法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ずいぶんひさしぶりに揶揄表現としての「おタッキー」を見かけた

公文書にもとづくメディア研究で知られる早稲田名誉教授の有馬哲夫氏は、近年になって極端に保守的な歴史観をあらわにしている。

そして同じく真面目な経済学者と思われていたJ・マーク・ラムザイヤー氏による慰安所制度論文*1を擁護する数少ないひとりとして*2、外国人研究者の日本語能力を低評価していた。


ハーバード大学入江昭教授がいることはよかったのですが、ゴードンはねー。読み比べてみてくださいスケールが違うから。ゴードンの書いているものは、アメリカの学部生のレポートを思わせる。おタッキーな趣味でかいている。もっと日本語勉強すべき。

「オタク」という表現ならば自嘲的な自称としても揶揄的な他称としても見かけるが、「オタッキー」という表現はあえて死語をつかうライトなやりとりくらいでしか見ない*3

おそらく有馬氏は、偏執的な態度への揶揄として「おタッキー」を選択している。サブカルチャー愛好への蔑視や、社会になじめないという偏見*4にもとづく蔑視ではなさそうだ。
もっとも「趣味」という表現から、偏執的であっても体系的ではないという意図をこめた批判なのかもしれない。ディテールにこだわりコンテクストを軽視しがちなことは「オタク」の独自研究でありがちな欠点とは自戒をこめて思う。
しかし誤りの指摘に対して、それが細かいディテールにすぎないと反論するだけでは、無視していい理由にはならない。たとえばコンテクストにもとづいて解釈することでディテールの問題でもないことを明らかにするような手続きが必要だ。


思えば数年前も日本軍慰安所制度の研究において、取材や引用の甘さを批判する左翼を「オタク」と揶揄する保守派の雑誌記事が存在していた。
「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという - 法華狼の日記

「左」や「右」という立場に依らず、新しい視点で問題を考えようとする朴氏の姿勢は、真摯なものとして十分に評価できるだろう。もちろん批判を加えるのは自由だが、引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応でしかない。自ら考えることはせず、最初から「糾弾する」という答えだけが用意されている。

このくだりには驚かされた。
どれほど妥当な研究であったとしても、「引用や取材の甘さ」があれば批判されるのは当然だ。そうして指摘された問題点に反論し、あるいは修正することで研究は洗練されていく。なのに批判の妥当性を個別に検証せず、無根拠に「糾弾」と反駁してしまうのは、それこそ答えを用意した態度とはいえないか。

研究者と研究者の争いにおいて、追及する側の偏執的な態度を指摘しても、それは追及される側の擁護にはなるまい。むしろ追及される側の甘さをきわだたせかねない。
ならば追及する側としては、いっそ「オタク」という他称を誇ってもいいかもしれない。もちろん誇らずに怒ってもいいが。

*1:後述する別研究者と同じく引用や取材の甘さがよく指摘されているが、ゲーム理論を机上の空論のように当てはめた結果、むしろ被害規模が広がりかねないのではないかという疑問をおぼえている。 hokke-ookami.hatenablog.com

*2:ラムザイヤー氏は注目された当初から不適切な引用として国内外の著名な経済学者からも批判され、さらに異なるテーマの研究でもさまざまな問題点が指摘されたためか、右翼や保守も正面から利用することが少ない。能川元一氏が具体的にメディアの受容を指摘している。

