法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

映画映画ベストテン〜アニメ限定〜

実写話題作をまだ観ていないこともあり、例によってアニメしばりで参加。
2018-10-30

映画についての映画、映画がテーマの映画。映画俳優や監督、映画スタッフや映画ファンが主人公の映画。映画館を舞台にした映画。映画製作にまつわるドキュメンタリーやメイキングなどなど。

推奨されている形式にそって、まず冒頭にリストを置く。

  1. 千年女優(2002年、今 敏監督)
  2. チンプイ エリさま活動大写真(1990年、本郷みつる監督)
  3. UN-GO episode:0 因果論(2011年、水島精二監督)
  4. コングレス未来学会議(2013年、アリ・フォルマン監督)
  5. 映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ (2004年、水島努監督)
  6. 映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争(1985年、芝山努監督)
  7. 劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者(2005年、水島精二監督)
  8. 劇場版NARUTO-ナルト- 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!(2004年、岡村天斎監督)
  9. 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に (1997年、庵野秀明総監督)
  10. おんぼろフィルム(1985年、手塚治虫演出)

アニメ映画ベストテン*1での個人テーマとかぶるが、必ずしも映画映画とはいえない作品も多かったので、けっこう違うラインナップになった。


1.『千年女優』(2002年、今 敏監督)老女優を題材にしたドキュメンタリー制作という枠組みで、映画史を駆け抜けた架空の女優を描ききる……

アニメーションという抽象化された表現だからこそ多様なジャンルの象徴的な情景を再現できるし、全てが手描きでコントロールされているからこそ虚実を横断する演出もスムーズにおこなえる。
そして、日本のアニメはカットごとに異なるアニメーターが担当するのが通例だ。物語の主軸となる女優も、年齢ごとに異なる声優が演じている。この映画そのものが、集団で架空の女優を作りあげる構造をとっている。


2.『チンプイ エリさま活動大写真』(1990年、本郷みつる監督)異星の王子から求婚されている少女エリが、勝手な伝記映画の制作に巻きこまれる……

普通の街並みが、砂漠のなかにポツンとある情景。身近な人々があやつられたように移動していく。そこにあらわれる、エリそっくりだが性格の異なる少女リリン。TVアニメの劇場版として作られたからこそ際立つ異化効果。
異星人の監督は、宇宙を超えて現地の星で撮影するほどリアルにこだわりながら、もりあげるためにパンダや戦災を現代日本の日常描写として組みこんでいく。実話にもとづく劇映画の強烈なデフォルメだ。
自分自身が過剰に美化されることにとまどうエリや、主人公の身近につかえながら映画で役割りがないことに不満をもつチンプイ。さらに主演に抜擢されたリリンのドラマや、トラブルからエリがエリ自身を演じる逆転もある。
映画をつくる映画ならではの面白味が40分に凝縮された中編として、きわめて完成度が高い逸品だ。


3.『UN-GO episode:0 因果論』(2011年、水島精二監督)東南アジアで娯楽映画を見せるボランティアをおこなった主人公の、奇妙な顛末を描く……

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映画というかたちで子供たちへ夢を見せることに主人公は挫折していく。支援事業の無力さを、観客が見ている媒体そのものの無力さとして入れ子細工のように表現する。その挫折がTV版につながる戦争を引き起こしてしまう。
その上でこの作品は夢を見ること、嘘をつらぬきとおすことの大切さも描いていく。作品を主導した脚本家による小説版の映画と挫折の皮肉な関係もふくめて、虚構の意義を見つめなおそうとする作品として印象深い。


4.『コングレス未来学会議』(2013年、アリ・フォルマン監督)生身の俳優が不要となりつつある時代に、女優が自身のデジタルデータを売却。それから20年後の物語……

