法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』ようこそ、地球の中心へ(後編)

あ、前回で変更された新規OPの感想を忘れていた。いや、正直いって、忘れるくらいインパクトが薄かったのだが。
主題歌を変更しないのはいいとして、予告映像で用いられていたイラストがストーリーボードではなく本編で用いられるとは、あまり良くない意味で予想外だった。前OP映像はポップさをデザインだけでなくアニメートでも表現できていただけに、今OP映像でも動きの楽しみを期待していたのだ。
期待せず見ればこれはこれで楽しいが、NHKでやっているような*1イラストをCGで動かすという手法は、個人的な好みには合わなかったな。


さて物語本編だが、前編で予想していたのとは違い、おおむね原作通りの展開。しかし細部の変更で大きく印象が異なっている。
大きな変更点は、ジャイアンスネ夫を全くの悪役にしていないこと。二人は原作通りに地底世界を公表しようとするが、途中で尻込みするようになる。代わりに、まずアニメオリジナルキャラクターのカメラマン一人が地底世界へ行き、社会へ公表しようと活動を始める。つまりカメラマンが原作におけるジャイアンスネ夫の役割をつとめたわけだ。
さほど寓話としての構造は変わらないし、ジャイアンスネ夫がアニメ独自の描写で深みが与えられたと評価することもできる。
しかし、カメラマンが実際に地底世界を見た結果として、子供達だけが知る異世界……そして大人社会が失った異説……といった味わいはなくなった。
さらに、名前すら存在しない部外者キャラクターに悪役が押しつけられる結果にもなった。ジャイアンスネ夫が真摯に反省しているわけではなく、二人の過ちが宙ぶらりんに終わったことも、都合のいい悪役キャラクターが作られたという印象を増している。ジャイアンスネ夫が自戒する素振りを薄っすらと見せるだけでは不充分だろう。


また、封印の象徴として秘密道具を土に埋めた展開は、地底世界への侵入を防ぐため後戻りできない状態にするという描写へ改変された。これはどちらも別々の味わいがあり、改悪とは感じない。
原作ではただの脅威として扱われていた“失敗作”を、のび太が作った責任を取ろうとして地底人と共存させたのも、悪くない改変だった。


人の業を描いたマンガに対し、アニメは別離の悲哀を強調した。
必ずしもアニメ版の出来が悪いとは思わないが、別離の悲哀を描いた物語は他にもあるので、今回は異世界から得手勝手に利益を得ようとする人間*2の愚かさを描いてほしかったところ。

*1:『しばわんこ』等。

*2:その中には、馬鹿なことをいってスネ夫に笑われたことへの反発で地底人を作ったのび太もふくまれる。