*3:リンクしている書籍の著者名は1997年の出版時に見た時点で古臭い印象があった。

*4:個別には偏見でないこともあるだろうが、それは必ずしも他者の人権を侵害する問題ではないだろうし、それだけで蔑視していいという結論にはならない。

自衛官の骨ぜんぶ折る

【独自】「お前の骨。一本一本折ったろか?」自衛隊パワハラ 壮絶な音声入手【調査報道23時】|TBS NEWS

「落とし前つけろって。つけるのか、つけんのか。どっちや!!」

これは男性自衛官が上官との電話を記録した音声だ。

〈上官の声〉
「死ねや。殺したる。鼻の骨も頭蓋骨も折るよ。なあ、全部折る。お前の骨。一本一本折ったろか?全部」

上官は40分間にわたり延々と暴言を続けていた。自衛隊の内部で起こったパワハラ事案。

池ならば、水をいったん抜くことが再生を助けることもある*1。しかし心は、一度ひび割れれば二度とは……

また、報じられている罵倒文句の凄惨な表現を見て、連合赤軍のリンチ事件を連想したりもした。あたりまえだが共産主義や革命思想はリンチにいたる必要条件ではない。
連合赤軍もそうだったように、上下関係が明確化された閉鎖的集団で形式的な秩序を強要することこそ、おそらくリンチにいたる歯止めをなくす要因なのだろう。

*1:TV映えするビジュアルを優先するようになった手法などには異論も出ているが。

たしかに世田谷区は新型コロナ感染者数が最多かもしれないが、それだけで区長が最悪という評価は間違っている

維新の会で区議の稗島進氏と参議員の音喜多駿氏が、世田谷区のPCR検査拡充政策をコストのわりに効果がないかのように批判していた。


5億円以上の税金を使い、発見できた陽性者はわずか27名(!)。世田谷区長の思いつきPCR検査拡充がいかに刹那的で無惨だったか維新・ひえしま区議(行革110番会派)の質疑で明らかに。環境整備もないむやみな検査拡充が招く帰結は明らかであり、国や他の自治体もこのような失政を真似てはなりません。

世田谷モデルに使われた税金は総額5億4200万円。32338件実施したうち、陽性者はたった27件。ひえしまの質問で明らかに。詳細は動画をご覧下さい。0:38:17あたりから。
http://www.setagaya-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=5818

はてなブックマークを見ると当然のように多くの反論がされているが、id:preciar氏が「世田谷区の感染は都内最悪レベル」とコメントしていた。
[B! COVID-19] 音喜多 駿💉💉(参議院議員 / 東京都選出) on Twitter: "5億円以上の税金を使い、発見できた陽性者はわずか27名(!)。世田谷区長の思いつきPCR検査拡充がいかに刹那的で無惨だったか維新・ひえしま区議(行革110番会派)の質疑で明らかに。環境整備もないむやみな検査拡充が招く帰結は明らかで… https://t.co/uKEoBaVwpn"

preciar すげえな。毎回数千万の予算でガタガタ言ってる連中が、区の予算レベルで5億をドブに捨てた挙句にろくな成果も上げられなかった(世田谷区の感染は都内最悪レベル)施策を誉めるのか。本当に頭悪いんだな

しかし単純な事実として、世田谷区は東京23区で人口が最多である。感染者数は多くとも、感染者率で見ると世田谷区は中間くらいだ。
東京都内の新型コロナ感染状況まとめ:東京新聞 TOKYO Web

f:id:hokke-ookami:20210922205549p:plain

上記の9位という順位はけして良くはない。しかし他区より多く検査する政策をとって、感染者をほりおこしているなかで、そう極端にひどい数字だとも思えない。


世田谷区の新型コロナ対策が極端に悪いかのように評価されている問題は、インターネットで注目されている医師にも見られる。


ワクチンの接種率、墨田区千代田区台東区などが素晴らしい。
特に墨田区はとびぬけて優秀な接種率を叩き出しています。

それに対して世田谷区……
なんでこんなに低いんだよ。
世田谷モデルとか言ってる場合じゃないでしょ……

自治体によって接種スピードに差が出るなぁ……


お前が、接種券を、若年・中年層に、いつまでたっても、送らなかったからだろ!!!接種券さえあれば大規模会場で接種できたのに世田谷区民はそれさえもできず、それを見かねて楽天が接種枠を開放してようやくこれなのに、自分の失政をさも国の責任のように語るな😭😭😭

上記のツイートに対しても、接種速度でけして低い順位ではないことをid:rgfx氏が指摘している。
[B! COVID-19] sekkai 💉fully vaccinated on Twitter: "お前が、接種券を、若年・中年層に、いつまでたっても、送らなかったからだろ!!!接種券さえあれば大規模会場で接種できたのに世田谷区民はそれさえもできず、それを見かねて楽天が接種枠を開放してようやくこれなのに、自分の失政をさも国の責任… https://t.co/N2nYhlppzA"

rgfx その割には世田谷区は結構上位ランクに居てたりするʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ  https://twitter.com/s0ftqbejbezhk2s/status/1439199975976542215