デジタル制作が主流となり、俳優が仕事を失っていく前半。アニメーションのような幻を誰もが現実に重ねあわせて生きる後半。制作時に身体性が失われていく映画のありようが、そのまま社会全体に広がっていく構造がおもしろい。
ただし、基本的に実写で制作された前半はよくできていたが、後半の現実を上書きするアニメーションがいまいちだった。純粋にビジュアルとして退屈に感じた。もう少し多様な絵柄のキャラクターがうごめいていてほしい。


5.『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ夕陽のカスカベボーイズ 』(2004年、水島努監督)路地裏のさびれた映画館に行ってから友人が帰ってこない。それを探る野原一家も映画の世界にとらわれる……

つとめていた制作会社を去る直前、監督の映画趣味が炸裂した作品。あまり娯楽長編としての構成はうまくなく、抑圧も解放も回数が少なく長すぎて飽きを感じた。しかし中盤の長い停滞は、終わりなき映画世界にとらわれた表現としては意味がある。
娯楽作品のメインキャラクターである主人公たちが、モブキャラクターとして他人の娯楽の耽溺につきあわされる逆転の構造も、娯楽映画への懐疑という解釈を可能とする。
そうしてきちんと映画を終わらせる大切さを描きつつ、映画館を去る時の一抹のさびしさも見せる。スクリーンに投影される誰もいない観客席。その空虚を埋めるようなエンドロールのダンスが胸にしみた。


6.『映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争』(1985年、芝山努監督)ミニチュア特撮をつかった自主映画制作に、クーデターから逃れてきたミニサイズの異星人がまぎれこむ……

映画の撮影風景は厳密には序盤だけだが、その特撮を成功させるための試行錯誤に映像制作のプリミティブな楽しみを感じた。
ミニチュアサイズの異星の出来事がミニチュアセットの撮影風景にオーバーラップするアバンタイトルにいたっては、映画ならではの演出だ*2

そして映画の結末で、ドラえもんたちはミニチュアサイズの市街地で巨人として暴れまわる。虚構の制作と同じ行動が、そのまま現実での活躍となるSFの面白さ。
主題歌が劇中で奏でられる音楽として使われる演出も、このシリーズでは珍しい。


7.『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』(2005年、水島精二監督)第二次世界大戦前夜のドイツ。異世界を夢のように感じる人々が、映画という夢にふれあう……

人気ファンタジー漫画を原作としながら、独自性の高い最終回をむかえたTVアニメの、後日談的な劇場版。異世界と現世をパラレルワールドと設定したTVアニメの延長で、フリッツ・ラング監督を印象的なかたちで登場させている。
3位とほぼ同じスタッフが、物語がプロパガンダに利用される危険性を理解した上で、夢を見る大切さを映画制作に重ねあわせる。きたるべき現実の戦争でその試みが挫折することはあえて語らない。この映画そのものが大切な夢だからだ。


8.『劇場版NARUTO-ナルト- 大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』(2004年、岡村天斎監督)若き忍者たちが映画撮影隊を護衛して雪の国へ向かう。主演女優のわがままに忍者たちはあきれるが、その正体を知り……

海外でも人気のアニメシリーズの初劇場版として、映画という枠組みを意識したオリジナルストーリーを展開。主人公が映画観賞を邪魔する冒頭が楽しい。
映画と現実では俳優の性格が異なるというパターンに、高貴な人物がおちのびて芸能に身をよせるパターンを組みあわせて、国を追われた姫の外面に内面が一致していく成長譚を描く。
派手な状況のわりに語り口が淡々としていて、意外と娯楽活劇らしいカタルシスはないのだが、ちょうどさまざまな大作アニメの制作が終わった時期に作られたため、そうそうたるアニメーターが参加した映像はクオリティが高い。


9.『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年、庵野秀明総監督)謎の敵の攻撃は終わったが、同じ人間による攻撃が少年たちに向けられる。やがてその戦いは心のなかに移っていく……

