好きなブリ大根を作ってアピールしようとしたところ、侍に因縁をつけられる……
大根を刀とする侍が現代社会にそのままいて、鞘当てから女子マネージャーが決闘することになり、そのまま大根の剣術をおさめて戦いにいどむ。
シリーズで毎回一編はあるシュールギャグコメディ。大根を刀に見立てた殺陣を、ちゃんと説得力あるように描写できていたのは良かった。下手をすると「永遠のヒーロー」よりもアクションに見どころがある。
ただまあ展開は予想を一歩も出ないし、シリーズいつものリフレインオチなので、主演の浜辺美波*4の可愛さしか印象に残らなかったな……


「人間の種」は、プロポーズされながらひとりで仕事をつづける日々をつづけようとする女性のところに、人間のように育つ植物があらわれる……
シュールなようなホラーなような、位置づけの難しいファンタジー。奇妙な植物を育てる描写が、人間を育てる設定となって、そのまま家族を作ることのリハビリとなる。
そして植物の正体は主人公が失った母であり、母を幼子から育てることは主人公自身を育てなおすことに通じる。
このシリーズの近年の水準からすれば悪い内容ではないと思うが、ファンタジー設定で時間を超えて自分と家族の過去に向きあう物語が「しらず森」と丸かぶりしていて、ドラマとしての雰囲気も似通っている。
まったく新味のないエピソードをクライマックスにもってこられたことで、期待外れという印象を持たざるをえなかった。子供が地面に埋まっている序盤の描写などは悪くなかったのだが……

*1:『世にも奇妙な物語'18秋の特別編』 - 法華狼の日記

*2:前回でいえば「幽霊社員」。

*3:思い出は満たされないまま 乾緑郎|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー

*4:実写版の『咲-Saki-』や『賭ケグルイ』の主演をつとめていて、奇矯な漫画的キャラクターを実写で成立するように演じられる女優という特性を活かした配役とはいえるか。

『ジョジョの奇妙な冒険』Adventure.3-銀の戦車&力

DIOのいるエジプトに向かった一行だが、飛行機が墜落して海面に不時着。通りがかった輸送船に逃げこむも、そこには人の気配がなかった……


まず後半から結末までOVA化された『ジョジョの奇妙な冒険』第3部を、あらためて前半をOVA化。

1993年にOVA化されたのは6巻分で各話40分。比べて2000年にOVA化されたのは7巻分で各話30分。1993年版でもいくつかの描写を削らざるをえなかったのに、戦う相手の数も多い2000年版は大きく構成を変える必要があった。
まずサブタイトルにも登場しないタワーオブグレーは、飛行機を墜落させただけで、本体も前話*1の結末にそれらしき人影が映るだけ。原作を知らなければスタンドの仕業ということすらわからない。さらにチャーター船で攻撃してきたダークブルームーンは完全に削除。
難破からではなく墜落から輸送船上で戦う展開となり、船上戦がつづくという原作のロードムービーらしさを排したかわりに、スピーディーでテンポが良くなっている。


そして、原作では香港で登場したポルナレフが、OVAでは輸送船上にひとりいる謎めいた男として登場。最初から敵ということが明確なので、そのまま戦いに移行して、サスペンスを弱めない。ストレングスの存在を隠すミスディレクションとしても効果をあげている。
ポルナレフを倒した後、輸送船そのものが敵スタンドのストレングスとわかっていく。ここはほとんど原作と同じ描写を、ていねいなメカ作画で充実したアクションシーンとして楽しませる。
そして承太郎たちが追いつめられたところで、起き上がったポルナレフが一刀両断という新展開。ポルナレフが仲間になったことを、原作よりたよれる存在として鮮烈に印象づける。


さらに、原作通りにポルナレフの復讐心が語られた結末で、第1巻*2から登場していたDIOの側近の美女が、その関係者だという驚愕の設定が明かされる。
いや、原作にも同じ立場の側近は登場していたのだが、恐ろしさや醜さとともに愛嬌も感じさせる小柄な老婆だったのだ。年齢的に主人公たちと対等な外見を与えて、さらに序盤からくりかえし登場場面を足すことで、2000年版で倒すべき中ボスとしての風格が生まれた。
なるほど、すでにラスボスのDIOを倒すエピソードまで作られた以上、前半までのOVA化にはそれなりに倒すべき存在感の敵を新たに作らなければならない。それを原作からアレンジして印象づけ、うまく関係性を当てはめた。
1993年版と比べて2000年版の評価は低いのだが、こうした最小限のアレンジを重ねて全体の構造を媒体にあわせた作品は嫌いではない。厳しい制限のなかで工夫して、それがけっこううまくいっていること自体に好感が持てるのだ。

『ジョジョの奇妙な冒険』Adventure.2-法皇の緑-

祖父と仲間との戦いによって牢屋を出た空条承太郎は、ひさしぶりに学生らしく登校する。そこに群がってきた女子学生が、不審な行動をとりはじめ……


OVA第2巻は、DIOの尖兵として襲ってきた花京院との対決と救出までを30分かけて描く。2014年のTVアニメ版では対決の決着までしか描かなかったので、やや展開は早め。

物語はほとんど原作通りだが、DIOに操られた花京院の粘着質な奇行を大きく削って、キッチュな印象が弱まっている。保健室にも行かず、原作の養護教員の役割りを冒頭で登場した女子学生のひとりが担当。戦いの舞台は、石段上の鳥居を通った竹林のなかで、つまりハイエロファントグリーンの「緑」をアニメとして強調している。
ホラーエピソードとしての味わいは後退しているが、アクションは当時のOVAなりに良く動いている。尺が少ない中で承太郎が命がけで花京院の洗脳を解く描写もていねいで、少年漫画のアニメ化としては順当なところだろう。