法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アニメ映画ベストテン〜映画限定〜

ほとんど実写を見ないこともあって例年はアニメしばりで参加してきた。今年はアニメ映画から選ぶので、映画しばりで参加する。
2014-10-31
かつて押井守監督は「すべての映画はアニメになる」といった。そもそも映画は静止画のつらなりで動きを表現している以上、「すべての映画はアニメである」ともいえる。
スクリーンに映る全ての素材が虚構であること、それを全て制作者が制御していること。それを自明に感じさせるアニメという表現を象徴する、代表的な作品を選んだ。


1.『千年女優』(2002年、今 敏監督)とある老女優へインタビューする、ふたりのドキュメンタリスト。嘘か真かわからない老女優の語りに乗せて、日本と映画のかけぬけた時代を描きだす。
アニメという映像表現は、現実の引用も架空の情景も、あらゆる描写を同列でそろえることができる。階層ごとに別けた素材を撮影する手法が、合成を使うまでもなく一般的におこなわれている。

さまざまな邦画をパロディしながら、時代も媒体も虚実も越境していく物語は、アニメだからこそ高度に完成できたのだろう。そこで描かれるのは、国家の意図や社会の欲求で映画がつくられ、さまざまな観客の思いで解釈されてきた歴史。
だからこそ、情念にまとわりつかれた重みを主人公がふりほどき、身勝手な観客をとりのこして去っていく逆説的なカタルシスが忘れられない。完成度は高くても意外性の少ない今監督作品において、ただひとつ衝撃を受けた作品だった。


2.『WXIII 機動警察パトレイバー』(2002年、高山文彦総監督)ロボットアニメ世界で展開される、刑事ドラマと怪獣映画。今はもういない者への思いいれから始まる惨劇と、誰も真相を知りえないまま終わった物語を描く。
いかにもアニメらしく異なるリアリティの存在を映像に同居させてみせながら、物語としてジャンルを融合させることはない。映像においても、異なるカットを文脈によってつなぎあわせるモンタージュ演出を逆転させ、この作品では対比であるという文脈で同じカットに断絶を生む。
たとえば駅のホームで、快活に走っている看板の女性と、足を負傷した手前の男性は、そっくりの彩色で処理されている。*1

ふたりの男性が捜査する時、背後の看板が望遠圧縮で映りこみ、距離感が失われる。共同体が壊れた物語なのに、家族幻想の絵が背景としてかがけられる*2

あらゆる断絶を描いていった先に、それを決定づけるクライマックスがおとずれる。あらかじめ無人の観客席に向けて展開される、すりかえられたシューティングプラン。そこで残酷な事実をあばくことが、一矢報いることであると同時に、決定的な離別へいたらしめる。


3.『まじめにふまじめ かいけつゾロリ なぞのお宝大さくせん 』(2006年、亀垣一監督)幼児向け絵本を原作とした冒険活劇を、日本トップクラスの作画陣で元気いっぱいに映像化した。
虫プロダクションの流れをくむサンライズと、東映動画からシンエイ動画の流れをくむ亜細亜堂が制作。さらにガイナックスの雨宮哲など、会社を超えて多様なアニメーターが参加。ていねいな日常芝居、けれんみの強いアクション、金田伊功の影響下にあるクライマックスまで、日本のアニメ表現の進化史をたどるような面白味があった。
さらに中編アニメ映画『超劇場版ケロロ軍曹』と同時上映され、キャラクターがたがいの作品内に登場する遊びも楽しめる。無関係な人気作品をまとめる子供向け上映形態を、21世紀に再現した作品でもあるのだ。


4.『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争』(1985年、芝山努監督)軍事クーデターから逃れてきた異星人パピと、映画を自主制作していたドラえもん達が出会う。かくまった責任をつらぬくため、そしてパピの誠実さにむくいるため、ドラえもん達はピリカ星での反クーデターにいどむ。
過去、宇宙、秘境、海底、魔界、さまざまな世界を旅したシリーズが一巡し、ふたたび宇宙を舞台とした。そのためか、映画という表現に向きあった描写や、古典的な映画からの引用が多い作品となった。
導入からして、チリクーデターを思わせるピリカ星でのクーデターから、スネ夫による特撮映画の撮影へと、シームレスにカットをつないでいく*3

現実と特撮を行き来する演出は実写映画でもまれによくあるが*4、アニメだからこそ質感をそろえることができ、異化効果を高める。
そして激怒するジャイアンがハリウッドのMGM映画のパロディになったかと思うと、OPで映画パロディ映像が流れて、歴史をふまえた作品ということを宣言する*5

