法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

”英文資料だけ使った研究は読めたものではない”という主張に“そんなものを主たる情報源にしない”と返答すると、ガメ・オベール氏の愛読者は”英文資料を読む気がない”と解釈するようだ……

ツイッターでko_mutsuki氏がエントリタイトルのような解釈をおこなっていた。

くわしくは後述するが、ko_mutsuki氏は「英文の資料だけにあたって書いた研究者の本」と「英文の資料」を混同してしまっている。


当然のように、見当違いな解釈から「会話になっていない」と評されたid:Apeman氏も反駁していた。

しかしko_mutsuki氏のツイートを他の愛読者は批判せず、むしろ重要な論点のようにツイートし、それをko_mutsuki氏がリツイートしている。

「見当違いにはならないだろうと思う」とko_mutsuki氏が自説に確信を持てていないようなことが、せめてもの救いと思うしかない。


幸いにもブログでツイートをまとめていたので、その救いにかけて説明するコメントをこころみたのだが、不正な投稿と判断されてしまった。
06/20のツイートまとめ - project Ko_m
おそらく下記エントリで説明したようなFC2ブログ全体の厳しい規制に引っかかってしまったためだろう。管理人の意図によるものとは思わない。
FC2ブログの「不正な投稿」の条件の厳しさを忘れていて困った - 法華狼の日記
しかし、いったん規制に引っかかると再投稿が難しいと判断できるため、投稿した文章を公開と記録のために下記に転載しておくことにした*1

初めまして。


ガメさんのブログが好きでいつも読んでいる人でも、ゴボウの話をどう取るかは異なる。 (↓先日、統一しろと言われたw https://twitter.com/apesnotmonkeys/status/1140474794246205440?s=20 … )

そこで指摘されている問題は、ただ多くの解釈が成立するというものではないでしょう。
複数の解釈がたがいの反論として成立するような矛盾をかかえているのに、複数の解釈者がその妥当性を争うことがない。あたかも、ガメ・オベール氏を否定評価しないことが解釈の正しさよりも優先されるかのように……
これは、フロイトのいう壊れたヤカンという寓話を思わせますね。より具体的な事例でいえば、歴史上の虐殺事件の死者はいなかったという主張と、歴史上の虐殺事件は正当な処刑だったという主張が、たがいに争わず史実を攻撃する根拠として用いられるのを見かけたりしますね。


 

実際の出来事を書いたようにも受け取れるし架空の話とも受け取れる。

エッセイは事実に対する感想を述べるもので、虚構への感想の場合はそれと明示するのが一般的だと思いますが、たしかに報道や論文ほどの厳密さは求められません。
ゆえに、もし架空もしくはあいまいな記憶の話だったとガメ・オベール氏が答えるか、もしくは質問を黙殺していれば、これほど尾を引くことはなかったとは思います。
ガメ・オベール氏の主張全体が寓話という解釈がなされなかったのは、後述のように独立したエントリやコメント欄においても文献の実在性や史実性を主張したことが原因でしょう。そうしたエントリやコメント欄におけるガメ・オベール氏の主張をひっくるめて、最初から虚構として読める表現になっていることを示せなければ、「寓話」説は成立しません。
実際のところ、たぶん初期に「寓話」説をとなえたchikurin_8th氏は、事実経過を歪曲したかたちでしか自説を適示することができていませんでした。


 

嫌われてマジメな返事をもらえなかったりすることは覚悟した方がいいし、そのことは筆者を責める理由にはならない。

質問ですが、ガメ・オベール氏が承認しなかった理由を語るさいの表現は、後述のように「無礼」や「失礼」ではないとしても、責めるべきではない言葉づかいだと思われますか?
具体的には「失礼なブタ野郎コメント」「失礼なクズ野郎」「本人が頭が悪いだけかしら」「失礼なマヌケ」「頭がいかれておる」「アホかよ」「おまえのチンコ頭」「ボケ」という表現ですが。
同日のApeman氏のブックマーク上のコメントを考慮してなお、「マジメな返事をもらえなかったりする」を超えた内容だと私は思います。


