法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

キャンセルカルチャーを警戒すると自称する某大学教授、自国で表現が弾圧されていることより外国の団体のスキャンダルが気になる様子

 京都女子大教授の江口聡氏が、暇空茜こと暇な空白氏にブロックされているという、自分自身でどうでもいいというツイートをしていた。


あ、あの先生は暇な先生についていろいろ書いてたけど消して(訴訟回避?)、私をその先生のアノンだかなんだかに見立ててなんかしているのかな?私暇な人にはちゃんとブロックされてるんだけど……


いや別に全体にどうでもいい話。

 念のため、「あの先生」なる人物は私のことではありえない。
 公開した記事を完全に削除したことは一度もないし*1、むしろ暇な空白氏がいくつかのコメントを消したことを指摘したこともある。
ここ最近に仁藤夢乃氏やColaboへ否定的に言及したツイートやページが断りなく消えている - 法華狼の日記

コメントを断りなく削除することも自由ではあるが、はてなスターを暇な空白氏のコメントにつけた人々はこうした態度をどのように考えているのだろうか。

 江口氏に言及して江口氏も読んでいるらしいエントリでは、むしろ「Jアノン」との同一視を否定した。似ているとは思っているが、私は「暇アノン」という呼称をつかったことすらない。
暇な空白氏による慈善活動攻撃へ、自然と「Jアノン」が合流している - 法華狼の日記

念のために注意すると、暇な空白氏が「Jアノン」だと主張したいわけではない。暇な空白氏を応援したり、部分的に利用している人々のすべてが「Jアノン」だと主張したいわけでもない。
思いつきの解釈に飛びついて、同じような価値観の情報をあびつづければ、同じ地点にたどりつくこともあるだろう。異なる種類の動物が同じ環境において似ていく収斂進化のように。

 誰に対するツイートかわからないので、江口氏が何を主張したいのかつかみづらいが、そもそも暇な空白氏にブロックされている情報に意味があるだろうか。江口氏のツイートは自認するようにどうでもいい。
 ささいな理由で賛同者もブロックするような人物からブロックされていないなら情報として意味があるとは思うが、「おそらく一部は曲解」と評した江口氏ならブロックされても不思議はないだろう。
京都女子大で現代社会学部教授をつとめる江口聡氏の今の考えは、暇な空白氏のしていることは「おそらく一部は曲解」とのこと - 法華狼の日記

「曲解」しているということは、つまり「陰謀論」や「あやうい」にとどまらず、暇な空白氏を不誠実と江口氏は考えるようになったのかもしれない。良し悪しはさておき当初から比べると、暇な空白氏とColaboを中立的に評価しつつあるようには見える。

 上記エントリでいくつか引用したように、江口氏は「私は評価している」「好感がもてる」といったツイートもしていた。もし江口氏が自身の立場を説明したいなら、まず自身の言動を提示して論じあうべきだろう。
 曲解するような人物と評価しながら、その主張に興味をもって追いかけながら相対的に信じつづけている時点で、江口氏の距離感は自明に近いとは思うが。


 それはさておき、江口氏の上記ツイートは最終的にとりさげられたとしても、いったん自己の立場を他人の言動にゆだねたことは、本題と関連する興味深さがある。
 日本が加害した歴史を日本で話題にすることが、なぜか被害国の団体に左右されるという同日のツイートと、発想が類似しているのだ。こちらはとりさげたツイートも見あたらない。


はてなといえば慰安婦問題、みたいな印象があって、その問題あんまりみんな触れなくなったのは、韓国の団体とかのスキャンダルいろいろ報じられたからなんかな。
総括とかそういうのはやっぱり難しいだろうと思う。

 はたして江口氏は誰が何を総括することが難しいと思っているのだろうか。


 ばくぜんと「韓国の団体とかのスキャンダル」と書かれても、何を指しているのかよくわからない。
 国家的な犯罪を告発する個人や団体が反動のようなスキャンダルで注目されることは珍しくないし、もちろん従軍慰安婦問題でも昔から何度となくあった。
 たとえば朝日新聞記者の植村隆氏の親類として便宜をはかったかのようなデマを流されていた遺族会会長は、詐欺容疑で訴えられていたが無罪が確定している。
詐欺容疑で裁判にかけられていた遺族会会長が無罪確定 - 法華狼の日記

これは単に有罪が立証できなかったという話ではない。
むしろ名前を利用された一種の被害者であったこと、むしろ容疑内容に相反する主張をおこなっていたことが認められたのだ。

