法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん』ま夜中に山びこ山が!/ボトルシップ大海戦

 パクキョンスンがEDで副監督にクレジットされ、今回の前後ともコンテ演出を担当。煽った構図で表情を見せるところや、秘密道具をつかう動作を省略しないあたりが2005年リニューアル以前を思い出させる。
 しかし前後ともかなり作画が不安定で、絵柄が乱れているだけでなく骨格がところどころ怪しい。キャラクター作画監督が新設され、前後とも長島崇が担当しているようだが、一貫して不安定な印象がある。
 前半の原画はDebris札幌という記憶にない会社が一括して請けている。作画監督を共同でつとめている鷲田敏弥が代表らしく、作画@wikiにページがあったが、作画監督を担当した回はいくつも見ているものの印象に残っていない*1
 体制変更をアピールするためリソースをそそぎこんでいるように感じない。むしろ制作の苦しさを分散するための新体制なのだろうか。


「ま夜中に山びこ山が!」は、勉強を命じられたのび太が、ドラえもんがいないので昼寝しようとする。しかしどこかからドラえもんの叱責が聞こえてきた。どこにもドラえもんの姿は見えないが……
 中期原作を2005年リニューアル以降で初アニメ化。前述のように作画は不安定だが、ていねいに段取りを描写して省略していないので、のび太の机の下に秘密道具がしかけられていたことに納得感があるのは良い。
 ほぼ原作に忠実な内容だが、アニメオリジナルでスネ夫が巧妙なしかけをして、しかしペットのささいな介入から完璧すぎる応答ゆえにズレがあからさまになる失敗ギャグは定番をていねいにやってて良かった。
 ただいかんせん、SFとしての驚きが完全に消えた物語になっている。原作は1984年が初出であり、すぐにテープレコーダーが一般家庭にも普及して、現在はスマートフォンなどで容易に録音と再生がおこなえる時代となった。わざわざサイズの大きな秘密道具をつかわなくても同じ物語が成立してしまう。
 逆にタケコプターをつかって玄関に秘密道具をしかける場面などはこの作品でしかできないが、逆にタケコプターでそのまま外へ抜け出すことができてしまうことが絵として明らかになってしまい、わざわざ今回の秘密道具をつかわなくてもいいという印象をもたらしている。それどころか、しかけるため扉を開閉しても音で気づかれない以上、タケコプターをつかわずとも抜け出せる印象すら生んでいる。たとえば、母親は定期的に2階にあがって監視する一方、のび太トイレに行くと見せかけて階下にしかけてすぐ部屋にもどれば、以降は同じ展開でも説得力が増したのではないだろうか。


「ボトルシップ大海戦」は、叔父のつくったボトルシップをのび太しずちゃんたちに見せたところ、それ以上に大きなボトルシップをスネ夫に自慢されてしまう。秘密道具でボトルシップをつくることにしたが……
 末期原作を2005年リニューアル以降で初アニメ化。検索したかぎりでは、脚本の待田堂子作画監督の矢吹英子も作品初参加のようだ。この作品でメインスタッフの大半が女性というのは珍しい。
 大筋は原作に忠実で、公園のボートだけでなく屋形船をボトルシップ化してしまったり、スネ夫が出した艦船の歴史が細かく語られたりと、ディテールを細かく描く方向でふくらませている。
 しかし原作の時点からの疑問だが、ボトルシップはビジュアルの意外性だけでなくパズルを組み立てるような楽しさもあるはずで、インスタントにつくって楽しいのだろうか? もちろん熱心なモデラーでもあった原作者が書いた物語なので、門外漢の想像よりは実態に即しているのかもしれないとも思うが。