 

私が「いちばん最初が間違ってる」と思うのはここ。もしも歴史修正主義が広がることの危険性からゴボウの話を広めたくないという意図で、筆者に何か言いたかったのなら、「根拠を示せ」ではなく自分の危惧を伝え

Apeman氏の最初のコメントは「根拠を示せ」という要求というよりも、単純に資料を求めての質問に見えます。Apeman氏は都市伝説の源流を追っていましたから。実際に同時代、Apeman氏は本当に裁判記録が出されればそれはそれで良かったという意味のコメントもしていました。
むしろガメ・オベール氏のエントリが「歴史修正主義」への加担につながると指摘するよりも、質問だけの穏健なコメントといえるのではないでしょうか?


 

そもそも検証しようとしている内容が「ゴボウを食べさせたことだけを理由に死刑にされた人はいない」である時点で誤認がある。「ゴボウを分け与えたせいで戦犯として死刑を言い渡された」という言葉は「ゴボウだけを理由に」と限定しているわけではない。

少なくともガメ・オベール氏の「誤解」というエントリは、その解釈で成立するとは思いません。
「些細な誤解が時にいかに重大な結果を引き起こす」という主張の根拠となる唯一の因果関係として記述され、その因果関係こそが物語としての起承転結を構成しているわけです。
もし現実の戦犯裁判のようにゴボウとは別個に日本兵が明記されざる虐待をしていたならば、「日本の誠実な若者の姿」は誤解などではなく邪悪のなかのひとかけらの良心というべき「寓話」でしょう。また、他で虐待していたなら、有罪となった時に「自分の善意というものを、どれほど呪ったことでしょう」と日本兵が考えることは、ただの身勝手になりませんか?


 

こうした誤認による批判・追及は 「『ゴボウ』伝説、再び」記事の後半でも触れられている靖国の件が酷い。 「ついでに国民のほうは~、ボケ」というガメさんの文はそういう意味じゃないよね。
(ゴボウ本筋から離れすぎてて面倒だから誰か説明してあげて🙇)

明らかな誤読をして、誤読したことが丸わかりのコメントつけて

よくわかりません。説明するのが面倒ということは、誤読だとしてもそれが明らかではない、丸わかりではないということではないでしょうか。いや自明ならば説明は逆に難しいとは思いますが、さすがに自明とまでは主張されないでしょう?
そもそもApeman氏のブックマーク上のコメントは「へぇ。それ誰のこと?」と問いかける一言だけです。もちろんこのコメントは修辞疑問と解釈できますが、それゆえに「誤読したことが丸わかり」とは思えません。
「ボケ」と呼ぶべき日本人が実際には存在しないという逆説がガメ・オベール氏の文章から読み取れないかぎり、Apeman氏のコメントは反語的な問いかけとして成立するのではありませんか?


 

「失礼」や「礼儀」を言葉遣いの丁寧さと解釈する誤認は、twitterで能川さんに抗議すると反論しに現れる人達も同じ。

確認しますが、Apeman氏の「へぇ。それ誰のこと?」という文章が、“その文章で想定されているのはどのような人物でしょうか?”といった文章であったとしても、「失礼」や「礼儀」の程度は変わらないと主張されたいのですね。
では仮に、「明らかな誤読をして、誤読したことが丸わかりのコメント」こそが「失礼」かつ「無礼」であり、それに対して丁寧でない言葉遣いで返すことは正当だとしましょう。
ならば、Apeman氏に対して「明らかな誤読をして、誤読したことが丸わかりのコメント」をされた場合、Apeman氏が丁寧でない言葉遣いで返したとしても正当だということになりませんか。
少なくとも、Apeman氏の立場からはそういえることになるのではありませんか?