TVアニメが社会現象となり、不完全版の劇場版で冷却されつつ、その予熱が残る時期に公開された最終回完全版。加熱したブームを制作者自身がとまどい、拒絶するように観客席を実写で映しだす。
すでにTV版でも商業アニメとしては実験的な試みをしていた作品だが、虚構から現実を見返す映画版はアニメという媒体だからこそのインパクトがあった。良くも悪くも激情を叩きつけてくるような映像を、劇場という逃げ場のない空間で見つづけた果ての、印象深い描写であったことは間違いない。


10.『おんぼろフィルム』(1985年、手塚治虫演出)線路でしばられた美女を救おうと、西部劇のヒーローが奮闘する。しかしその古臭いモノクロフィルムの映像は古すぎて、登場人物にまで影響してくる……

手塚治虫が趣味的につくった短編アニメーションのひとつ。そうした手塚作品で浮きがちなメッセージ性が最初からなく、ひたすらメタ表現の面白味だけ追及していく。
努力しつつも男女観だけは古びがちだった手塚作品にあって、さらに古い物語の枠組みをパロディすることで、逆に古さを許せる良さもある。
フィルム上映を意識した作品ではあろうが、それをデジタル時代の媒体で見るのもまた楽しい。公式で半分近くYOUTUBEにアップロードされている。


全体として難しく考える必要のない、たぶん9位をのぞいては素直に楽しめるだろうラインナップだろう。
アニメ制作をテーマにしたドキュメンタリー映画なども考えていたが、あっさり娯楽作品だけで埋まったので、そのまま通すことにした。
2位は子供向け人気シリーズの同時上映で鑑賞した人が多いはずなのに、他のベストテンで見かけないことが不思議なくらい映画映画として必見の作品。いまでは3DCG描写の薄さとテンポの悪さが目立つ本郷監督だが、その問題をこの中編映画では感じさせず綺麗にまとまっている。
5位の『クレヨンしんちゃん』シリーズは第1作でも劇中劇で特撮ヒーローの撮影風景を描いたり、8作目でその特撮ヒーローと再共演しつつアニメ制作をおこなったりと、パロディ要素が多い。それでも映画をモチーフにした作品として、やはり真っ先にこの12作目が思い浮かんだ。
6位だけは同じ『ドラえもん』シリーズの、世界設定を劇中映画で説明する13作目を選ぶか少し悩んだ。超技術の映画を映画館で見た記憶は今も鮮烈に残っているし、原作者の病気で原作連載が中断しながら映画が完成したことで結果的に映画のありようを考えさせる作品でもあった。


以下、選にもれた作品をいくつか並べておく。
『ドキュメント 太陽の牙ダグラム』(1983年、高橋良輔監督)は、アニメ映画ベストテンの10位に選んだ作品。TVアニメの総集編だが、ドキュメンタリーという形式をとることで独立した映画として完成しているし、劇場作品としては残念なクオリティの作画に逆説的な意味が生まれている。アニメの他にフェイクドキュメンタリーという形式が好きなので悩んだが、だからこそ両方の形式にまたがる作品は選べないと思って除外することにした。
『映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記』(2015年、大杉宜弘監督)今回の6位に上げた作品を発展させるかのように、自主映画を監督するためのロボットまで登場して、映画撮影のための小道具で決戦まで戦いぬく。リメイク直後の圧倒的なアニメーションが少しずつ落ちついてきた時期に、再び全編動きまわる作画を展開したことも印象深い。しかしフィクションがリアルを超える展開にまったく説得力がないし、何もかも道具であっさり突破するドタバタコメディにまったく物語の巧妙さを感じられなかった。あらゆる意味で残念な作品*3
うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』(1986年、やまざきかずお監督)たしか巷間の評価が高い2作目より先に見て、モニターがうずたかく積まれた情景などは印象深く、シリアスなトーンも悪くなかった。しかしさまざまな要素を並べるだけでフェティッシュなこだわりを感じず、物語もきちんと収束していかない。今回の選定基準となる映画の自主制作も、豪華なセットなどを少し見せるくらいで、あまり踏みこんで描かない。クライマックスも状況のわりに作画がはじけていない。全体的に薄すぎる。