法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』の最終回まで見た雑感を綴る!

世界観のとっかかりとなる基盤が作中になく、原作ゲームでも明確にはされていないらしく、参照元の歴史とは距離をとろうとしている。
何のために戦うのかわからない、どのような背景で戦っているのかわからない、敵の正体もわからない。


守る対象の「人間」を出せないなら、守るべきものがないのに戦わされる不自然さをドラマの基盤にすればいい。似たようなことを第11話でやっていたが、物語の基盤としては序盤に描写してほしかったし、主人公の知らない視点からのアクセントで終わった。
「提督」の姿を描くつもりがないなら、その不在を徹底して描けばいい。実は重要人物が死んでいたという展開は最近のTVアニメでも2作品ほどあったし、上層部へ疑念をいだきながら現場で戦うアニメは少なくない。残された日誌で命令を遂行する展開を中盤にやるなら、いっそ物語の始めから終りまで日誌の命令で主人公が動き、本当に提督など存在するのかと悩ませたっていい。押井守か。
敵の正体を明確にできないにしても、同じ少女の姿をした敵と和解したい葛藤を描けるし、和解できない敵として切りすてる残酷も描ける。これも最終回で少し描写があったものの、やはり物語の基盤としては遅かった。
どれかひとつ明確であれば、あるいは不明瞭さを指摘する視点があれば、それを基盤に物語のゆくすえを楽しめる。しかし、ほとんどあやふやなまま終わった。


とはいえ、物語の面白さを成立させるのは、必要条件の順次合格ではなく、総合的な充分条件の達成である。
以前に、棒立ち水面移動についての感想を書いたことがあった。
水面を立って滑るように移動する描写は、きちんと演出すれば魅力的になるはず - 法華狼の日記
だが、棒立ち戦闘なのに面白いアニメが同会社の同期にあることを、思い……出した!*1
TVアニメ「聖剣使いの禁呪詠唱<ワールドブレイク>」
これに限らず、作画がヨタヨタでも、敵が正体不明でも、人物の感情がころころ変わっても、原作とところどころ違っても、それなりの面白さがある作品は少なくない。
『艦これ』で批判されている部分も、ひとつふたつなら魅力に転化したかもしれない。物語の基盤を諸事情で描けなくても、そのいびつさを前面に出せば、それが売りにすらなったかもしれない。原作に相反する描写すら、独自ルートへ行くエクスキューズに使える。
もちろん、そうしたアニメ化が求められている面白味と一致する保証はないし、激しい賛否両論をあびるかもしれない。それが難しい作品であったろうことはわかる。