 

何故ここでガメさんが「ニセガイジン」にされなくてはならないのか。その説明だけは、どこを探しても見つけられない。

それこそ「明らかな誤読をして、誤読したことが丸わかりのコメント」ではありませんか?
「外人のフリをして保守政治(売国政治)を擁護する」と記述しているのはkamayan氏であり、そのコメント欄においてApeman氏は「彼が自称しているプロフィールを疑っているということではありません」と返答しています。
少なくともそこまでの時点はプロフィールへの疑いをApeman氏は主張していないので、その説明がそこから見つかるわけがありません。


 

はてなにガメさんが載せてたプロフィールを次々変えたので信用ならん」というのを見かけて、それは仕方ないかな(😅)と思ったけど。それも「信用ならん」範囲であって「ニセ」と断じる理由にはならない

それはつまり現時点のプロフィールが事実だとしても、過去にプロフィールを偽っていたことは確かだということになるのではないでしょうか。
(そもそもApeman氏は「ニセ」という表現を国籍を指して使っているわけではなかったと記憶していますが、ここは未確認なので断言はしません)


 

ガメさんは『神を信ぜず』に触れたコメントで「英語だが、読めるでしょう?」と書いている。つまり、それが英語の文献であると言ってる。

すみませんが、「それ」が何を指すのかがわかりにくいです。念のため、「それ」とは「裁判記録」のことですよね? 『神を信ぜず』自体は日本語の文献ですから。
また先述のように、その裁判記録が実在するというエントリにいたっては、「寓話」と読みとることは困難ですよね。ガメ・オベール氏が最終的に大勢から批判されるようになったのは、そこでガメ・オベール氏自身が実在性を主張した結果です。それとも、「英語だが、読めるでしょう?」も寓話だと主張されますか?


 

自分で情報源を示せと言っておいて、ガメさんがそれを英語の資料であると示唆したコメントへの返し

それこそ「明らかな誤読をして、誤読したことが丸わかりのコメント」とは思いませんか? Apeman氏が応答したのは「英語だが、読めるでしょう?」という文章ではありませんよね。
Apeman氏が反論というか当惑しているガメ・オベール氏の文章全体は、「たとえば英文の資料だけにあたって書いた研究者の本は、日本人への無理解にみちみちていて、とても読めたものではないものも多い」というものです。どう読んでも、この文章は「英文の資料だけにあたって書いた研究者の本」への否定評価であって、英文の資料に情報源があるという意味には解釈できません。
逆にApeman氏が「日本語話者である私がわざわざそんなものを主たる情報源にするわきゃないじゃん(笑)」と書いている「そんなもの」も、「英文の資料だけにあたって書いた研究者の本」なる書籍のことであり、「英語の資料」ではありません。
さらに念のため、主たる情報源にしないということと、いっさい情報源にしないということは違います。
もちろん、“英文の資料にもあたって書いた研究者の本”ならばApeman氏は情報源にしていたわけですし、それを援用して米軍資料の違う数字を先に指摘していたという順序です。


 

誰かを「嘘つき」と断定して「ゴボウの嘘」「ニセガイジン」と言いふらし続けることが、いいことなのかどうか。

私なりに調べた情報をブログに書きましたが、誰かに対する否定評価を「言いふらし続け」ているのはガメ・オベール氏もApeman氏と同じか、あるいはそれ以上という感触があります。
言及数から判断するかぎり、アカウントの凍結を呼びかけられるほどApeman氏がガメ・オベール氏へ執着していたとは思えない - 法華狼の日記
それではガメ・オベール氏のふるまいは「いいことなのかどうか」、どう思われますか?

念のため、こうした長文で説明をこころみるコメントをko_mutsuki氏が拒否したとしても、それ自体は自由ではあるだろう。ことばの洪水をワッとあびせかけられた時、待ってくれと止めたくなる感情も理解はする。
とはいえ、文章を短くするためにわかりやすさを犠牲にするわけにもいかない。そもそもko_mutsuki氏のツイート量が多いため、それに対応して私のコメントが長くなったことを理解するようねがいたい。

*1:引用時、引用符およびURLを、はてな記法を用いたものに変更した。靖国神社問題の引用のみ、戦犯ゴボウ問題とは少し違う話題なので文脈がとれないと考えて、「こうした誤認」に始まり「そういう意味じゃないよね。」で終わる文章を追加引用した。また、何度かNGワードを削っての再投稿をこころみたため、より短い文章も投稿したことを断っておく。