紹介されている「小学生の父@s0ftqbEJBEzhK2S」氏のツイートを追えば、世田谷区のワクチン接種率は安定して中位にいる。
nou-yunyun.hatenablog.com
それなのに最も遅いかのようなデマが流されつづけている。何度か強く批判されているが、消し去るにはいたっていない。
b.hatena.ne.jp


そもそも東京23区の新型コロナ対策について、どこまで各区ごとに評価できるだろうか。
先述した感染者率グラフを見ても、突出した一部をのぞいて、政府や都の責任を超えるような大差は感じられない。おおむねワクチンも順次接種できて、速度があがっただけで供給が追いつかなくなって予約とりけし等の混乱が起きた。
さらに各区長が集まる特別区長会では新型コロナも議題になっており、さまざまな政府への要求や批判がおこなわれ、知見も共有されているふしがある。
大規模接種センターでの接種情報を東京23区がリアルタイムで共有できなさそうな問題について - 法華狼の日記

5月18日、特別区長会で会長をつとめる山崎孝明氏がおこなった記者会見で、保坂氏の認識を裏づけるくだりがあった。
どうする接種の二重予約 江東区長「教えてよ」と逆質問 [東京インサイド]:朝日新聞デジタル

「(センターの)国の方で打ったと区にリアルタイムでデータが送られてくるならまだしも、送られてこない」と国のシステムに不満を示し、「(国が)『余ったものの利用は地方自治体の長に委ねる』とか言ってくれれば、そりゃうまいこと考えますよ。だけど、それすらない」と強調した。

この発言により、大規模接種センターの情報がリアルタイムで共有できないことは、保坂氏一個人の誤解などではないことは確定した。

世田谷区が目立つのは、区長の保坂展人氏がツイッターをつかった情報発信に熱心なことと、おそらくPCR検査拡充などで国政を批判して反感を買っているためだろう。
実際にはNHKが東京23区にワクチン接種状況をアンケートした時も、19区が国の供給体制への批判と要望を書いていた。先述の予約とりけしに追いこまれたりしたためだ。
www.nhk.or.jp
よく対比的に賞賛される墨田区も、要望こそ記載していないが、供給不足により集団接種会場を減らしたことが説明されている。ちなみにPCR検査の対象も、以前から国の政策より範囲を広くしている。
www.asahi.com


もちろん各区ごとの政策は評価されてしかるべきだし、区長をはじめ自治の責任は問われるべきだ。個別に見れば固有の問題が批判されることもあるだろう。
しかし現状では、実質以上の差異を見いだして対立させるように競わせているように見えるし、それが政府などの大きな責任から目をそらさせているようにも見える。

『楽園追放 Expelled from Paradise』

多くの人類が人工衛星内の電子情報となり、能力に応じて容量をあたえられる近未来。その高度な電子技術を廃墟化した地表からクラッキングし、メッセージを送る謎の存在がいた。
その存在の調査を命じられた女性アンジェラは、意識を入れるクローン体が充分に成長しないまま、同僚を出しぬいて地表へ降下する。少女姿のアンジェラは地表の協力者ディンゴと調査をはじめるが……


東映が脚本家の虚淵玄をむかえて作った、完全オリジナル長編3DCGアニメ。監督も東映初参加の水島精二がつとめて、2014年に公開された。

同時期に東映で3DCG映画として制作されていた『聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY』より低予算で省力して完成させることを目指し、単館系で上映されながらスマッシュヒットを飛ばした。
hokke-ookami.hatenablog.com


デザインもストーリーもSFアニメとしては手堅くて冒険は少ないが、かわりに制作体制は実験的。
まず東映のプロデューサーが神林長平トリビュートの短編を読んで、脚本家を起用したとのこと。つまりTVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』が放映される以前だ。企画中に脚本家が客を呼べるブランドになったかわりに多忙になり、完成まで時間がかかった一因になったという。
キャラクターデザイナーの齋藤将嗣も、ゲーム会社所属だがPixiv作品を見て抜擢された。


