法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「富野信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方

 富野由悠季ほど、はまっている人と興味がない人との温度差が激しい監督はないと言えるでしょう。
 先日でも触れましたが、はまっている人の中には、「白富野の素晴らしさをもっと広く伝えなければ!」という使命感を抱いて、ことあるごとに啓蒙活動に励もうとする“信者”が少なくありません。
 その博愛の気持ちは尊いといえば尊いのですが、勧められる側がさほどロボットアニメに興味がない場合は、どう対処していいのか困ります。今日も全国各地で、富野信者の熱い勧誘を受けて、勧められる側が苦笑いを浮かべているという構図が繰り広げられていることでしょう。
 ガンダムを見ていない側のあなたが、そういう災難にあったときはどう対処すればいいのか。信者の勧誘に対する平和で適当なかわし方を考えてみましょう。

「富野禿」を否定するのは危険

 程度の差こそあれ、富野作品を熱く勧めたがる信者のみなさんは、「富野によってもたらされる新たなアニメの可能性」を信じ、そんな作品と人より早く仲を深めていることに、ちょっぴり優越感を抱いていると言えるでしょう。どう見ても熱が入りすぎている人の中には、ビッグマウスに過大な望みを託して、いまいち不本意な現状から自分を救い出してくれる救世主のように見ているように思えるケースもあります。
 いや、あくまで極端な例をあげているだけなので、「俺は違う!」とムキにならないでください。もちろん、私の周囲のガンダム好きのみなさんに対して、私がそういう目を向けているわけでもありません。
 今後の人間関係を考慮した言い訳で話がそれましたが、富野作品を熱く勧めてくる人にとって、富野にはまっていることが誇りであることは確か。何はさておき、そこを見逃さないようにしましょう。


 たとえば、最近Zガンダムにはまっている同僚に、「お前も見たほうがいいよ」と熱心に勧められたとします。楽しさを説かれても、いまいちピンと来ないからといって、
「うーん、よくわかんないなあ。みんなが勝手に叫び合ってるなんて、なんか気持ち悪い世界のようにも思えるけど」
「そのフォローっていうのをされてても、まともな総集編になる保証はないし、参加させられたキャラデザイナーが罵倒される可能性も高いわけでしょ。なんか失礼だよね」
 などと、偉大なる「富野禿」の編集技術を否定する言い方をしてしまうのは危険すぎます。
 ムキになってさらに熱く語ってくるぐらいならまだしも、「坊やだからさ」と深いため息をつきながら、バンダイサンライズを見るような目を向けてくるかもしれません。
 まあ、めぐり合えなくてもべつにいいといえばいいんですけど、お互い、相手に悪い感情を抱くきっかけになるのは避けたいところです。向こうだって、今の時期たまたま富野教にはまっているだけで、けっして悪気があるわけじゃないし、人間として何かを失ってしまったわけでもありません。


 一生懸命にキンゲの魅力を語ってくれたら、たとえピンと来なくても、
「なるほど、そういうふうにゆるくつくるっていうのも、ユニークな制作法だね」
 と、独自性に衝撃を受けたかのような反応をしておくのが、大人の包容力であり相手をそれなりに満足させるマナーです。
 そういうふうに言えば喜ぶのはわかっていても、まるでその相手までホメるみたいで抵抗がある場合は、質問に逃げましょう。
ジブリとかとはどう違うの?」
 と、ライバル(そう富野が思い込んでいるだけ。 実際は全然相手にされない)の名前を持ち出してきて、宮崎駿への劣等感をさらに語らせるもよし、
「なんか演説するたびに、いちいち『カスである』ってあえて言わなきゃいけないんでしょ?」
 そんな歪んだ先入観丸出しの誤解をわざとぶつけて、ひとしきり説明させるもよし。
 いずれにせよ、どうでもいいと思っている気持ちを覆い隠したまま、相手にそれなりの満足を覚えてもらうことができます。