FC2ブログの「不正な投稿」の条件の厳しさを忘れていて困った

スパムコメントを避けるために、WEBサービスごとにさまざまな禁止事項が設定されているわけだが、なかでもFC2ブログの条件の厳しさは当惑させられる。
NGワードを公開すれば業者が対応してしまうから隠すのはしかたがないとして、それがやたらと厳しく、短いコメントでもよく弾かれてしまう。
すでに投稿できたコメントを引用した文章も、マルチポストと判断されるのか、弾かれてしまうことがあるという。
時にはブログ管理人自身のコメントが弾かれるそうで、いくら何でも不便すぎないかと思うのだが……


そういう条件の厳しさを忘れて長文を投稿すると、まったく投稿できなくなってしまうことがよくある。
URLの記載を削ったり、NGワードらしき文章を消しても、いったん不正と判断されると条件が厳しくなるのか、それとも連投が問題視されるのか、短いコメントでも通らなくなってしまう。
時間をおいてなら同じ文章でもあっさり投稿できることもあるのだが、急いでいる時などはどうしようもない……

『闇の女王』半村良著

国家への不信感から新たな共同体が生まれつつある日本社会で、東京ジャックなるテロリスト集団による爆破事件が連続する。その裏側では旧家の御曹司による陰謀が進行していた。その旧友の動きを止めるために二人の男が奔走するが……


1979年に出版されたSFファンタジー。しかし明確に架空な科学技術はほとんど登場せず、どちらかといえば社会の変化そのものをSFとして描いた、といったところ。

闇の女王 (集英社文庫)

闇の女王 (集英社文庫)

もとは集英社文庫で出されたエロティックかつ軽妙なサスペンス小説で、現在はKindle化によって手軽に購入することもできる。
せっかくなら古典に流行りの表紙絵をつける流れにのって現代的に改訂すれば、ライトノベルの読者層にもアピールできそうな作品と思えた。
それに御曹司が学生時代に仲間から「姫」と呼ばれ、主人公コンビへ執着する展開から、ボーイズラブの読者層にも興味をいだいてもらえるかもしれない。


物語は、リバタリアニズム作家のアイン・ランドによる小説『肩をすくめるアトラス』*1を思わせる互助会から始まる。しかし主人公コンビが立ちむかうことになるのは、そうした社会利益のための互助会の動きに乗じて、性的な解放を求める闇の互助会である。
社会の不信感に根差したエリートの共同体が、既存秩序との対立のためだけでひとつにまとまるはずがない。似た共同体が乱立し、内部でも対立していくのは現実のアイン・ランドの信奉者も同じ。そこにリアリティが感じられた。


次に、陰謀をはりめぐらす根本的な動機だが、現在の社会観からすると無意味に近い。しかしそれが時代の証言としても意味をもっている……
ネタバレなので、以降は続きを読む方式で。

*1:私自身は未読で、さまざまな紹介で概略のみ知っている。アイン・ランドの再発明かな? - 法華狼の日記

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言及数から判断するかぎり、アカウントの凍結を呼びかけられるほどApeman氏がガメ・オベール氏へ執着していたとは思えない

歴史認識をめぐって約十年前から始まるid:Apeman氏とガメ・オベール氏の対立。私が知るかぎりの当時の状況は下記エントリに書いた。
はてな界隈で人気があったガメ・オベール氏という人物が、何をきっかけに失墜していったかをふりかえる - 法華狼の日記
また、ガメ・オベール氏の愛読者によるid:Apeman氏への非難がひどくなりつづけている現状は下記エントリに書いた。
歴史修正主義をApeman氏らが批判した過去を、ガメ・オベール氏の愛読者はApeman氏らの過誤と主張しはじめている…… - 法華狼の日記
愛読者の現状は偽史への加担という観点から主に批判したが、単純に事実誤認も多かった。Apeman氏が10年近く一方的に嫌がらせをしているという部分からしてそうだった。

