法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『劇場版 艦これ』

島が点在する広い海原で、深海棲艦という怪物と戦う少女たちがいた。無骨な兵装を身体にとりつけ、軍艦のように水上を滑って戦う彼女らは、艦娘と呼ばれた。
ある日、少し前の戦いで沈んだ艦娘が記憶を失って浮上する。前後して、兵装を壊す異変が海に広がっていく。真実を知るため、艦娘は異変の中心に向かうが……


大人気の軍艦擬人化ブラウザゲームを原作に、2015年はじめに放映されたTVアニメ*1の後日譚として、2016年おわりに公開された完全新作アニメ。

「劇場版 艦これ」Blu-ray限定仕様

「劇場版 艦これ」Blu-ray限定仕様

  • 発売日: 2017/08/30
  • メディア: Blu-ray

草川啓造監督*2をはじめメインスタッフは続投しつつ*3、TV版シリーズ構成だった花田十輝と共同で原作ゲームディレクターの田中謙介が脚本をつとめた。


誤解をおそれずにいえば、予想したよりも感心できる作品だった。
商業的にヒットしつつ原作ファンからも評価がかんばしくなかったTV版と比べて、全体を向上させて不満や疑問にこたえられるだけの劇場版と感じられた。
いっそTV版を見ないまま劇場版だけ鑑賞しても良いだろう。記憶をよすがに虚しい戦いをつづける若者たちを描いた物語なので、ふまえるべき人間関係や作品設定は少なくてすむし、歴史知識も義務教育の範囲で問題ない。


まず映像について、予算や時間に余裕があるから豪華になったというだけでなく、TV版で批判されがちだった部分が細かく改善されている。
特に冒頭の戦闘が、TV版を上書きするように全体の印象を決定づけている。娯楽アニメでは珍しくBGMをほとんど使わない音響演出で、薄暗い海上での戦いが延々とつづく。3DCGでうねる海面を、スケートのような動作で艦娘が滑っていく。
TV版で不評だったひとつが、推進方法がよくわからない艦娘の設定だった。原作の人気で期待が高かった反動もあるが、ゲームキャラクターが棒立ちで海面を滑る不自然さは予告PVの段階で不安視されていた。
水面を立って滑るように移動する描写は、きちんと演出すれば魅力的になるはず - 法華狼の日記

訓練をつづける第2話で、どのように水面に立って移動できているかを視聴者へ感覚的につたえる描写はできたはず。せっかく水上移動が下手だという個性を主人公が持っていたのだから。その回想で、どのように初めて水面に立ったかを思い出しても良い。

上記のような視聴者に実感させる工夫をしないままTV版は終わった。制作リソースが不足していくにつれ、静止したキャラクターがスライドするだけの省力表現も目立っていった。
対して劇場版は、スケートのような膝の動きでキャラクターの移動を実感させ、手書きアニメと3DCGの海面で異化効果を生みだし、海中から足裏を見るカットで透明な海らしさを表現した。
劇場版も後半になると省力してスライドのような推進描写になっていくが、観客が冒頭を基準に理想の光景を想像でおぎなえる。TV版も第1話やOPでそうした印象づけがあれば良かった*4
また、異変の前兆演出でもあろう薄暗い戦闘は、照明で敵を見つける駆け引きにつながる。どちらが先に相手を見つけるかという争いが、後半の一大決戦で応用されていく。視覚的にも、何もない海上でも照明のとどく範囲で広さ遠さが表現され、数多いキャラクターで注目すべきところを指し示す。
艦娘や深海棲艦が戦闘で傷つき血を流していく姿も、本編がふみこむシリアスさの線引きとなった。


TV版は小規模会社ディオメディアが同時期に4作品もTVアニメを制作していて、主力をつかっているだろう『艦これ』も厳しさを感じたものだが、さすがに劇場版は全体の作画を整えている。
4人の絵コンテ*5や2人だけの演出など、クレジットされる人数が近年のアニメ映画としては少ないことも、少人数でていねいに作っただろうことをうかがわせる。
デフォルメ演出をほとんど使わず戦闘と日常を描いているから、その共同体の外部が空白であっても意識的とわかりやすく、世界観が崩れない。


物語は、意外にもジョージ・オーウェルが描くディストピア作品を連想した。
もともとTV版からして、指揮する提督が姿をあらわさず、戦う理由も判然としない不条理ぶりだった。しかしそれが何を意図したものか理解できず、設定の欠落としか思えなかった。
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何のために戦うのかわからない、どのような背景で戦っているのかわからない、敵の正体もわからない。

