法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『デリシャスパーティ♡プリキュア』第8話 ちゅるりん卒業!?おでかけ!おいしーなタウン

華満が新たなプリキュアとしてむかえられた。さっそく和実にさそわれ、芙羽もふくめた三人で街の食べ歩きをはじめるが、華満の顔はくもっていた。SNS活動の情報をブンドル団が悪用していたことが、華満を悩ませていたのだ……


絵コンテと演出がそれぞれふたり、作画監督が三人。東映アニメーションなのにスタッフが多い……昨年あたりからの画面クオリティを上げる体制変化をしているらしいが。
脚本の永井千晶はA-1pictures出身。シリーズどころか東映は初参加らしい。日常会話で和実が語った第三の選択肢の象徴「うどん」が、後半の戦闘で逆転の手段になるあたり、昔ながらの子供向け番組を意識したようなカルタプロット。たわんで攻撃を受け流す怪物を地面の割れ目に固定させる、その割れ目の多重円ぶりがうどんの姿に重なる無理やりな絵面に笑った。
そんなこんなでSNSに情報をあげることを迷うようになった華満に、ローズマリーが大人として危険性を認めつつ利用することを肯定する。5年前の『キラキラ☆プリキュアアラモード』でも映像をアップロードして商店街をPRする展開があったが*1、これくらいの教育的なバランスがこのシリーズにはちょうどいい。


ローズマリーがフィールド発生するところを拓海が目撃しながら今回はそこで出番が終わったり、よくある洗脳に苦しむようなそぶりを見せていたジェントルーの正体が生徒会長と明示されるところがオチだったり、さらに次回予告で別のブンドル団らしきキャラクターが登場していたりと、敵側の変化をうかがわせる物語でもあった。
プリキュアの加入と同じくゆっくりした変化という印象だが、本来なら半クールすぎたあたりで敵幹部の顔ぶれが変わるわけで、むしろスタッフの意図としては早めの変化だったのではないか、と想像する。もちろん今回のこの変化が放送延期によるシリーズ構成のやりなおしの結果という可能性もあるが。

『NHKスペシャル』東京ブラックホールⅢ 1989-1990 ~魅惑と罪のバブルの宮殿~

バブル末期の狂騒に満ちた東京。世界中の富が集められ抜きとられる直前の、幸福に満ちた都市をブラックホールとして描きだす。
「東京ブラックホールIII 1989-1990 魅惑と罪のバブルの宮殿」 - NHKスペシャル - NHK

山田孝之演じる若者がタイムスリップするのは1989年から1990年。バブル時代、経済成長率は先進国で最も高く、国民全体が多幸感に浸っていた。しかし89年末に史上最高値を記録した株価は年明けに急落し、日本経済は奈落の底に転落。

トラックドライバーの青年がカーナビの奇妙な指示にしたがって時間遡行し、たまたま出会った若い男女の住むアパートに転がりこむ。


1作目と2作目はNHKでディレクターをつとめてきた貴志謙介の手で、戦後日本の影をドラマをまじえて直視した。あえてドラマのメイキング風景を番組内で映すことで、よくあるモノクロ着色と違ってドキュメンタリの虚構性をあらわにする誠実さも好印象だった。
hokke-ookami.hatenablog.com
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この3作目も番組フォーマット自体は同じだが、バブル時代のレジャー映画『私をスキーに連れてって』のシナリオライター一色伸幸を起用。バブルの流れに乗った当事者の、反省しつつも自己憐憫と自己弁護がいりまじるドラマという印象が強く残った。