Apeman氏が批判ツイートを連投するようになったのは、ガメ・オベール氏や愛読者の側からApeman氏へリプライをくりかえしてからのこと*3。それをApeman氏の一方的な嫌がらせといえるだろうか。

*3:連投を始める以前の状況を確認するには、たとえばツイッターの検索窓に「@apesnotmonkeys since:2014-09-17 until:2014-09-19」と入力すればいい。何の前触れもなくガメ・オベール氏が被害を訴え、その主張に愛読者が乗ってApeman氏への非難が殺到したことがわかる。同時期にApeman氏がガメ・オベール氏を批判するエントリを上げたのは、あくまでその結果だということも日付から推測できるだろう。3分でわかるガメ・オベールQ&A - Apeman’s diary

こうして2014年9月以降は複数の愛読者がくりかえしApeman氏をツイッターで非難をつづけるようになり、アカウントの凍結なども呼びかけられている。


愛読者のひとりsoseki_f氏によると、Apeman氏が長期間にわたってヘイトをつづけているという。下記エントリを読むと、想像の翼を広げるようにApeman氏の心情を憶測している。
ねこびと日記: ゴボウ譚(その2) 〜 ネットを妨げる悪意とデブリ 〜

 だがそもそもネットで10年もヘイトが続くとはどういう状況なのだろうか? 当時の諍いに至る記録はいくつかログとして残っている。だがログをただテキストとして眺めるだけではこの異様さを理解するのは難しい。10年もヘイトを維持したその執念や感情へと思いを馳せる必要がある。

あくまでも私の想像した情景である。だがそれに似たような理不尽なストーリーがあったのではないだろうか。それを踏まえたうえで、次の疑問について考えてみようと思う。

しかし非難の量に応じてガメ・オベール氏や愛読者へ反論している2014年9月以降の段階になると、Apeman氏の側から執着しているとはいえないだろう。
2010年1月に衝突が始まっているので、厳密には現在まででも10年に満たない。ならば5年近く執着しているかというと、その根拠を愛読者が出しているのを私は見たことがない。


Apeman@apesnotmonkeys氏がガメ・オベール@gamayauber01氏へ一方的に執着をしているという認識は、おそらく愛読者にとってApeman氏を批判するに充分な根拠なのだろう。
念のため、対象が批判されるべきであれば熱心に継続して批判すべきという考えもあろうし、問題を起こした人物がすぐ自分の過去を忘れる態度は無責任という考えもあろうが、内容が妥当であれ批判をつづけることを好まない考えもあるだろう。
しかしそもそも、その認識が事実に反していたとすればどうだろう。Apeman氏がガメ・オベール氏へ一方的に執着して嫌がらせをしていたとはいえないとわかれば、愛読者は考えをあらためるだろうか。


まず、2010年に最初の衝突が終わってから、2014年9月の再衝突までに、はてなダイアリーでApeman氏がエントリを上げて批判したのは2013年3月の1回しかない。
どうやら七平メソッドは永遠に不滅のようで…… - Apeman’s diary

首相のFacebookに「あなたたち韓国人は、現在最も世界で嫌われていて、それをまったく自覚できていない残念な民族なんだよ」なんてコメントが投稿されて、それが歓迎されている……なんて事態はそれこそ「欧州の各国」の基準ではかな〜りマズいことなんだけど、ホイホイと釣られている人がいますねぇ。しみじみとガメ*1のこととか思い出してしまいましたよ。

それも、日本語をたくみにあやつる自称フランス人が首相Facebookで歓迎された*1というWEB記事から連想したというだけで、ガメ・オベール氏への批判を主軸にした内容ではない。
4年間において1回だけ。それも3年後に短いエントリで批判対象として連想しただけのことを、はたして誹謗中傷をつづけたといえるだろうか。


一方、ガメ・オベール氏は新しい場所で違う話を何年もつづけていたわけではない。2010年6月にブログの再開を宣言するエントリで、さっそくApeman氏への否定的な言及と思われる記述がある。
ブログを再開する | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