 本当に支援団体に問題があったとしても、それが被害を論じるにあたってどのような影響をあたえるかは、「スキャンダル」の軽重や性質によって変わってくるものだ。
 最近の「スキャンダル」といえば、元慰安婦が長らく支援された団体への不信感を表明して告発したことが記憶に新しいが、おこなわれた告発は問題の言及をさまたげるような内容ではなかった。
 むしろ被害者が日本への批判をやめるかのように勝手に期待して、元慰安婦が東京都に記念碑を建てることを要求したことを「手のひら返し」と非難する記事が文春にのるような結果となった。
「東京に慰安婦像を建てよ」91歳元慰安婦の“手のひら返し”が腑に落ちないワケ | 文春オンライン

 ところが、正義連を厳しく批判したわずか2カ月後、ふたたび正義連と手を結ぶ「手のひら返し」をしたのである。

 少し考えれば予想できたことだ。たとえば労働組合に参加するまで労働者が抵抗しなかったからといって、存在しない不満を労働組合の指示で労働者が主張しはじめたと経営者は思うべきではない。不満をつくられた可能性がまったくないとはいわないが、個人では抵抗する力がなかっただけと解釈するのが一般的だろう。
 個々の労働者の不満はむしろ交渉のため労働組合が妥協させたりもするし、経営者が真摯に労働者とむきあいたいなら労働組合は便利な窓口にもなる。事実として、別の支援団体が日韓合意を妥協的に受けいれた時、そこにいた元慰安婦が来日して合意を否定したこともあった。
日韓合意を元慰安婦が受けいれたという結論なら、現在のNHKでも韓国外務省の調査を事実として報じられるらしい - 法華狼の日記

不思議なことに、ナヌムの家が元慰安婦の反発を抑圧して日韓合意に賛成したと批判している意見は、一度も見たことがない。

 もし「韓国の団体とかのスキャンダル」に関連して「総括」の必要が日本であるとすれば、支援団体をはずせば交渉がすすむと考えたような人々ではないだろうか。


 はてなサービスで言及がつづいている証拠として、ユーザーのひとりである私もまた、日本軍慰安所制度をめぐる報道に最近も何度か言及してきた事実がある。
 はてなブックマークを集めたエントリもいくつかある。与党政治家による百科事典への介入や、日本政府による表現への抑圧、ドキュメンタリ映画『主戦場』をさしとめたスラップ訴訟などだ。
自民党参議員の山田宏氏が弾圧しようとしている百科事典ポプラディアの記述は、おおむね歴史学的には妥当と思われる - 法華狼の日記
岸田文雄氏、首相として表現の弾圧をドイツの首相へ要請していたことが判明 - 法華狼の日記
「従軍慰安婦論争」をあつかったドキュメンタリ映画『主戦場』が高裁でも勝訴し、映像配信も開始される予定とのこと - 法華狼の日記
 たしかにドキュメンタリの全面勝訴確定*2のエントリは書いていないように、変化の少ない話題と思えば話題にはしていない。新規性のない話題でも問題の重みを重視すれば言及の回数を多くするべき、という意見ならば理解できる。
 しかし冗談じみた箇条書きのひとつとはいえ、固定ツイート*3の「参加している政治団体・政治運動」に「キャンセルカルチャーを警戒する会」を入れながら、江口氏の警戒感のなさはいったいなんだろうか。
 いや、与党自民党の政治家が表現や言論を弾圧する動きには警戒感がうすれて、「忖度」するように弾圧対象に問題を見いだす江口氏の態度は、先日のポスターの話題とそっくり同じだ。その意味において一貫性はある。
社会全体で性暴力の問題を共有しようという啓発ポスターについて、与党議員がとりさげさせようとする理由がよくわからなかったが、某大学教授の批判で少し見当がついた - 法華狼の日記
 そもそも江口氏は最近も「キャンセルカルチャー」について下記ツイートのような認識を語っていた。ずっと足元でつづいている「キャンセル」が目に入っていないのだろうか。


1時間ぐらい前に書いたつもりだったんだけど、「キャンセルカルチャー」が少数派の異議申し立てって解釈できるかどうかもちょっと微妙なところがあるように思う。
いろいろな差別や不利益を受けてる少数派というのはたしかにいるわけだけど、キャンセルカルチャーと呼ばれる現象は、その少数派の人びとが道徳的マジョリティの協力や応援を得て成立するもののように思う。その道徳的マジョリティが「反差別」であるっていうのはまちがいないところだと思う。
道徳的マジョリティに訴えることができない少数派、たとえばナチ信奉者とか、反ナチ論者をキャンセルしようったってできない。

 江口氏には何が見えているのだろうか。きちんと表現にむきあって議論することができているだろうか。

*1:引用したツイートを要望されて非表示にしたことはあるし、内容を訂正すること自体はあるが、訴訟回避を意識したことはない。むしろ訴訟を覚悟してでも文章を再掲したこともあった。

*2:tofoofilms.co.jp

*3: