法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『映画ドラえもん のび太の月面探査記』

月面探査機の撮影した白い影の正体をめぐって、宇宙人派と否定派で争うクラス。そこで野比のび太はウサギ論をとなえ、両派から失笑される。
のび太ドラえもんに泣きつき、かつて事実と思われていた空想を現実と認識する秘密道具を出してもらう。ふたりは月面へ行き、ウサギ型の生命体を創造する。
しかし月には最初から本当にウサギ耳の知的生命体が住んでいた。そのひとりこそ、同時期にクラスへ転校してきた少年ルカだった……


これまで旧作をていねいにリメイクしてきた八鍬新之介監督の、初めてのアニメオリジナルストーリー映画。
大ヒット上映中!『映画ドラえもん のび太の月面探査記』公式サイト
以前から『ドラえもん』のファンとして知られる小説家の辻村深月を脚本にむかえ、原作短編「異説クラブメンバーズバッジ」*1の舞台を地底から月面へと改変し、竹取物語をモチーフとしてとりこんだ。
昨年の映画で短い予告を見た時点では原作短編の長さから映画にしやすいだろうと予想しつつ*2、制作情報が流れるたびにオリジナル要素の多さに懸念をいだくようになったが、実際に観ると満足できる内容だった。

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想像で創造した架空の月社会を舞台としながら、展開に応じて殺風景な現実の月面も見せることで、フィクショナルな世界の楽しさと、最低限のリアリティを確保。
さらに敵本拠地カグヤ星を滅びかけた貧しい社会として描いて、月とも違った風景を作りだし、展開に応じて画面が変化に富む。
アニメーションとしても、エスパルのさまざまな能力や、素直に楽しい月面レース、敵地での決戦におけるソードアクションや超兵器合戦まで、水準を超えた見せ場が多い。粗が気になる場面もなかった。


物語については、すでに簡単な感想エントリを書いたが、より深く根幹の設定と物語に言及して、あらためてまとめておきたい。
『のび太の月面探査記』は『かぐや姫の物語』に通じるテーマをガチで隠し持っていた - 法華狼の日記

意外にも平成末期を象徴する作品として鑑賞する価値がある作品だと思ってしまった。

原作読者としての感想をいえば、原作者の死によって途絶した『ねじ巻き都市』の完成形を想起させつつ、『海底鬼岩城』の風刺性を現在にあわせて組みかえた作品といったところか。
いささか旧作オマージュの多さにうるささを感じたりもしたが、原作の遺産にたよるだけではない発展を見られたことに、期待を超えた感動があった。


予告情報で懸念していたのが、ゲストキャラクターが多いこと。しかも「ムービット」と「エスパル」というふたつの集団で異なる由来をもち、さらに敵キャラクターも異なる人格をもった集団として登場する。
ひとつの短い映画で混乱せずに群像劇を展開するのは難しそうなところだが、うまく作品のテーマにそって関係性を整理しており、納得できる結末へと落としこんだ。

のび太たちがつくりだしたキャラクターは"現実と思われていた想像"であり、のび太たちのところへやってきたキャラクターは"想像と思われていた現実"だ。SF設定では誕生経緯がまったく異なるキャラクターが「想像力」という共通項をもって、それが敵に欠落しているという対立構図を作りあげた。

念のため、さすがに展開がせわしない印象はある。ゲストキャラクターと仲間になるだけでなく、ゲストキャラクター相互の関係性を育む段取りも必要となり、さらにルカたちが拉致されてから戦いを決意するまでのドラマまである。乗りこんだ敵地で虐げられていた末端の住民など、物語の本筋にかかわることなく背景として終わったりもした。
しかしそれは物語の密度が濃いともいえるし、実際に無駄な描写などはなかった。敵地の住民の立場も、真実を知って寝返った現場の軍人ゴダートひとりに集約されている*3と考えれば許せる。


そして想像力の欠落した敵首領の正体こそが、『海底鬼岩城』へのオマージュというべき存在だ。戦争への妄執を象徴する過去の遺物として、自動機械の正体をあらわにする。

想像で現実を乗りこえて記憶を守る『のび太の月面探査記』は、現実に想像が敗北して記憶が失われる『かぐや姫の物語』への回答になっている。

『海底鬼岩城』のポセイドンが東西冷戦の核兵器開発競争と相互確証破壊を風刺していたことに対して、『月面探査記』のディアボロは社会を過去に滅ぼしかけながら守るという建前で支配する存在を風刺する。
ここで映画スタッフが竹取物語をモチーフに選んだことが効いてくる*4ディアボロの配下は和風の鎧を着ているし、ディアボロは和風の居室で御簾の奥に隠れている。