はてな」 にも巧妙な嫌がらせを書き込む人が現れる。


今度は自称サルというヘンな人とその腰巾着の人々があらわれて、おまえの英語は間違っておる。ニセガイジンだろうと言い出した。
本物の英語は日本人には判らないのに、いまえの英語はあっさりわかるところがニセモノの証拠である。動かぬ証拠としておまえは「従属節」を使わないではないか。
第一、ガイジンにこんな完璧な日本語が書けるわけがない。


牛蒡がどうとかこうとか、山本七平がどうとかこうとか、わしにはあんまり興味がわかない話を、憲法論争のような顔でわめき立てる。
珍しや、その頃ほとんど睡眠なしで焦眉の急の凍死菖蒲に出ていたわしは、うんざりこいて、えーかげんに相手をすることすら出来なかった。

ここでのガメ・オベール氏の説明は、冒頭のエントリで書いたように、私が知るかぎりの当時の状況とは順序も論争の要点も異なっている。
だとしてもApeman氏の1回に対してガメ・オベール氏も再開時の説明1回だけなら、被害者として当然の反応だろうと愛読者は思うだろうか。
しかし実際には、2010年11月、2011年5月、8月、2012年4月と、さらに4回のエントリでガメ・オベール氏は言及し、Apeman氏への否定や嘲弄をくりかえした。
佐藤亜紀(@tamanoirorg)さんへの返信の続き | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

今回も、ヘンなひとが何人か来たけど、Apemanのときとは違って佐藤亜紀さんのほうはこれらを指揮しているわけではなさそーだ。

日本語インターネットという洞窟 | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

前には、同じページやAPEMANというひとのわしに対する勇み立った攻撃ぶりを見て、実は腹を抱えて笑っていた。
ゆっては悪いと思うから、黙っていただけで、冗談も皮肉も通じない、子供のようにナイーブな、そのくせ意地だけは徹底的に悪い、バカの見本のようなひとびとだとおかしがって、英語友達にはよく紹介していた。

「落ちこぼれ」の弁 | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

ブログを昔から読んでくれているひとたちのために言うと、あの最初から最後までバカバカしい(というほどの価値もない)なりゆきの「ごぼう」の頃ね。
みなが憶えているように、いつのまにか英語の達人になった500人ばかりの「はてな市民」たちによって、わしは「ニセガイジン」ということになったが、だから、そういうことはどうでもよかった。

自分でないもののふりをする、ということ | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

初めから極めて失礼な態度で話しかけてきた人が何人かいて、そのうちのひとりはなんだかはてな社会に割拠する隣組軍閥頭目であったらしく、「はてな社会」のあの有名な農耕社会性格を反映して何百人というひとが非難にあらわれた。
バカバカしいので冗談を述べてからかったら、それを真に受けたひとびとがもっと怒り狂う、という結果になった。

上述のようにApeman氏が2013年にエントリを上げた後も、ガメ・オベール氏は2013年6月に、否定的な言及をおこなうエントリを上げている。
明日があるさ | ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5

チョーくだらなかった(マジメに騒いだはてなの人たちごみん)「ニセガイジン」騒ぎと、それにつづく「はてな」住民の大挙襲来と執拗でバカみたいな攻撃のあとでは軽蔑しか残らなかった。

ちなみに、Apeman氏個人への否定とは断言できなくても、はてなコミュニティを批判するガメ・オベール氏のエントリが他にもある。
こうしたエントリ群を見るかぎり、「ヘイトを維持したその執念や感情へと思いを馳せる必要がある」対象は、Apeman氏ではなくガメ・オベール氏こそふさわしいと感じてしまう。


それでは、ツイッターにおいてはApeman氏がガメ・オベール氏に執着していたかというと、愛読者のひとりのko_mutsuki氏が示したツイートは3回だけ。

はてなユーザーとして当時の論争を見ていたid:zaikabou*2は、ツイッターの状況を追って、最初の衝突から大規模な再衝突まで散発10回と指摘している。

私も調べてみたが、2014年9月以前に検索できる言及数は、たしかにko_mutsuki氏の提示をふくめて10回前後。しかもガメ・オベール氏がブログで5回言及した後の2012年8月が初めてだった。