はまりっぷりを批判するのはもっと危険

 まったく富野作品を見たことがないわけではなく、ちょっと前にアニメを探して買ってみたけど、はまれなくて放置してあるDVDケースも、けっこう多そうです。
 そういう状態にあるあなたに、はまっている同僚が例によって熱い口調で、
「まずは、永野画集を借りて百式見てみると、デザインの面白さがわかるよ」
「何でもいいからどんどんインタビュー聞いていくと、そのうち他作品への富野の反応が楽しくなるよ」
 と富野教、じゃなかった、ガンダム界隈における定番の説得フレーズを説いてきたとします。「ほお、そういうもんなんだ。今度やってみるよ」と適当に納得しておくのはいいとして、つい勢いで、
「しかし、ずっぽりはまってるねー。ガンダムの話をするときは生き生きしてるし」
 などと冷やかしてしまわないように気をつけましょう。はまっている人は、誇らしさの裏側に、多くは無自覚にですけど、
「自信がなくて自信家にすがっているように見えるんじゃないか」
「根の深い寂しさをアニメで紛らわそうとしているように見えるんじゃないか」
 といった不安を抱えています。何気ない冷やかしが引き金になって、心の奥の人間爆弾を踏んでしまいかねません。


 そこまでややこしい話じゃなくても、はまりっぷりを感心するセリフの裏側に、
「誰の帰りも待っていない部屋だわ」
「自分のことしか考えていないのよ」
 というレコアの気配を勝手に察知してしまいがち。
 なんせ日頃からニュータイプに慣れているだけに、相手の心のつぶやきに対してもきっと敏感です。仮にカケラも思っていなかったとしても(カケラも思っていないケースは稀ですが)、相手はそう受け取るでしょう。
 はまりっぷりに対しては、ひたすら、
「オレも早く見たいなあ」
 とうらやましがるのが無難であり、相手に対する大人のやさしさ。単なるおためごかしではなく、そのセリフを聞いたときの相手の満足そうな表情を見ることで、大人としての深い喜びも味わえるでしょう。

ガンダムをきっかけに相手と仲良くなる方法

 仮に、富野の話題をきっかけに相手との距離を縮めたいなら、その場の口先だけではなく、次に顔を合わせたときに、
「あれから、あの種とかあの00とか、50話ぐらい視聴してみたよ」
 と具体的な実績を話せばバッチリです。
 熱く勧めてきた相手が、上司だったり仲良くなりたい異性だったりした場合は、とりあえず勧められたとおりにやってみて、富野台詞の魔力に魅せられたフリをしましょう。
「見てみると面白いですねー。勧めてもらってよかったです」
 とまで言っておけば、さらに完璧。たとえ動機が不純でも、それをきっかけにはまってくれればこっちのものだし、信者としてはこの上ない喜びを…… おっと、最後に本音が出てしまいました。
 曖昧な立場で書いてきましたが、私も何を隠そう、そこそこ熱心に富野を楽しんでいる信者のひとりです(ちなみに、ガイアギアは全巻所有です)。
 この記事は、熱く勧めがちな己への自戒をこめたり、自己防衛の伏線を貼ったりしながら書かせていただきました。そんなことを踏まえつつ、それぞれのニーズや好みに応じてお役立ていただければ幸いです。

 次回も、引き続き富野をテーマにしてみたいと思います。飲み会の席などで、いっしょにいる人が頻繁にガンダム台詞を吐いた場合の対処法や、自分が台詞を使いたい場合の振る舞い方について考えてみましょう。

ちなみに『ガイアギア』は富野小説としては刺激が少ない。せいぜい主人公が初出撃において搭乗席で失禁する程度。しかし、その刺激の少なさが重度の富野信者から低評価を下された一因となっている。因果なものである。
「ツイッター信者」にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方 | 石原壮一郎「大人のネットマナー教室」 | ダイヤモンド・オンライン


しかし書いてから知ったが、ジェネレータを作った人もいるのか。良くも悪くも、コピペも手軽になったものだ。
「信者にその素晴らしさを熱く語られたときの平和で適当なかわし方」ジェネレータ - Life like a clown