もちろん興味深い風景や情報はいくつもある。投機による利益だけでなく研究開発への多額の投資も実際におこなわれていたこと、経済的な豊かさが若者にまではとどかなかったことや、過半数が将来を楽観視しつつも労働時間は長く過酷だったこと、株価下落にあわせて米国の証券会社が一気に売りあびせたこと、そこで証券会社が利益をえならがら売りあびせつづけるための裁定取引の手法説明などは良かった。
しかし1作目や2作目にあったような、過去の出来事を現在に重ねあわせるような描写が足りない。株価を買い支えようとした元野村証券マンの証言は現在の政府による株価買い支えになぞらえるべきだろうし、カプセルホテルで睡眠時間を確保するサラリーマンの姿はネットカフェ難民を想起すべきところだろう。もちろん何もかも同じというわけではないが、それもきちんと比較しなければ違いが浮かびあがることはない。
合成した風景の面白味が少ないという企画の問題もある。おそらくモノクロ映像より技術的に困難なカラー映像で自然に合成しているところは見事ではあった。しかし現在でも視聴する機会が少なくない少し前の時代の映像に現代人がまぎれこんでも異化効果がない。冒頭の昭和天皇の葬儀に参列する人々や*1、バブルに違和感をいだく若者を吸収したオウム真理教は良かったが、もっと映像として印象的な歴史的な事件にたちあわせるべきだったろう。
ドラマパートを重視しているためか、主人公は世話になった人々のため歴史へ介入もする。あくまで学習漫画のように傍観者に徹していた過去作との大きな違いだ。ドキュメンタリとの主従関係を考えるなら、せめて歴史を変えようとしても変わらない苦しみのドラマにするべきだったと思う。
何より、山田孝之が主演するフォーマットを踏襲していることに無理を感じた。主人公はバブル時代の携帯電話の大きさなどに驚いていくが、そもそも俳優が1983年生まれなので、タイムスリップした時代は物心がついている年齢にしか見えない。今回は過去の風景を見て主人公がなつかしむような描写にするか、バブル時代より後に生まれた俳優を起用するべきではなかっただろうか。

*1:皇太子と同年齢という女性は、親を亡くしたこともあって昭和天皇を父のように思ってきたとカメラに語るが、そうした孤独な子供をたくさん生みだしたのが昭和天皇ではなかったか、と思った。

『ジュマンジ/ネクスト・レベル』

悪夢のゲームクリアから2年たち、それぞれの生活がある若者4人。しかし1人が姿を消したため、調べてみると捨てたはずのゲームが修理されていた。その1人を救出しようとゲームを起動したところ、家にいた老人2人も巻きこんでしまい……


2017年の『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル*1につづいて、2019年に公開されたシリーズ3作目。公開年と作中の時系列を一致させている。
土曜プレミアムの地上波初放送で視聴した。2時間半ほどに枠を拡大していたので、おそらく本編のカットはほとんどないだろう。
映画「ジュマンジ/ネクスト・レベル」 - フジテレビ
WEB小説から飛躍した『ソードアート・オンライン』以降の日本のVRMMOでは排除されがちな、現実とは大きく異なるアバターを設定して変身願望と位置づけつつ、けして全否定せず解放感を描いたところが良かった。肉体が衰えている老人ふたりが巻きこまれる導入も、その展開を支える。
さらにアバターをシャッフルするポイントを設置。『君の名は。*2のように美女の肉体に喜んで調子に乗る青年を描いたり、性格にあった肉体を選びなおして攻略しやすくしたり。アバター設定をギャグとしてもドラマとしても使いきる。


全体として動物の3DCGは不自然で、動く吊り橋や飛行船のモーションも現代ハリウッド大作とは思えないが、仮想ゲーム内の描写ということで意図的な手抜きではあるのだろう。
人肉を獣に食べさせたり、そもそも動物に殺される描写が血しぶきのような赤色混じりで粉々になるという残酷さを、仮想ゲーム内の描写だからと堂々と映像化する挑戦もおもしろかった。もともと映画自体がフィクションなのに、フィクション内フィクションという枠組みを足すだけで許容される度合いが大きく変わることが興味深い。


ただ、今作は何度も忠告を無視しては残りライフを無駄にして、途中からは登場人物の学習能力のなさに疑問を感じるようになった。ユーザーがキャラクターをコントロールするため失敗も納得しやすい本当のゲームと違って、映画の登場人物の下手な失敗は感情移入や共感をさまたげてしまう。
もっとも、前作は残りライフをギリギリまで物語で活用して、それはそれで作為が目立っていたので、その反省で今回のような無駄展開にしたのかもしれないが……もう少し伏線のしっかりした攻略は見せてほしかったところ。先述のアバターシャッフル以外は、基本的にNPCに提示された説明を予言詩のように解釈する場面が目立った。

『ドラえもん』ドラドラ源平合戦〜しずかちゃん御前を救え!〜

 2016年のアニメオリジナル中編の再放送。しかし映画の宣伝につながる内容という感じでもないし、時期的な意味も感じられないし、選定の意図がよくわからない。
『ドラえもん』ドラドラ源平合戦〜しずかちゃん御前を救え!〜 - 法華狼の日記

萌える広告が燃えるのは、今さら珍しいからではないだろう

『月曜のたわわ』全面広告単体について軽量社会学者の田中辰雄氏が調査したシノドス記事は、「炎上」の全体像を誤解させるものでは? - 法華狼の日記
計量経済学者の田中辰雄氏がつかっている質問項目は、「リベラル」「保守」と「自由」「正義」の対応が良くない気がする - 法華狼の日記
上記エントリで疑問を書いた田中辰雄氏のシノドス記事だが、仮にも専門家がおこなった調査であり、質問項目なども実際は問題にならないかもしれない。