3DCGの実制作ではコンペがおこなわれ、GONZOから派生したグラフィニカが起用された。新人育成やワークフロー構築も目標だったらしい。
映像ソフトブックレットで細かいシーンを担当した個人スタッフの名前があがっているところが、3DCG作品では珍しい。同じモデルをつかうなら絵柄は変わらないので手描き作画ほどスタッフの癖が良くも悪くも出にくいが、芝居の細かさなどを紹介する面白味があったし、実際に担当をつづけていると垂れ眼になっていって顔立ちまで変わっていったというエピソードも興味深い。
主人公のアンジェラについては、3DCGで長いツインテールデザインは難しいという意見もあったらしいし、当初のシナリオでは髪を切るドラマからショートカットに変わる予定だったという。段取りくさくなるのでやめたようだが、結果的に最終決戦での似たような美少女デザインの敵パイロットと映像で差別化できていた。


演出については、映像ソフトブックレットによると、まず序盤のロボットアクションをパイロットフィルム的に完成させて、技術的に達成できる目安をさだめつつ、本編を制作しながら『交響詩篇エウレカセブン』の京田知己を演出としてひきいれたのだという。
道路が直角に走り垂直な高層ビルが林立する廃墟という舞台設計は単調だが、戦闘シーンを適度にわかりやすく演出するには最適。高架など上層でのヒロインの戦闘と、地上を走りまわるヒーローの戦闘が並行しつつ交差する。
ただし、前半に状況を説明する長い会話はカメラを動かさず、奇をてらった構図もつかわず、芝居も単調なので退屈に感じたのが正直なところだった。映像ソフト付属ブックレットを読むと制作側は意識的に冒険していたとわかるが、残念ながら成功しているとはいいがたい。自動車で移動しながらの会話なので、せめて風景で変化をつけられなかったか。
クライマックスで指導者三人へ話す場面も少し不満がある。精神体にもどったアンジェラが若い姿をしている説明がほしい。この段階の少女姿は地上で急いで活動するための暫定的な肉体という意識であり、電脳空間では冒頭の高年齢の姿になるのが自然だろう。せめて三人の誰かが奇妙さを指摘して、設定上の不自然さを制作者は自覚していると示してほしかった。ただ、ここではじめて会話で大きくカメラワークをつけた効果は感じられた。


物語はSFとして素直にまとまっていて、新鮮味はないが実直にまとめている。映像制作で冒険しつつ完成させるなら、物語は手堅いくらいでちょうどいい。
どんでん返しは予想外というほどではなく、脚本家が多用する「実は人間だった」「実は人間ではなかった」パターンの範疇。どんでん返しとして多用すると驚きが減じるが*1、ドラマをささえるだけの強度は感じられた。設定的に人間の境界線を侵犯することを、対立する他者との関係を見つめなおすギミックにする。そういう作家性と受けとるべきだろう。
三者三様で別々の道を進む結末はちょっと意外で、かつ考えの異なる他者への敬意が感じられて良かった。ただそのように電脳世界の統治者の選択をも否定しないことを描くなら、アンジェラが決別するクライマックスにもう少し葛藤はほしかった。せっかく異なる三つの人格があるのだから、たとえば一人が主人公に反対し、一人が賛成し、もう一人が保留で、最終的に多数決で反対という結論になる……といった過程を描くだけでも違ったと思う。

*1:映像ソフトブックレットによると、制作側も展開の驚きなどは重視していなかったとのこと。

『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』

ナチスドイツに対して講和か開戦か選択にゆれる大英帝国。挙国一致内閣の新たな首相としてチャーチルが妥協的に選ばれた。
異常なまでに抗戦を叫ぶチャーチルは評価されず、王や政治家は政権交代後のナチスドイツとの講和に向けて動き出すが……