ガメ・オベール氏を能動的に批判したといえるのは、批判対象として連想した上記の4回くらいしかない。
他の言及は、ガメ・オベール氏の情報が流れてきたり、被言及されたことへの反応であったりで、さらに消極的な動きが2回あるくらい。

さらに1回、資料を読むにあたって証拠が記述されていれば謝罪をすると予告したツイートもある。これは批判かどうか微妙なところ。

ここまでで明確な言及は7回しかなく、その内容も文字通りつぶやきにとどまるようなものばかり。わざわざ何も知らない第三者へガメ・オベール氏への批判をつづけるような行為ではない。
念のため、違う単語で言及するなどして、検索に引っかからなかったツイートもあるとは思う。しかしsoseki_f氏が「想像」したように「片方は相手の姿が消えても、なお延々と大声で罵り続けた。しかもそのうえに誰彼かまわずに、あいつは嘘つきだ、卑怯者だと言い続けさえした」という事態があったなら、もっと多数のツイートやエントリで批判した形跡があるはずではないか。


実は他に否定的な言及は少数あるのだが、どれも異議への反論として言及したものばかりで、それらはApeman氏の執着と考えるべきではないだろう。
たとえば2014年8月の2回のように、第三者をかいして言及したものでも、ガメ・オベール氏の言及が先にあった。

さらに調べていくと、2014年1月の時点でも小さな再衝突が起きていて、再反論のように言及していたらしいこともわかった。

SatoshiMasutani氏のツイートに保存されるかたちで、ガメ・オベール氏からも言及があったことが確認できる。

この再衝突において、ガメ・オベール氏へ直接にツイートしているものは他にあるが、継続しているやりとりを一方的な執着とはいえないだろう。

ここで問題となるのは、やりとりの対象であるガメ・オベール氏のツイートが消去されていること。
時系列からすると、どうやらApeman氏ではなくガメ・オベール氏から言及したらしいが、正確な衝突の状況はわかりづらい。
他にApeman氏がガメ・オベール氏へリプライを送っている下記のツイートも、元となったツイートが消されていて、どちらから言及したかが断言はできない。

とはいえ、Apeman氏とガメ・オベール氏や愛読者が再衝突したのが、2014年9月からさらにさかのぼることは間違いない。
こうなると、2013年3月から2014年9月まで、はてなダイアリーでエントリを上げていないことが、むしろApeman氏には珍しく消極的な態度だったような気がしてくる。


一方、ガメ・オベール氏がApeman氏に言及しているツイートは2014年9月以前にも複数あったらしいが、上述したように多くが消されている。
とりあえず現存するツイートだけでも探したところ、2014年9月以前に検索できる言及数は2回くらい、先に紹介したリプライを足しても3回だけ。

しかし、愛読者らのツイートに引用されるかたちで形跡が確認できる言及数は4回ほどあり、これらの元ツイートは消されているようだ。

また、Apeman氏個人というより、はてなユーザー全体へ批判的に言及している複数のツイートも確認できる。

はてなダイアリーを使っていた時代もガメ・オベール氏の愛読者による好意的なコメントは多数あったが、よほど批判がこたえたのだろうか。
また、他に4回ほどの言及が愛読者らのツイートに引用されるかたちで形跡が確認できるが、やはり元ツイートは消されているようだ。

こうしてガメ・オベール氏はApeman氏やはてなに批判的に言及しては消しているわけだが、それが誠実なふるまいとは私には思えない。
消していることを知っている愛読者はどう思っているのだろうか。それを知らない他の愛読者はどう思っただろうか。