しかしツイッターを見ると、そもそも前提の「萌え絵」の広がりについて、知識が足りていないのではないかと思わざるをえなかった。「もとお@motok_」氏とのやりとりを引く。


例えば、20代、30代での何かしらの経験(社会的な不平等、ハラスメントの被害など)を踏まえた方が容認的な態度を変え、否認的な意見になる、ということもわりとありえるかなと。
また、提示いただいた結果を見るにそれを否定する材料もないように思います。(見逃してたらご指摘ください)


強いて言えば、ここ10年弱の間に萌え絵の受容が進んだというのが材料でしょうか。2014年の人工知能学会の表紙絵に比べて日経新聞の一面広告はずっとメジャーです。ここまでメジャーでようやく問題になる程度には受容が進んでいるとは言えないでしょうか。受容が進んでいるなら世代効果があります。

その場合、「価値観のアップデート」は個人の中に起きたこの変化そのものを指して使われている可能性がありますし、今後容認派が増えることを必ずしも意味しませんね。

ただ田中先生の解釈もまた妥当ですし、きっと現実はその両方だと思います。割合がどれくらいなのかはわかりませんが…

田中氏はシノドス記事で「批判の趣旨は、広告で描かれた絵は女子高生を性的に扱っており、新聞の広告として不適切という点」*1と日経広告の論点を説明しているが、人工知能の表紙が批判されたのは性別役割の強化が代表的な論点だった。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsai/29/2/29_167/_pdf/-char/en
また、厳密には表紙絵は2014年1月1月号であり、誌名変更とともに公開されて話題になったのは2013年なのだが、それくらいの誤記ならば問題ではない。

学会誌名の変更と新しい表紙デザインのお知らせ – 人工知能学会 (The Japanese Society for Artificial Intelligence)

合計で約100点のデザイン案がわずか3週間の間に集まり、これに対し、理事、編集委員、一般の方(会員も含む)からの投票を行いました。その結果、今回採用した女性が中心にいるデザインは、編集委員会および一般からは圧倒的な1位、理事からも2位の支持となりました。

田中氏はシノドス記事でも2014年と記述しているので、不正確な認識をしていることはうかがえるが、やはり致命的な問題とまでは思わない。

類似の論争はこれまでに何度も繰り返されてきた。古くは、人工知能学会表紙事件(2014年)、新しくは宇崎ちゃん献血ポスター事件(2019年)、そして直近では温泉むすめの事件(2020年)が記憶に新しい。

どちらかといえば、2014年を「古くは」と表現していることが重要だ。おそらく田中氏は「萌え」をめぐる受容について、10年以内の「炎上」しか認識できていない。


そう、田中氏の問題は、個々の「炎上」理由の違いを考察していないことだけでなく、あたかも学会誌というマイナーから新聞というメジャーに「萌え絵」が進出しているかのように認識していることにある。
現実には10年以上前に、「萌え」にあたるだろうアニメ絵をつかった全面広告が掲載される流行があり、ねらいどおりインターネットで話題にされていた*2
魔法少女まどか☆マギカ:話題のアニメが異例の全面広告 21日の一挙放送で - MANTANWEB(まんたんウェブ)

21日深夜に未放送分が最終話まで一挙放送されるテレビアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の放送を告知する全面広告が、21日付の読売新聞朝刊に掲載された。深夜アニメの全面広告が全国紙に掲載されるのは極めて異例で、放送を前に話題を呼んでいる。

「深夜アニメ」読売の全面広告に 「アイドルマスター」場違いの狙いは?: J-CAST ニュース【全文表示】

最近話題になったアニメの新聞広告には「魔法少女まどか☆マギカ」(11年4月、読売新聞)、「僕は友達が少ない」 (11年5月、朝日新聞、読売新聞)、「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「とある魔術の禁書目録II」(10年9月、日本経済新聞)などがある。

「なんでアイマスの全面広告が!?という話題提供でもあるんです。そうすることによって化学反応的な広告効果が生まれます。ネットで様々な意見交換が始まっていますが、それもアイマスを宣伝する上での成果だと思っています」

asahi.com(朝日新聞社):新聞にアニメの全面広告が載った理由 - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

