法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ストライクウィッチーズ劇場版』

結論から感想をいうと、戦争を描かなかった娯楽作品が、歴史を語ることすら放棄してしまった。娯楽としての今後を不安にさせるほどに。


もともとは第二次世界大戦の空戦王を魔法少女化したイラスト企画。そのTVアニメ2期からの直接の続編として、2012年に公開された。TVアニメ3期が告知*1されたのを機会に、ようやく視聴した。
ストライクウィッチーズ劇場版
謎の敵ネウロイから侵攻されつづけている世界。ネウロイとの激戦をへて、主人公は空を飛んで戦う力を失っていた。隊の仲間も別々の地域に離れてしまった。しかしネウロイの新種による攻撃が激しくなり、隊の仲間たちが再び集っていきながら、主人公も再起していく。そのような物語を1時間37分の長さで、シンプルにまとめている。
映像面では、美少女アクションとして安定していたAIC制作の延長で、やや危なっかしさはあったが全体を整えていた。個人的には、きわめて上下差の激しかったGONZO制作の1期が好みではあったが。


予想より良いところもあれば悪いところもある。
あまり戦闘を好まない主人公を、その性格を崩さず堂々と主張させる。それでいて戦場にみちびく流れも意外と自然だったことが、かなり良かった。
メインキャラクターが多いのに、うまく視点をさばいていてわかりやすく、活躍の偏りも少ない。新たな脅威に対して、仲間が集結して再起できるかというサスペンスも素直に展開できている。
新しいキャラクターは、過去の主人公を高評価し、現在の主人公をもどかしく思う。それにより主人公の過去の能力や活躍を物語として説明しつつ、現在の主人公と衝突することで主人公の性格を描き、そして主人公が復活する展開を支える。


新キャラクターの物語における役目は、たとえば映画『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』の新キャラクターと似ている。
たったひとりの新キャラクターで主人公の物語を支えながら、既存のキャラクターを食わない。基本的に主人公を尊敬しているから嫌悪感がわかず、それでいて主人公を批判する視点も受けもつ。
似ているのは、何かを失うことで終わらせたシリーズを再起動するため、失ったものをとりもどすという物語もそうだ。後述するように敵の設定から似ていたから、構成が似るのは不思議ではない。


違うのは、『蒼穹のファフナー HEAVEN AND EARTH』は失ったものをとりもどすだけではなかったこと。とりもどしたものは変容してしまっていたし、とりもどしながら新たな発見や戦いの進展があった。
対する『ストライクウィッチーズ劇場版』では、失った主人公の力がもどる以上の物語がなかった。もちろん新キャラクターの参戦などはあったし、主人公の先輩は力を失ったままだが、2期の終盤が意味を失っただけに感じられた。
いわば『ストライクウィッチーズ劇場版』は2期の結末をリセットする作品だった。2期の序盤で1期の結末がリセットされたように。
たぶん『劇場版ストライクウィッチーズ』は本質的に戦争を描けない - 法華狼の日記

ネウロイ同士の衝突と見えた二期序盤の描写が、一期のファーストコンタクト話を全てチャラにする宣言だったとはな」
「考えてみると、もしネウロイ内での対立が主人公を助ける展開だったら、まんま『蒼穹のファフナー』だけどね」

娯楽作品としてクライマックスを用意しながら、それをリセットして新作がはじまるシリーズ。時間が進んでいるように見えても、これではTVアニメの『サザエさん』と変わらない。
これが「歴史を語ることすら放棄してしまった」と冒頭で書いた意味だ。


しかも2期のリセットは、主人公のいない場所でおこなわれ、ドラマに反映されなかった。同じく『ストライクウィッチーズ劇場版』のリセットも、ドラマになりにくいものだった。
今度は主人公の身に起きていることではあるが、敵がいない場所でおこなわれている。移動中の海と陸で災害にまきこまれ、それに主人公がたちむかうという展開で。ネウロイの活動による災害と設定することもできたろうに、劇中では無関係に起きたこととしてドラマが進んでいく。
TVアニメならば敵より災害を優先するドラマを描いてもいい。しかし、ただでさえキャラクターの多い映画ならば限界まで無駄をそぎおとすべきだ。もっと描写の関連性を高めれば、新たなネウロイの脅威を強調できたろうし、ネウロイの新情報も出せたかもしれない。
さすがに最後はネウロイとの戦いで終わらせている。しかしそれではネウロイと災害が等価になってしまう。


知的生物としてのネウロイと戦う展開は、そもそも期待していなかった。第二次世界大戦撃墜王をモデルにしているからこそ、「戦争」と距離をとらなければ娯楽として成立しにくい。
たぶん『ストライクウィッチーズ』は本質的に戦争を描けない - 法華狼の日記

ストライクウィッチーズ』が戦争を今後の展開で描くのならば、物語の行く先は一つしかないだろう。それはネウロイが知的生命体であるがゆえにこそ戦わなければならなくなる、という展開だ。

むろん、現状の二期が一期の反復であること、そして二期で完結するとすれば残り10話しかないことを考えれば、その可能性は低いだろう。

しかし1期でネウロイを知的生物のように描写したことも、変えようのない事実だ。
それなのに、なぜか主人公は敵との接触をやめて、能力も物語の勢いで復活する。もりあげるためクライマックスにもってきた設定を、後日談でリセットしてしまう。
そうして使い捨て設定をならべていると、いずれ娯楽としても成立しなくならないだろうか。そのような作品が、つい最近あったばかりではないか。
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何のために戦うのかわからない、どのような背景で戦っているのかわからない、敵の正体もわからない。

どれかひとつ明確であれば、あるいは不明瞭さを指摘する視点があれば、それを基盤に物語のゆくすえを楽しめる。しかし、ほとんどあやふやなまま終わった。

せめてシリーズ全体の終結を見すえた目標が基準としてほしい。ネウロイの正体がそれだと思っていたのだが、はたしてOVAや3期ではどうするつもりだろうか。