法華狼の日記

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計量経済学者の田中辰雄氏がつかっている質問項目は、「リベラル」「保守」と「自由」「正義」の対応が良くない気がする

『月曜のたわわ』全面広告単体について軽量社会学者の田中辰雄氏が調査したシノドス記事は、「炎上」の全体像を誤解させるものでは? - 法華狼の日記
上記エントリで書いた調査単体の疑問とはまた別に、日経広告の評価を変えうる「一般的要因」として軽量経済学者の田中氏が質問した項目について、素朴な疑問がある*1
「月曜日のたわわ」を人々はどう見るか/田中辰雄 - SYNODOS

1(現在の日本では)職場において男性が優遇されている
2(同上、以下同じ)家庭生活において男性が優遇されている
3法律や制度の上で男性が優遇されている
4学校教育において男性が優遇されている

現在の社会では男性が優遇されているというのはフェミニズムの基本命題の一つであり、それに賛同する度合いで、回答者のフェミニズム傾向を測ることになる。

社会において女性差別があるか、その事実認識について「賛同」と表現して、フェミニズム傾向をはかることは正しいのだろうか。フェミニストでなくても社会状況を把握しているなら、女性差別の有無を問われれば「ある」と答えるのではないか。
たとえるなら、二酸化炭素排出による地球温暖化論に賛同する度合いでエコロジー傾向をはかるような、間違っていないかもしれないが微妙なズレを感じてしまう。


さらに、表現の自由を重視するか、表現以外の何かを重視するかという問いについて疑問がある。

星印がついているのは言論・表現の自由を優先する意見、無印は何らかの正義のもとに言論の自由を制限する事があって良いという意見である。

*1どのような下劣な意見でも持つのは自由でありまた発言も出来る社会であるべきだ
2差別的なことを言う人に言論の自由は無い
*3言論には言論で対抗すべきであり、それ以外の方法を使うべきではない
4間違った発言で炎上した人は、公の場から消えるまで徹底的に叩くべきである
ヘイトスピーチを罰則つきで禁止する法律が必要だ
天皇を侮辱する表現は規制されるべきだ
*7テレビの放送禁止用語表現の自由を奪っており嘆かわしい
*8ポリコレ(ポリティカルコレクト)は言論・表現活動を委縮させている
*9不愉快な考えの相手とも共存するのが自由な社会だ
10間違った考えの人には再教育をうけさせ、考えを改めさせるべきだ
11公共放送たるNHKに反日的な論客を出演させるべきではない

上記の項目は、記事にリンクされている過去の調査でもつかわれている。その調査では、表現の自由を重視するほど表現のひとつであるオープンレターが否定されるという奇妙な結論になっていた。
呉座・オープンレター事件の対立軸――キャンセルカルチャーだったのか?/田中辰雄 - SYNODOS
説明を読むと、「リベラル」と「保守」それぞれの「正義」を読みとれるよう項目をつくったと田中氏はいう*2。しかし一読して、同等に対応しているだろうかという疑問をもった。

2の差別表現の禁止と5のヘイトスピーチ規制はリベラル側の正義であり、6の天皇尊重と11の反日規制は保守側の正義である。

保守側の正義という言い方に違和感を持つ人もいるかもしれない。ここで言う正義とは、言論の自由を制限してもよいほどの正しさを主張する立場であり、主張の中身は問わない。

オープンレターを支持する人は正義を重視する側である。言論の自由を重視する側ではない。オープンレターの意図がどうであったかはともかく、周りの人はこれを言論の自由を守るための手紙ではなく、(反差別の)正義を実現するための手紙と見ていたと解釈できる。

正義と自由の対立項で、正義を求めるほどオープンレターに賛同するという。ならば天皇表現や反日表現の規制を求めるほどオープンレターに賛同したというのだろうか。


まずヘイトスピーチの法規制は国際的に求められていることであり、たびたび自民党も立法化をはかっていた。その規制を求めることがどこまでリベラルの指標となりうるのか。
また先行研究において、少なくともインターネットにおける保守で尊王主義は強くないと考えられている*3。同じシノドスに掲載された社会心理学者、高史明氏のインタビューを引く。
古くて新しい、在日コリアンへのレイシズム/『レイシズムを解剖する』著者、高史明氏インタビュー - SYNODOS

インターネットの使用時間と右翼的権威主義との関連性はみられませんでした。実際に、「ネット右翼」と呼ばれるような人々は尊王史観や天皇に関する発言をほとんどしていません。

下記の辻大介氏による調査でも、天皇制の支持などは「ネット右翼」の指標として必ずしも適当ではないとされていた。かわりに閣僚による靖国公式参拝や、学校式典における国旗国歌などがつかわれていた。
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60471/ahs38_211.pdf
ちなみに「表現の不自由展・その後」にはいくつか天皇表現により規制された作品が展示されていたが、批判的に話題になったのは肖像画が焼かれたことをモチーフにした映像作品ばかり。天皇の存在を空白にした「空気」などはあまり話題にのぼらなかった。
「不自由展」でも展示された小泉明郎「空気」シリーズ、歌舞伎町・麦ノ音で常設展示へ|美術手帖

「表現の不自由展・その後」。ここで展示されていた作品のひとつ、小泉明郎の《空気 #1》(2016)と同じシリーズである《空気 #11》(2018)が、東京・歌舞伎町のダイニングバー「麦ノ音」で常設展示されている。

「表現の不自由展・その後」に対して、形式的には自由にさせるべきと公言する意見は少なくなかった。しかし福島原発事故へ言及する映像作品が文脈を無視して批判されたり、日本軍慰安所制度を告発する少女像が侮蔑されたりする場面も多かった。
そういう意味では、より状況を限定して、日本大使館前の少女像を強制的に撤去すべきだ、という問いにするのはどうだろうか。女性差別を論点にふくむので、これはこれで不適切だろうか。
ならば、保守派の権威主義的な態度を抽出するように、先日に一審判決がでた政治家演説のヤジについて、その自由を許すかと質問するのはどうだろうか。
安倍晋三演説に対するヤジの強制排除が、きちんと公権力による表現の自由への弾圧として裁かれたのは良かった - 法華狼の日記
あるいは権力者の揶揄であっても病気をもちだすべきではない、といった問いではどうだろう。この問いではリベラルと保守の対立軸にならないというなら、安倍晋三氏の潰瘍性大腸炎を揶揄につかうべきではない、と具体性を増してもいい*4


いずれにしても田中氏の項目は、「リベラル」ほど「正義」を志向するように、「保守」ほど「自由」を志向するように、あらかじめ偏りが生まれるようにつくられている気がしてならない。その偏りを除外する工夫や、考慮して重みづけしているような説明もされていない。
表現の自由を重視するほど表現のひとつであるオープンレターが否定される奇妙な結論になったのは、それも原因だった可能性はないだろうか。田中氏は過去記事の序盤で下記のように結論を書いているが、本当にその対立を読みとれる調査になっていただろうか。

正義と言論の自由の対立はキャンセルカルチャーでよく話題になる論点であり、本事件は(賛否は別として)日本におけるキャンセルカルチャーのひとつとして位置付けることができると思われる。


ちなみに田中氏は過去記事で「本稿はあくまで第三者がこの事件をどう見ているかから整理した」と説明している。
たしかに呉座勇一氏の誹謗中傷やオープンレターを大半が知らない調査対象者は第三者だろうが、田中氏自身がツイッターで明示的に反応しているのは下記をリツイートしているくらい。


私は、呉座先生の書籍は数冊読んでいますし、私の発言をRTなどしていただくのは大変光栄と最初は嬉しかったのです。ただ、私の呉座先生への思いは複雑です。

とはいえ、私がたまたま目についた間違いを指摘したら、さえぼう先生が噛みついてきて醜態を晒し、巡り巡ってこういうことになってしまった。

田中氏はあまり自身でツイートをしていないが、他のリツイートの傾向を見ても、どちらかといえばオープンレターで批判された文化を構成するひとりだという印象をもった。

*1:非専門家の「素朴な疑問」は、しばしば愚問にすぎないことは自覚しているが、だからこそ答えにつながる可能性を知りたい。

*2:そもそも自民党の英名などを考えても、「リベラル」と「保守」は対応する言葉として適切なのかという疑問もあるが、そこはすでに対立項として定着していると考えるべきか。

*3:呉座氏による誹謗中傷もオープンレターの発表もオープンレターの批判対象もインターネットでおこなわれた以上、インターネットにおける「保守」の動向を考慮すべきだろう。念のため、先日に政府与党が外国の表現へ圧力をかけたように、昭和天皇の戦争責任がインターネットもふくめて広範に否認されることなども事実である。 全体主義国家の侵略に追いこまれている国に対して、全体主義国家が侵略した過去の事例として自国がならべられている表現を削除させた国があるらしい - 法華狼の日記

*4:もしこの具体的な問いで保守よりリベラルが否定的だというなら、それはそれで考えこんでしまうが。