劇場版は答えを安易に出さず、共同体の中枢で状況の虚しさを知っている年長組と*6、何も知らず懸命に生きる年少組の温度差をつくり、放映時に求めたように主人公を不条理へ直面させた。

守る対象の「人間」を出せないなら、守るべきものがないのに戦わされる不自然さをドラマの基盤にすればいい。

上層部へ疑念をいだきながら現場で戦うアニメは少なくない。残された日誌で命令を遂行する展開を中盤にやるなら、いっそ物語の始めから終りまで日誌の命令で主人公が動き、本当に提督など存在するのかと悩ませたっていい。押井守か。

TV版では最終的に実在するかのように位置づけられた提督だが、劇場版ではやはり主人公が記憶するようには存在しないことが年長組に示唆される。
ただ艦娘と深海棲艦が勢力を競うだけの何も守らない戦い。それは王将や玉将がいない将棋のようなもので、わかりやすく詰みで終わらせることができない。明かされた設定にもとづく勝利条件は示されるが、だからこそ達成の遠さが理解できる。


もちろんTV版での思わせぶりな描写に答えがなかった問題などは、そもそも劇場版に回答をまわした結果ではあるだろう。しかし期待以上の回答ではあった。
モチーフにした太平洋戦争の後半と同じく、終わりが見えないまま、戦いのための戦いに未成年まで動員される*7。その愚かしさを描きつつ、たどりついた真実によって外敵を嫌悪し対立する構図は消えた。
あばかれた設定は下記エントリとコメント欄で紹介した考察のひとつに近い。それも単純な逆転とは違って、艦娘と深海棲艦を表裏一体な存在と位置づけていた。
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一応は艦娘を主人公側に位置づけつつも、深海棲艦とは対等な鏡像関係にあり、そう映像でも演出される。
異変の中心へ向かう一大決戦で主人公は敵と向きあい、自身の記憶と感情に向きあうドラマとして物語は娯楽的に閉じられた。それでいて、世界の不条理さはむしろ強固になった。
現実の戦争を娯楽化したことをもテーマに組みこみつつ、うまく史実の重みを回避。それが同時に主人公個人にドラマを集中させて、娯楽として観客の期待にこたえる。


念のため、劇場版への好印象は、TV版への落胆の反動かもしれない。単体で評価すれば、より巧妙なかたちで戦争をモチーフにした娯楽作品も少なくない。
しかし根底から作りなおすのではなく延長線で立てなおしたことは誠実と感じられたし、注目をあびる人気作品でうまく境界線をわたりきったとは思えた。

*1:スタッフから制作会社まで全て変えた2作目の制作が2019年に発表されているが、いまだ続報が出てこない。

*2:制作会社ディオメディア所属の演出家で、あまり作りこまない作風が良くも悪くも特色。アニメーターの自由度を許容するので気軽な楽しさがあるが、今作のような原作ファンや題材のため評価基準が厳しくなる作品には向いていないとTV版では感じられた。

*3:玉木慎吾が初めて助監督としてクレジット。劇場版につながる戦死をシリアスに描いたTV版3話で、コンテ演出から作画監督原画までつとめていた。もともと仕事の速さと上手さの両立で有名なアニメーターだ。同じ草川監督ディオメディア制作の『悪魔のリドル』で、サイボーグ少女が活躍する第10話の演出と作画を担当していたことが印象深い。 『悪魔のリドル』雑多な感想 - 法華狼の日記

*4:1話冒頭のベテランによる戦闘が直立移動なのが痛い。TV版でもカットによってはスケート的な動きも見られるが、主に水面でバランスのとれない稚拙さに位置づけられている。

*5:監督と助監督の他、メカ作画で知られつつ演出作品は美少女アクションが多い吉田徹と、宮澤努が担当。

*6:最も高身長で強そうな大和だけ、深い情報を知らないような態度で主人公と対等に会話する、おっとりした存在なのがアクセントになっていて良かった。

*7:念のため、あくまで娯楽として成立するくらいの柔らかい表現にとどまる。艦娘が自他の幼さに悩む姿もない。残念ながらというべきか、良くも悪くも前提となる歴史も描かれない。艦娘の元になった兵器が戦端を開いた側とは位置づけなかった。たとえば深海棲艦の心情に自罰的な描写があれば、そのあたりまで深められたように思うが、さすがにそれは期待しすぎか。