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ディアボロは貧しい社会から脱出できる未来を配下や住民に夢見させ、その裏では兵器たる自身の復活を目論んでいる。支配者としてふるまいながら、「ミカド」と呼称されて敬われている。
この描写から連想せずにいられない国家がある。かつて諸外国へ侵略した代償として決定的な敗北を味わい、そこで反省からの再起をおこなったはずなのに、いまだ過去の亡霊が中枢に根をはる社会。

「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜 (朝日文庫)

「日本スゴイ」のディストピア 戦時下自画自賛の系譜 (朝日文庫)

非民主的な絶対君主制は、どれほど理想的な政治に見えても、その判断はブラックボックスとなってしまい、外部から検証できない危険性があることに変わりない。それが映画公開前後の改元騒動とも重なりあう。
制作開始時期から現実の退位公表の時系列から考えると、やはり偶然ではあるだろう。しかし制作者の原理的な問題意識が、結果的にしても時代をとらえたと感じさせる。


もちろん、純粋に娯楽作品としてもよくできている。
短編原作だけでなく大長編と比べても主人公たちの精神年齢が高いことに解釈の違いを感じたり、八鍬監督の前作*5と比べてメッセージ性ある台詞が浮いている感もあったが、全体として許容できる範囲だ。
秘密道具などの設定はまず基本を絵で見せてから、その応用を見せていく。後出し設定で逆転せず、納得できるかたちで意外性を演出していく。戦いに向かう主人公たちの迷いを念入りに画面へ刻んで、あくまで子供ということを示しつつ、その決意の強さをきわだたせる。
社会の犠牲になって棄てられた少年少女を、違う社会の少年少女が見返りを求めずに助ける。そのようなストーリーが娯楽性と社会性を密接にむすびつけ、忘れられていく歴史を記憶する物語として完成した。

*1:2005年リニューアル以降のTVアニメにおいては、サブタイトルを変えて大きく内容もふくらませ、2週にわたって前後編として放映された。別離の悲哀を強調するアレンジは今回の映画に通じる。『ドラえもん』ようこそ、地球の中心へ(前編) - 法華狼の日記 『ドラえもん』ようこそ、地球の中心へ(後編) - 法華狼の日記

*2:『映画ドラえもん のび太の宝島』 - 法華狼の日記

*3:ただ、少年兵のメタファーとして人体実験の犠牲ともなったエスパルたちを、実験者の親子愛的な贖罪だけで救ったように見える問題は、もう少し補う描写を足しても良かったかもしれない。国家の責任ある立場にある人間として、世代を超えて贖罪しようとするゴダートのドラマを、もっと見たかった。

*4:もちろん永遠の寿命をもつエスパルは不死の妙薬のおきかえであろう。ディアボロに拉致されたエスパルのひとりは、かつて地球に降りた輝夜姫であり、それを月世界の住人が救いにいくことが原典の逆転ともなっている。

*5:『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』 - 法華狼の日記

『映画秘宝』で町山智浩氏がライターに「嘘松」を発注していたと批判しながら、それは誰かと問われて回答しなかったchronekotei氏

それは『映画秘宝』のことで、特に『底抜け超大作』を「愛が感じられない」仕事として例示している。

底抜け超大作 (映画秘宝コレクション)

底抜け超大作 (映画秘宝コレクション)




しかしchronekotei氏は、私が2017年に観察した時点で、反人道的かつ反学術的な考えをツイートで明らかにしていた。
「モリカケ問題の風評被害」といった主張をすることは、ニセ科学やニセ医療の問題に注意するつもりはないということ - 法華狼の日記
根拠をいっさい示さないchronekotei氏の発言が信頼性できるかというと、それはかなり難しいと思わざるをえない。


そのようなchronekotei氏に対して、その友人とは誰なのか、あるいは記事がどれなのかと、町山氏*1が問いただしている。

その問いに対してchronekotei氏は友人に迷惑がかかるからと拒否して、「誹謗中傷でいい」という立場を表明した。


皮肉のつもりだろうが、「事実関係がどうたら批判されてもアメリカまで旅費使って行ってパイ投げて有耶無耶にするわけにもいかん」*2と、自身が事実関係を有耶無耶にしたい立場とも語っている。


最終的に、謝罪ではなく根拠を求める町山氏が不当であるかのように、chronekotei氏は第三者を巻きこむように主張している。


念のため、匿名の立場として「友人」を出したくないという心情はありうるだろう。しかしそのような匿名の虚実さだかではない発言を「嘘松」と呼ぶのではなかったか*3
私個人の印象をいえば、虚偽を発信させたと他人を批判しながら「オレはオレが言ったことが事実と証明されるかどうかにはまったく興味はない」と語るchronekotei氏にこそ、矛盾を感じる。


しかしツイートの流れを読みつづけて、匿名の立場から友人を守りつつ一定の根拠を出す選択肢はchronekotei氏にあったはずだとも思えた。

そもそもの話、chronekotei氏は特定の記事ではなく、『底抜け超大作』を初めとした『映画秘宝』全体を批判していた。ならば編集方針として「嘘」が求められたという主張は、むしろ特定の記事ひとつを示すだけでは不充分だろう。
つまりchronekotei氏は執筆者が異なる記事を例示して、そこに友人がいるかは言明せず、複数の嘘があることを指摘すれば良かった。ツイートのなかばで、間違いがあったこと自体は町山氏も認めている。

あまりにも嘘が多いことが指摘できれば、その程度によっては意図や指示があったと推測できる根拠になるし、そうでなくても編集方針に問題があったことは示せる。

百田尚樹氏はどのような「歴史の本」を読んで『永遠の0』を書いたのだろうか

朝日新聞による百田氏へのインタビュー記事を読むと、「日本通史」として出版した『日本国紀』に出典が明記されていないとの批判に対して、巻末の参考文献の有無に話をずらしていた。
「日本国紀」批判にどう答える 著者の百田尚樹氏に聞く:朝日新聞デジタル

――「日本国紀」には出典元の明記がないとの批判は、津原さんの他にも多くの人から出ています。
「参考文献を載せなかったと言われますね。でも日本の歴史の本は山のようにありますが、巻末に参考文献を載せている本はほとんどありません。」

参考にとどめず表現そのものまで引っぱったのに出典を明記しなかったから、『日本国紀』は剽窃と批判されている。そこで求められている対処は、参考文献の列挙ではなく、引用範囲と引用元の明示だろう。


しかし、現在は手元にないので記憶発言になるものの、百田氏の処女小説である『永遠の0』は、太平洋戦争をモチーフにしたフィクションとして当然のように巻末に参考文献を列挙していた。
百田氏は他にも『海賊と呼ばれた男』のような歴史を題材にした小説を著してる。それらの参考文献は「日本の歴史の本」が多いはずだが、さてそれらの書籍には本当に参考文献がのせられていないのかどうか。


念のため、原稿を認めてくれる出版社を探すのが大変だったという『永遠の0』の出版経緯から考えると、ゴーストライターに丸投げした可能性はきわめて低いとは思う。
ただ、フィクションの素材にしただけの参考文献は精読しなかったということかもしれないし、朝日新聞のインタビューにその場しのぎの釈明をしたのかもしれない、といった可能性は考えている。

日本人観光客、中国(大陸)に行かないのにロシアには行くんだ……

観光先として中華人民共和国が忌避されているらしいというid:zaikabou氏のエントリを見ていて、ひとつ思うところがあった。
日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題 - 日毎に敵と懶惰に戦う

紹介されているのは以下の通り

-2DAYS ―2日で行く海外―
香港(中国)/マカオ(中国)/台北(台湾)/平渓線(台湾)/ソウル(韓国)/済州島(韓国) など

3DAYS ―3連休で行く海外―
ウラジオストク(ロシア)/バンコク(タイ)/サムイ島(タイ)/ハノイ(ベトナム)/アグラ(インド)/セブ島(フィリピン) など

4DAYS&5DAYS ―有休や長期休暇で行く海外―
イスタンブール(トルコ)/バルセロナ(スペイン)/ウィーン(オーストリア)/
メキシコシティ(メキシコ)/ローテンブルク(ドイツ)/ハバナ(キューバ) など

香港とマカオはあるんだけれど、中国大陸は全くない。

独裁国家でありつつ観光特化したシンガポールや、独裁国家でありつつも比較的に解放的なキューバベトナムあたりがあるのはわかる。


しかし、後日のエントリで要約されているように政治体制が批判されているのが一因だとすると、ロシアが観光先に入っているのが解せない。
日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題、いただいたコメントへの見解 - 日毎に敵と懶惰に戦う

自分も中国共産党については好感は持ってないし、様々な人権侵害についてはまったく許容できないけれど、人民や大地が面白い、好き、という話と、政治体制が嫌い、という話は両立できる話と思うので、中共が嫌いだから中国いかない、とかならないです。

民主化をはたしたはずのロシアだが、政治体制や人権状況でいえば、中国と丙丁つけがたい。ウクライナ内戦*1など、とうてい正当性があるとは思えない直接的な軍事介入を現在していることを思えば、劣るとも優らないといって過言ではあるまい。
はてなブックマークを見ると多数のコメントがあるが、ロシアに明示的に言及しているのはid:rider250氏くらい。それも政治体制の問題をすぎさった過去のようにとらえている。
はてなブックマーク - 日本人観光客、中国(大陸)に行かない問題 - 日毎に敵と懶惰に戦う

冷戦期、主に招待旅行でソ連に旅して「治安が良いよ、食い物美味しいよ、国家としてはアレだけどロシア人は個人としては人柄が良いよ、皆とても親切だよ」というエッセイを書いてた作家や文化人たちを思い出した。

文化的な距離によるコミュニケーションの難しさなど、中国よりも観光先としてのハードルが高いところも多い。それなのに、中国ほどには反発されていないらしきことが不可解だ。


ただ少し違う話として、本当に政治体制へ疑問を持っているため観光先に選ばないとならば、それはそれでひとつの見識だとも思える。むしろ積極的にそのような意見を発信すれば、政治体制に問題をかかえた国家への批判として有意義かもしれない、とも考える。
ちなみに、チベットハウス・ジャパンでは、観光が全体として中国政府への牽制となると考えているようで、さまざまな注意をうながしつつ推奨している。
チベット本土へ旅行する方へ | ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

私達は、中国政府に対して圧力をかけ続けることが大切だと思います。最も有効な方法は、チベットでの「本当の状況」の目撃報告です。チベットにおける観光事業が、中国政府に利益をもたらしているのは事実です。しかし、もし、その地域に旅行者が居なければ、1998年5月にダプチ刑務所でおきたデモのような事件について、中国側の報告のみが発表され、国際社会が真実を知ることはますます困難になるでしょう。

同時に多くの危険があることも警告されて、物見遊山な観光は避けるべきという印象は受けるが、中国にかぎらず旅行にはこういう側面もあるのだと頭の片隅に置いてもいいかもしれない。

『世界まる見え!テレビ特捜部』世界の海岸線SP

南アフリカ:ダーバンビーチのレスキュー隊」は、海水浴客が集まる巨大な砂浜で奮闘するライフセイバー隊を紹介。
南アフリカ共和国らしく、海の波ははげしく、それゆえの楽しさと危なさが表裏一体。群衆をコントロールするため、ライフセイバーは華麗な水上パフォーマンスで親近感を持たせたり、目が届く範囲へ人々が集まるように沖を頂点とした三角形へと誘導する。
12月16日のアパルトヘイト廃止記念日には、海が大荒れで遊ぶには適さなくても、ずっと待ちわびていた人々が海岸に集まったりして、苦しみの歴史を祝祭へと解放した美しさが感じられた。さらに正月には30万規模の客が押しよせる。
もちろんライフセイバーは客を楽しませつつ安全を確保するようにふるまうのだが、陽が落ちて危険な時間帯に入るとビーチを閉鎖しなくてはならなくなり、友好関係を築いた若者客から砂を投げつけられたりと、本当に頭が下がる光景だった。


「沈み行くタウー環礁」は、パプアニューギニアで海岸線が後退しつづける島に密着。かつての住居は海岸線におかされ、残された土地を住民は手作りの堤防で守ろうとする。
しかし科学者が来て調査したところ、砂浜を削って積みあげた堤防は、砂浜の対浸食効果を失わせ、無意味か逆効果だと指摘される。主食のタロイモ畑は海水が土中へ侵入しているが、解決する手立てはない。さらに予想外の高潮で島全体が水浸しになる始末。自然の前に滅びゆく共同体から親を連れだそうと、都会で大人になった子供たちが説得するが、もちろんうまくいかない。
自然の猛威と同調するように、地域共同体が崩壊していく。その過酷さと速度は特殊だとしても、過疎地に住む一人として他人事とは思えなかった。


他に、カリフォルニアやバンクーバーの水族館が、白内障のアシカや寄生虫におかされたネズミイルカを救う光景も。
その真摯な治療風景も物珍しかったが、ショーが重視される日本の水族館と比べて、環境の保護や観察を重視した水族館のありようも興味深かった。