物語が進むと、地球人に比べてピリカ星人のサイズが小さいと明かされる。冒頭のカットつなぎに、SFとしての面白味も加わるわけだ。
終盤に冒頭の対として主人公達はミニチュアサイズの都市で戦う。その姿は怪獣映画と変わらない。ドラえもんにいたっては「まるで何かの映画みたいだな」とぼやくし、暴れる姿は『キングコング』そのものだ*6

レジスタンスのアジトで主題歌「少年期」が歌われ、それが挿入歌となる演出も印象深い。これも革命を描いた過去の映画を意識した場面か。


5.『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』(2005年、水島精二監督)錬金術の発達した並行世界から、ナチス勃興期のドイツに来た主人公。ここではない理想郷を求める人々と、別世界もまたひとつの現実だと知る主人公の、苦い戦いが描かれる。
人気漫画連載中に映像化されたため、アニメオリジナルの結末をむかえたTVアニメの後日談。冒頭で設定説明するエピソードもあり、独立した作品として楽しむことができる。中盤の地下世界で展開される、中村豊コンテのアクションは絶品だ。それと同時に、TVアニメの映像ソフトパッケージを利用したOP演出や、原作キャラクターをパロディしたような並行世界キャラクターなど、TVアニメの劇場版だからこそ楽しめる要素も多い。
そして大日本帝国プロパガンダにくみこまれる映画を1番が描いたように、ナチスドイツのプロパガンダに利用される映画への言及がある。その象徴として登場するのがフリッツ・ラング監督だ。ナチスに反発して亡命したという伝説と、体制化での生き残りをはかっていたという史実の、両面を矛盾なくキャラクター化している。その上で、映画という虚構で現実に対峙する意義を力強く語っていた。


6.『UN-GO episode:0 因果論』(2011年、水島精二監督)内戦のつづく東南アジアで、主人公はボランティアで映画上映をしようとした。しかし挫折した上、他のボランティアとともに戦闘に巻きこまれる。望まず日本を開戦させた主人公が帰国すると、惨劇のつづきに直面した。
5番のスタッフが5年後につくったTVアニメ『UN-GO』。坂口安吾安吾捕物帖』を素材として、近未来SFミステリへとアレンジした作品だ。その主人公が不思議な能力を持つ相棒と出会い、探偵になるまでの前日譚を描く。小説家坂口安吾が明治を舞台に敗戦後を描いたように、脚本家會川昇は近未来を舞台に現代を描こうとする。
まず東南アジア現地では携帯ゲームが広まっており、誰も映画に見向きもしない。ボランティアが内心にもっていた、社会から逃避したいだけの動機もつまらない。一方、平和のためのボランティア団体「戦場で歌う会」が攻撃されたことを口実に、日本は戦争へとふみこみ、無残な結果をむかえる。その後の不安にゆれる社会ではびこる、愛国心を賞揚する新興宗教
それらを皮肉たっぷりに描いた上で、建前をつらぬくことの大切さと気高さを力強く語る。その人物像は1番の老女優を思わせ、その精神を支える歌は4番の主題歌「少年期」*7。そうして映画をはじめとした虚構の限界と意義を、さらに深く描いていった。ED後にTVアニメOPが始まる演出も、前日譚映画ならではの面白味があった。
ただし、1時間に満たない中編映画なためか、それとも全体を主導した脚本家の作風のためか*8、真犯人との決着はあっさりしたもの。しかし脚本家自身によるノベライズ『UN−GO 因果論』は、より皮肉な真犯人との決着が描かれ、男同士のドラマとしても印象深く、新境地と感じさせた。映画版ではとりこぼされた観客という立場も描かれており、前日譚としての設定解説もくわしい。こちらのシナリオで長編アニメ映画化してほしかった。


