法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『機動戦士ガンダムF91』ってガンダム映画で最も作画が悪くない?

旧作TVアニメと新規作画部分の乖離がすごかった総集編映画『機動戦士Ζガンダム A New Translation』3部作、通称『新訳Z』もたいがいだったが、それでも見せ場となるメカアクションには新規作画を多用していた。他のOVAシリーズの総集編映画は、もともと全体として作画が良かった上に、新規作画もそこそこ以上に良かった。
そして全編が完全に新規作画で構成された映画では、それぞれの時代に合わせて相応に良好なメカ作画を見せてくれた。その中では最も駄目だったのが『F91』だ。完結編となるEP7は未見だが、イベント的に劇場公開されている『機動戦士ガンダムUC』と比べると、時代性を考慮してなお落ちる。


だから[twitter:@unamuhiduki]氏の下記ツイートを見かけて首をかしげた。

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』は好きになれないところも多いが、それでも作画枚数をたっぷり使って、洗練されたシンプルなメカデザインを使い切っていた。
しかし『F91』は序盤の村瀬修功作画こそ美麗だったが、スケジュール破綻によって途中をスタジオダブに作画させ、劇場作品としては粗い作りになっていた。序盤の完成した部分が予告に使われているので、その印象で美麗な作画の作品だったという記憶を生んだのかもしれないが、作品全体の統合性は欠けている。完全版の予告も美麗な序盤ばかり選ばれている。

題名のとおり1991年に公開されたアニメ映画だが、同年にOVAで展開された『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』が1年半ほどかけて全13話が公開されていたことと比べると、かなり作画面ではさびしい。
前後のアニメ映画と比べても、1988年に『AKIRA』が公開され、1989年に1作目の『機動警察パトレイバー the Movie』が公開され、1992年に1作目の『銀河英雄伝説』が公開されている。


最近に全体を見返して、特に良くないと感じたのが、よりによって主人公の乗機「F91」が活躍する場面でばかり作画が粗くなっていること。
先述したように作画が良いのは序盤だけで、そこでは一般人の主人公は逃げまどうばかり。脱出する時に乗る機体も、戦車に変形できる小型機で移動するばかりで、主人公機の見せ場とはいいがたい*1。スケジュール破綻により劇場公開で欠落した場面を新規作画で追加した「完全版」も映像ソフト化されているが、その新規作画も主人公がかかわらない宇宙戦闘の場面だった。
逆に中盤に入っても、主人公とは関係ない量産機の戦いは悪くなかったりする。『逆襲のシャア』に比べて演出としては情報量が少なくてスピード感がないと評価されている下記シーンも、作画はかなりスピーディで良いのだ。
逆襲のシャアの戦闘シーンは具体的にどこがどうかっこいいのか言語化計画(長い) - 批評家もまた批評さる

(1)(2)

逆シャアみたいな「乱暴なまでのスピード感」がない。(笑)

富野監督もF91では息切れしたのか、制作体制の不安定さのせいなのか・・

ここは動きのメリハリでスピード感を出しているだけでなく、誇張されたパースにそって精確なアニメートもされていた。
ところが前後して登場する主人公機の作画はかなり不安定で、かなりパースもゆがみ、作画もがたついていた。曲線で構成されたデザインのため、立体的に把握することが難しかったのだろうか。
モビルスーツ|機動戦士ガンダムF91
アクション演出で見ても、両手に持ったビームサーベルを高速回転させて敵の攻撃を防いだり、忍者漫画レベルなリアリティで構成されていた。ビームサーベルぐるぐる演出は、主人公機が味方においてビームでシールドを発生できる唯一の機体という設定も殺していた。
さすがに最終決戦の巨大兵器との戦闘で作画は持ちなおすものの、あっさり決着がついてしまい、期待にこたえるほどではなかった。


ちなみに富野由悠季監督による小説版は、富野小説では最も楽しめた作品だった。
前半ほとんどが敵対勢力の勃興劇にあてられ、異様な思想で発展していく一企業の架空年代記として読むことができた。富野作品で最も見るべきは、作画や演出や物語ではなく、設定にあるのではないかとすら感じさせた。普段は小説としてつたなく感じる文章も、設定集として読めるならば問題ない。
後半も、土台となった映画が90年代以降の富野作品としては無理のない展開で、結末も美しい部類のため、自然に読むことができた。

*1:ただし戦闘にはほとんど参加しないが、ちゃんと履帯がベルトのように作画されて動いているのは珍しさもあって良い。瓦礫に乗り上げると、地形にそって履帯がゆがんだりする。