『つぐない』のジョー・ライト監督による2017年のイギリス映画。特殊メイクを担当した辻一弘アカデミー賞を獲得したことで知られる。

「Darkest Hour」という原題からは「イギリスのいちばん長い時」みたいな邦題がわかりやすいのではないかと思ったが、最終的にこの邦題で納得できた。
全体として『日本のいちばん長い日』*1より『ヒトラー 最期の12日間』*2を思わせる作り。
やはり人名ではない「Der Untergang」という原題の『ヒトラー 最期の12日間』は、ヒトラーよりも秘書の視点が多い。同じように、チャーチルにつかえたタイピストを客観視点として配置している。
ヒトラーの有名な一幕のように、部屋から皆をチャーチルが追い出すくだりもある。激怒するヒトラーに対して、気弱にふるまうチャーチルがおかしい。そしてどちらも大量に舞い散る紙が物語をしめくくる。
ただし、この映画は群像劇的に俯瞰したつくりではない。さまざまな第三者の視点をつかいながら、物語の中心はどこまでもチャーチルひとりだ。


講和側の政治家と関係が深くてチャーチルと対立していた王の心変わりは、『英国王のスピーチ』とその批判報道を思い出して*3、立体的に歴史をとらえられた感覚があった。
ただ残念ながら、この映画だけでは王の変心は描写が足りない。そもそもナチスドイツの恐怖が前提視されて描写が足りない問題はどちらの映画も同じで、映画単独では抗戦派よりも講和派が冷静で理知的に見えるのも難点ではあった。後述のロンドン市民が見せる反ナチス感情も、その世論の背景はまったく描写がない。
通説と伝説の差分、さらにそれぞれの印象的な豆知識から、どこを抽出してどう裏返してどう連結するのか……それが歴史を題材にした作品の読みどころだろう。残念ながらチャーチルについてとっかかりになる知識が足りず、どこで意外性を感じればいいのか、どこで説得力を感じればいいのか、全体的にわかりづらかった。解釈の前提となる歴史の情報が、通説であれ伝説であれ、劇中で充分には説明されていない。
一応、チャーチルの演説に内実がともなっていく流れはわかる。チャーチルは対独徹底抗戦がたまたま時代にあっただけで、他の政策は好戦的な発言もふくめて失敗つづき。しかし何度も真俯瞰で群衆や戦場を見下ろした映画で、後半にチャーチルもひとり真俯瞰で映される。それから自動車通勤で窓越しに市民を見るのではなく、地下鉄で市民ひとりひとりに出会い*4、声を聞いていく。
チャーチルという偉人の超人的な政策で勝利したのではなく、あらゆる意味でたまたま風変わりな男が時代の波に乗ったと解釈するべきなのだろう。結末で流れるテロップが、第二次世界大戦勝利の直後に総選挙の敗北で退陣したというあたり徹底している。


そんなチャーチルの特殊メイクは、さすがアカデミー賞を受けるだけはある。クローズアップで違和感のない皮膚は、強い照明をあてても映像の調整が不要だったという*5。俳優の芝居でも肌のたるみや肉の量感を感じさせる。
歴史映画としては、当時を再現するVFXやセットはよくできているが、基本的には背景で、あまり広々とは見せない。いかにもイギリスらしく精緻なドールハウスのような世界を切りとる。政局で話題にのぼりつづけたダンケルク脱出*6も、かきあつめた大小の船団が海原をすすむ1カットで終結。戦闘描写もほとんどなく、あえて作り物のように見せてから、人体と連続させるような演出をしたり。
出てくる食事の多くが朝食で、カリカリに焼いたベーコンに目玉焼きなど、どれも美味しそうなところも興味深かった。何を見せるのかという演出の判断で、イギリスは朝食に力を入れる食文化ということを実感する。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:hokke-ookami.hatenablog.com

*4:葉巻をくゆらせながら赤子に声をかける描写で時代を感じると思ったら、エンドクレジットで断り書きらしいテロップが流れた。また、市民のひとりに黒人と思われる男がいるが、これは当時のロンドンにも少数ながら間違いなく存在したし、時代の変化によって正確な描写が可能になったと判断するべきだろう。

*5:監督オーディオコメンタリーの開始27分ごろ。

*6:『つぐない』で海岸の様子を1カット長回し1テイクで撮影していたことが印象深い。