答えてくれたのは「ギルティクラウン」担当の大山良プロデューサー。その答えは簡潔でした。「狙いはメッセージ力、ギャップ感、イベント性の三つです」

この時点では「ギャップ」をねらって全面広告を掲載するだけでも話題になっていた。もちろんそれ以上の効果をねらって、地方ごとに登場するキャラクターを変えてコレクター性を高めたりもしていた。
2013年には『物語シリーズ』の全面広告で、キャラクターをあしらうにとどまらず、新作短編小説がびっしり記述され、映像ソフトの特典にもなった。

そして2018年にはスライム姿だけの全面広告が掲載された。これ自体はいわゆる「萌え絵」ではないが、だからこそ新たな「ギャップ」が生まれるという計算だろう。
アニメ『転スラ』読売新聞で全面広告 新章開幕でスライム姿のリムルが一面ジャック | ORICON NEWS

もはや単体では評判になりづらい一例として*3、2019年の映画『コードギアス 復活のルルーシュ』全面広告は、人気シリーズの新作なのに、告知ツイートのリツイートが160以下、いいねも300以下だ。

つまり「萌え」的な受容とのギャップを意図した全面広告はすでに10年以上前から試され、注目されないこともあるくらい飽きられているのだ。
マイナーな「萌え絵」が全面広告に進出してようやく「炎上」するというなら、2010年代初頭の時点でくりかえし「炎上」が起きていたのではないだろうか*4
放送や上映されているアニメの過半数を見ていない、つまりオタクではありえない私から見ても、田中氏の認識は10年以上は遅れている。


たぶん田中氏は「萌え」とされそうな表現への興味が薄く、「炎上」して初めてそれを認識する結果、文化と受容の全体像がつかめていないし、つかめていない自覚もないのだ。
それでいて、性差別と批判された共通項を「萌え絵」でくくるくらい「炎上」を認識する範囲もせまい。田中氏が「類似の論争」をあげた期間には、実写広告の「炎上」も複数あったのに。
HISの「東大生美女図鑑」学生が隣に座るキャンペーン、「下品」と批判殺到で中止に | ハフポスト NEWS

旅行大手エイチ・アイ・エス(HIS)は、5月11日、美人の東大生が海外旅行の機内で隣に座って旅先について解説するというキャンペーンを発表した。しかし、これに対してネット上などでは「下品」などと批判の意見が多く寄せられ、同社は即日中止を発表した。

水着少女が「養って」 志布志市のPR動画『少女U』が削除された理由は? | ハフポスト NEWS

「動画を公開後、『女性差別ではないか?』というご意見がネットで相次ぎ、電話での苦情も多数あったことで、配信停止を決めました。志布志の天然水でうなぎを大切に育ていることを伝えるのが目的であり、女性差別の意図は決してなかったのですが、不愉快に思う人がいるということを重く受け止めたのと、ふるさと納税を実際にした方や、地域住民への迷惑を考えた結果、配信停止を決めました」

「萌え絵」と比べて実写広告の「炎上」は、広告の停止にいたっても注目されづらく*5、しかも忘れられやすいという傾向があるのかもしれない。
いずれにしても、表現の自由について考えたいなら、もっと興味を広くもって、きちんと出来事を記憶するべきではないだろうか。田中氏にかぎったことではなく。

*1:「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか/田中辰雄 - SYNODOS

*2:地方ごとの異なる広告画像を一覧としてのせた電撃オンライン記事などは、はてなブックマークを集めている。 dengekionline.com

*3:もちろん話題にならないとかぎっているわけでもなく、同年でも『Free!』6周年記念の全面広告は公式アカウントの告知ツイートが1万以上のいいねを集めていた。知らない人へ向けた宣伝より、すでに知っている人へ向けた感謝を重視しているところが、こうした全面広告のひとつの性質をあらわしてもいる。

*4:ちなみに、2012年の朝日新聞で「ちょいロリ水着姿」と表現された2011年の『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』広告は、ファンからも好評の声だけではなく、内容を誤解させないかという懸念の声が一部あがったりもした。広告につかわれたキャラクターはいろいろな意味でそのような姿になることが難しい設定だ。たとえ失われた可能性の表現だとしても。

*5:紹介した実写広告にまつわる記事は、はてなブックマークがどちらも一桁以下しか集まっていない。また、先日から何度かエントリを書いたように、具体例をあげて指摘されても認識できないくらい何が性差別的と批判されるかについて強固な先入観が広まっている問題もあるだろう。 ハフィントンポストが「温」の性加害を無視しているという陰謀論 - 法華狼の日記