7.『Yes!プリキュア5 鏡の国のミラクル大冒険!』(2007年、長峯達也監督)遊園地でミラーハウスに入った後、妖精の様子がおかしくなった。プリキュアは本物の妖精を救うため、鏡の国へ向かう。そこに待ち受けていた敵は、主人公を反転させたダークプリキュアだった。
人物を画面にうつさない背景だけのカットを多用したりと、長峯監督の才気ほとばしる演出により、全編に緊張感がみなぎっている。作画の高低差がありすぎて、ところどころ映画としては不統一が厳しかったが、かわりにアクション作画の充実ぶりが印象的だった。ダークプリキュアとの対決も、偽ヒーローとの対決らしく激しいアクションが楽しめ、それでいて和解にたどりつくプリキュアならではのドラマも描いてみせた。
プリキュア』の映画シリーズは多数あるが、あくまで劇場版として娯楽に徹するか、苦難を描いても前向きな結末にたどりつくか、たいていどちらかに分類される*9。しかし長峯監督の初長編作品は、はげしい感情をぶつけあった後、苦味の強い結末をむかえる。誰もいないラストカットにかぶさるTV版ED主題歌の陽気な前奏が、いっそう喪失の痛みを際立たせる。
劇場作品として面白いのは、観客参加映画であること。主人公を応援するため、ミラクルライトという照明を観客がスクリーンに向ける場面が用意されている。映画シリーズで恒例となったイベントは、この映画から始まった。さらに数年してEDで観客とともにダンスを踊るイベントも加わっている。メジャー映画シリーズで、劇場にいる観客を巻きこもうとする企画が成立している。


8.『アニマトリックス』(2003年、アンディー・ジョーンズ監督他)虚構からの解放を描く『マトリックス』3部作。その設定を共有し、前日譚や外伝を描くオムニバスアニメ映画。
外国の映画やゲームの宣伝として、日本メインでオムニバスアニメを制作する、その端緒的な作品。各国語版の複数エピソードが公式サイトで無料配信されていることも先駆的だった*10
これも虚構と現実の境界線をただよう物語だが、わかりやすい原作の世界観にもとづき、プロットも提供されているおかげか、娯楽短編として完成度が高い。何より、国外資本のおかげもあって、とにかく投入された映像リソースが圧倒的で、しかも方向性にバラエティがありながら、各エピソードでは一貫性をたもっている。アニメという技法で表現できる範囲がどれほど広大か、わかりやすく確かめることのできる作品だ。
日本以外で制作したエピソードも面白い。ミッシングリンクを描く『ファイナル・フライト・オブ・ザ・オシリス』は実写と錯覚する3DCG作品だったし、ピーター・チョン監督の『マトリキュレーテッド』は全体のパッケージがすぐれていた。


9.『劇場版 マクロスF 恋離飛翼サヨナラノツバサ〜』(2011年、河森正治監督)宇宙を旅するマクロス・フロンティア船団は、宇宙生物バジュラの侵攻をしりぞけ、とりあえずの平和を謳歌しようとしていた。しかしマクロス・ギャラクシー船団との緊張関係が軍事行動に発展し、主人公達は混沌とした戦いに巻きこまれる。
前編はTV版を圧縮するため、最低限の改変で再構成していた*11。対する後編は、他の『マクロス』シリーズもふくめてテーマ面の決着をつける、全く新しい結末を描いた。
TV版では、戦争の黒幕をひとつの敵に集約して倒しつつ、三角関係は恋愛感情を無視することで決着を避けた。娯楽としては悪くなかったが、それゆえ都合の良さを感じたのも確かだった。また、シリーズの発端を描いたOVAマクロス ゼロ』は、異文明の衝突と主人公の厭戦感をていねいに描こうとした。しかし主人公が堂々とふるまった結末は、現代に近い舞台らしく比較的にリアリティを追及したOVAにおいて、いささか空想的な情景ではあった。
そこで今回の主人公は『マクロス ゼロ』をなぞりつつ、より世界観になじむ役割を演じる。ひとつの黒幕を倒せばすむような戦争にはせず、それでも一個人なりに主人公は誠実にふるまう。逆に三角関係では正面から向きあい、恐れず結論を出す。
敵を倒して終わるだけでいいのかという葛藤は、日本のロボットアニメが描きつづけたテーマでもある。その歴史をふまえる覚悟を示すように、手塚治虫アニメから劇中映像を引用している*12

また、女形だった主人公の過去など、TV版では活用不足だった設定もまんべんなくひろっており、娯楽シリーズの結末としても満足いくものだった。
もう少し近年のアニメ映画らしい映像の力がほしかったし、全編新規作画をうたいながらOPが編集映像だったことは残念だったが。


