法華狼の日記

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証言が証拠になるからこそ、朝鮮半島における慰安婦募集で、「狭義の強制連行」以外の手段が主流だったと判明した

「狭義の強制連行」という造語は、1992年の『正論』の秦郁彦記事によって作られたとされる。吉見教授が「広義の強制連行」という造語を使ったのは、秦記事に呼応してのもの。
「狭義の強制はなかった」に関して - kmiura - 従軍慰安婦問題を論じる
この秦氏によって、朝鮮半島における強制連行の加害証言であった吉田清治手記が否定されたことは、一部で有名だろう。
ただし、加害証言である吉田手記が発表されたのは、1990年代初頭に韓国から広く訴えられるより前の1980年代を中心としている。時間や場所に編集が加えられている*1ため歴史学においては採用しがたいが、あくまで独立した証言であって、後年の様々な調査や研究まで否定できるものではない。一つの証言として採用したとしても、せいぜい資料批判の精度に疑問符がつけられるだけだ。
一方で、吉田手記を否定した現地調査とは、老人クラブで5人の証言を得ただけにすぎない*2。当事者でなければ、現地人であっても実態を知らなくても不思議はない。秦氏は、吉田手記へ疑問符をつけた済州島新聞記事も紹介していたが、これも具体的な否定は証言に依拠しており、部分否定した郷土史学者の調査も内実は不明だった。
証言が証拠にならないと単純に考えるなら、秦氏の現地調査も否定されなければならない。


実際のところ、吉田手記を歴史証言として採用できないと考える歴史研究者からも、秦調査の不十分さへ批判がある。上杉聰氏の批判を紹介しよう。
http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/uesugi01.htm

吉田清治氏の著書(『私の戦争犯罪三一書房)が、「慰安婦」への連行の暴力的な形態を世に知らしめ、この問題を大きな衝撃でもって広めたことは否めない。だが、「慰安婦」への強制の問題を、連行時の暴力の問題として狭く限定することの危険性は、韓国でも日本でも、早くから研究者や市民運動の中から起こっていた。そこに別の立場から批判を集中したのが秦郁彦氏であった。氏は、吉田氏が強制連行した済州島まで赴き、証言の真偽を確かめようとした。その結果を「昭和史の謎を追う−−第37回・従軍慰安婦たちの春秋」と題して『正論』(1992年6月号)に発表し、同島から「慰安婦」の徴集を示す証言が得られなかったとした。だが、秦氏自身が六〜九万人の韓国・朝鮮人慰安婦」の存在を認めている人である。どうして日本に極めて近い済州島だけ一人の「慰安婦」も徴収されなかったのだろうか。そんな例外の地域があると考えるほうがおかしい。現に、尹貞玉・元梨花女子大学教授が1993年に同島で調査を行ったとき、島民の強い抵抗の中で一人の被害者と推定される証言者が名乗り出た。だが、周囲からの本人への説得と制止によって、それ以上証言をとり続けることを拒否された事実がある(日本の戦争責任資料センターと韓国挺身隊問題対策協議会による第二回「従軍慰安婦」問題日韓合同研究会)。

仮に、済州島周辺における募集が人道的に行われ、それが調査によって判明したならば、そうした新たな従軍慰安婦像が生まれるはずだ。「狭義の強制連行」が否定されるだけで終わるはずがない。
事実として、1990年初頭に被害者証言が広く集められたことで、慰安婦制度の全体像が判明していった。吉田手記という一人の証言に依拠する必要はなくなったのだ。このことは上述のページで上杉氏も指摘している。

多くの研究者の関心は、吉田批判がなされた当時すでに同氏の証言の真偽へ向いてはいなかった。むしろ「強制」の内容の方に関心が集中していたのである。次々と被害者が名乗り出ていたことで、統計的な処理も可能となり始めており、暴力的な連行そのものは限られたものであることが判明していたからである。たとえば、1992年末に市民や研究者の呼び掛けで「日本の戦後補償に関する国際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、二六%が「奴隷狩り」であり、六八%が「だまされて」であったことを明らかにした(戦争犠牲者を心に刻む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾でもその数値に近く、さらに限られた数だが「自発的に」というものもあった。

実名で初めて名乗り出た1991年の金学順証言も、人身売買によって従軍慰安婦にされたという内容であった。証言が証拠となるからこそ、「狭義の強制連行」が主流でなかったことが判明したわけだ。
しかし不思議なことに、「狭義の強制連行」を否定したがる側は、しばしば同時に証言が証拠にならないと主張する。だからといって慰安婦制度の全体像を描くため積極的な調査を行おうとはしない。日本軍が従軍慰安婦を守っていたかのように主張しながら、それを裏づける資料が公開されないことを批判するわけではない。
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 「公文書覇権」という言葉を最近、耳にした。歴史を記すに当たり、公文書の量は多いに越したことはない。だから、より多くの公文書を公開している国に歴史家や研究者は集まる。

 だから、公文書開示が進んだ国の文書を中心に外交史が刻まれ、世界史もその上に記されていく傾向が強まる。まさに公文書開示に対する国家の姿勢が、歴史形成の「覇権」をも左右する。

慰安婦制度を擁護したいなら、まずは歴史学の土俵に上がることだ。きちんと日本軍が従軍慰安婦を「保護」しており、その資料を隠滅していないというなら、慰安婦総数を示す資料くらい存在してしかるべきだろう。

*1:ただし現実には、軍人の手記で細かい記述に編集が加えられ、詳細が伏せられることは珍しくない。先日のエントリで紹介したように、責任ある立場の軍人同士で矛盾する証言が出る場合も多い。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20120905/1346888249

*2:http://d.hatena.ne.jp/Stiffmuscle/20070730/p2