いずれにしても、ツイッターで形跡が残っているだけの言及数で比べても、Apeman氏とガメ・オベール氏に大差はなく、一方的に言及していたとは考えづらい。
なおかつガメ・オベール氏のツイートは愛読者へ向けたものが多く、むしろsoseki_f氏が「想像」した「片方は相手の姿が消えても、なお延々と大声で罵り続けた。しかもそのうえに誰彼かまわずに、あいつは嘘つきだ、卑怯者だと言い続けさえした」という情景に近い印象がある。
念のため、ツイートを向けられた愛読者のツイートに形跡が残ったため、個人のつぶやきとしての言及の比率が少なくなったという可能性も考えられる。しかし、その場合はApeman氏よりガメ・オベール氏こそが数においても相手へ強く執着していたことになる。
何より、最初に比較したようにブログでの言及数はガメ・オベール氏が多く、なおかつツイッターでの言及に先行しているのだ。


Apeman@apesnotmonkeys氏がガメ・オベール@gamayauber01氏へ一方的に執着をしているという認識は、おそらく愛読者にとってApeman氏を批判するに充分な根拠なのだろう。
しかしその認識が事実に反し、むしろガメ・オベール氏こそがApeman氏に執着していたとすればどうだろう。もしそうだとすれば、愛読者は考えをあらためるだろうか。
ここまで私は考える材料を提示したが、簡単な調査にすぎないので、もちろん抜けがある可能性はある。ガメ・オベール氏の愛読者がApeman氏の執着を批判したいなら、きちんと調べてみるといい。
事実をひとつひとつ確かめて、批判できる根拠を積み重ねることができれば、批判の正当性が確保できるだろう。

*1:同時期のドラマとの類似点と相違点が興味深かったので、後日に私もエントリを上げた。念のため、自称したプロフィールを信用したとしても批判できることも最後に明記している。Apeman氏にしても、プロフィールへの懐疑よりも、本質主義的な主張が歓迎されていることへの批判を重視していることを留意。『相棒season11』第17話 ビリー(と、安倍晋三首相Facebookの話) - 法華狼の日記

*2:今件において独立した場所で私と混同されていて、それぞれすぐ誤解はとけたらしかったが、どんな表情をすればいいのかわからなかった。あんとに庵 on Twitter: "あ、間違えてたwww 済みません。法華狼さんだった!! しかも「華」しか合ってない! ほんとうに済みませんでした。… "Imanaka Daisuke on Twitter: "どっちも「華」がつくので、ややこしいですよね。私、法華狼のtwittetアカウントが分かってないです。… " しかしいわれてみると漢字三文字で中央に「華」、かつ仏教的なイメージをもったハンドルネームという共通項はあり、今件で初めて意識した人ならば混同することに無理もないかな、とは思った。

官民ファンドを乱立させないという局面では、民主党政権は自民党政権よりも財務省と戦っていた、という報道

大半が赤字なだけでなく民業圧迫という本末転倒なところもある官民ファンド。
もととなる産業革新投資機構が設立されたのは2009年からだが*1、無節操に設立されたのは民主党政権が終わった結果だったという。
(取材考記)赤字だらけの官民ファンド 「後始末」責任は財務省に 大鹿靖明:朝日新聞デジタル

民主党から自民党に政権が復するときで、民主党に抑え込まれていた各省が「この機会に」と雪崩を打って設立した。

民間ファンドほど市場圧力にさらされない半面、多くは「株式会社」なので官公庁ほど情報開示を迫られない。それゆえ規律が緩くなりやすい。

 今になって財務省は「素人投資で失敗ばかり」(主計局幹部)と、ひとごとのような顔をするが、これら官民ファンドの乱立を招いたのは公金の元締である財務省でもある。

財務省がおこなうのはもちろん緊縮ばかりではないが、その投資は好景気を呼びこんで社会全体を豊かにする方向性とは限らない。豊かな企業をより肥やすために反緊縮が唱えられているわけではあるまい……少なくとも建前においては。
そのような投資を自民党政権が後押ししたことをもって、財務省と対立する反緊縮と歓迎されていたとは思いたくないものだが……

*1:念のため、さらに元となる動きは2008年以前からあった。