10.『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』(1983年、高橋良輔監督)植民星デロイアの地球に対する独立運動を、発端から終結までドキュメンタリー形式で描く。
全75話にわたる長編TVアニメを、約80分に凝縮した総集編。もともと映像の不安定だったTV版を、ほとんど手直しせず再編集し、カットが変わるごとに絵柄が変化する。主人公のゲリラ集団を追いつづけることはなく、政治の動きを主軸にデロイア革命史を説明し、その周辺に追いやられて挫折した若者として主人公を位置づける。貧しいゲリラらしく頬がこけていることで有名なヒロインを、あたかも戦場の花のように紹介するパートなど、物語における意味が全くなく、しかしサービスとしても機能していない。
本来ならば映像に見るべきものなどなく、総集編映画としても破綻している構成だ。しかしモキュメンタリーの極北と気づけば、異様な面白さが生まれる。全ての素材を自作する普通のアニメとは違って、使える素材から編集するドキュメンタリーの手法を、この映画は意識的になぞっている。映像も物語も人物も設定も、全てをコンセプトのために奉仕させる、日本アニメでは珍しい作家性を持つ高橋監督ならではの作品だ。
興味を引ける素材が限られていること、カメラワークからフィルムの質感まで異なること、資料映像や再現映像を使うため顔立ちが変わること、どれもドキュメンタリーと解釈すればリアリティへと反転する。
緻密な新規作画で日本映画史を再現した1番に対して、個性的な再編集で架空史を新しく生みだした10番。アニメという表現手法の、ある意味での両極がここにある。


ベストテン企画を見た瞬間、数えきれない作品が連鎖するように思い浮かんで、どのように削ろうか悩みかけた。
しかし最初に思いついた7番1番3番6番2番から映画という共通要素に気づき、それを基準にしてベストテンをそろえられた。最後まで悩んだのは9番と順番、そして各作品の説明くらい。
もちろん基準を優先して選んだわけもなく、どれも映像ソフトを持って何度も視聴しているくらい好んでいる。むしろ普段に言及する作品と傾向に違いがなさすぎたか。たいていシンエイ動画ボンズマッドハウスが制作で、わりと娯楽性を重視していて、何らかの歴史の痛みを描いた作品。


以下、ベストテンから落とした番外も簡単に。
じゃりン子チエ 劇場版』(1981年、高畑勲監督)*13アニメならではの表現を模索し、技法を発展させてきた高畑監督。たとえば瞳のハイライトを動かすことで目のうるみを表現する手法は、『太陽の王子 ホルスの大冒険』で始められたという*14
この作品で面白いのは、離婚した母親と主人公が映画館に行く場面だ。その上映される作品が親子愛を描いた怪獣映画で、主人公の立場と重なりあうわけだが、それが実在の特撮映画なのだ。いきなり画面いっぱいにゴジラとミニラがそれぞれ映った後、観客席をなめた構図でセルアニメと実写映画を合成する*15

*1:9:37、9:45。この時間表記は以降もふくめて、映画が始まってからキャプチャしたカットが登場するまでの、だいたいの時間を示す。

*2:19:40、19:45。あまりに背景として自然なためか、オーディオコメンタリーのスタッフが、アニメでよく使われる回想シーン演出のように誤解されるとこぼしていた。

*3:2:04、2:52、2:58。

*4:未来世紀ブラジル』ではいくつかのパターンが同居している。

*5:3:10はMGM映画のレオ・ザ・ライオン、3:58は『スターウォーズ』、4:08は『キングコング』のパロディ。ただしタイトルの「リトル・スター・ウォーズ」という読みに反して『スターウォーズ』のパロディはここくらい。宇宙船で体をきたえるジャイアンが通路を回る場面など、『2001年宇宙の旅』を思わせるカットが多い。原型となった短編「天井うらの宇宙戦争」では露骨にパロディしていたが。

*6:1:29:21。

*7:TVアニメ版で同じように歌をモチーフにしたエピソードがあるが、その「ブルー・ライト・ヨコハマ」は消費されきった後で私は存在を知ったので、劇中で歌われてもパロディのように感じられてしまった。比べて思いいれのある主題歌をモチーフにした劇場版は、ぐっと心に響く。あくまで個人的な心象だが。

*8:最終的に社会構造を問題として描こうとするためか、個人との決着に力点を置かない傾向がある。TVアニメの結末も、5番にあげた映画も、真犯人や黒幕の最後は作画こそ良くても盛りあげようとしていなかった。

*9:ちなみに、ベストテン企画をおこなっているwashburn1975氏は「10本ぜんぶプリキュア」のような投票について、「やめてくれとは言いませんがよく考えて」と釘をさしていた。その注意書きを見る前に『映画ハートキャッチプリキュア!花の都でファッションショー…ですか!?』とどちらを選ぼうか悩んでいたことは言明しておく。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130828/1377640845映画しばりにしなければ、こちらを僅差で上位に選んだかもしれない。

*10:http://www.intothematrix.com/

*11:感想はこちら。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20141213/1418516687

*12:8:20。

*13:http://www.style.fm/as/05_column/365/365_076.shtml

*14:https://twitter.com/seijikanoh/status/322330123628064768

*15:27:00。