法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『革命機ヴァルヴレイヴ』がネタアニメあつかいされているのは富野由悠季作品っぽいから

……ではないだろうか、と。


革命機ヴァルヴレイヴ』の松尾衡監督は映画『機動戦士Ζガンダム A New Translation』で富野監督のもとでスタジオ演出をつとめ、大河内一楼シリーズ構成も富野監督『∀ガンダム』から脚本の仕事をはじめた。アニメ雑誌の『革命機ヴァルヴレイヴ』インタビューでも、松尾監督は富野監督を意識していたと答えていたそうだ。
しかし富野監督は長らく新作を作っておらず、まとまった作品としては2006年のOVAリーンの翼』くらいしかない。同年に同じインターネット配信でOVA『FLAG』を発表して以降も、精力的に新作アニメを作り続けている高橋良輔監督と対照的だ。
そうして癖のある富野アニメの文法を知らない視聴者が増えているため、富野っぽさを前面に出している作品をどう楽しんでいいかわからず、戸惑いながらネタあつかいするしかないのでは、という気がするのだ。


わかりやすいところでは、第1話などでコクピット内の操縦者を画面分割で見せる演出がそう。単に富野演出でよくみる手法というだけでなく、省力しながら説明するためだけに画面分割演出を使い、その分割された映像の美しさやデザイン性は重視していないところが最近の作品らしくない。
説明を優先する性質は、第2話の結末などで、主人公が内心を台詞で吐露してしまうあたりもそうだ。心情を台詞で説明するために、普通なら台詞を発せられないような場面で発してしまう。複雑なキャラクターを描きたいことはわかるのに、その場その場で個人的な心情を吐露する性格という印象になるため、結果として似通ってしまう。
第2話で主人公の友人が超人的な身体能力や操縦技術を披露したり、第3話で第2主人公が拘束された状態から抜け出す描写も富野アニメっぽさを感じた。ロボットや世界観の設定には独自性を追及するのに、演出家としては『未来少年コナン』くらいのリアリティで演出しているため、現代の視聴者にはアンバランスに見えてしまう。


近年の富野作品でも、『OVERMANキングゲイナー』は序盤はコメディチックな雰囲気で明るく見せていたため、アンバランスな特性と合っていてインターネットで広く受け入れられていたように思う。しかし『リーンの翼』が富野愛好者以外から称賛されている場面を見たことがない。
作品歴に裏打ちされた奔放な発言で一部から神格化されている富野監督だが、もし新作を広い視聴者に向けて発表すれば、『革命機ヴァルヴレイヴ』と似たような評価がくだされるような気がしてならない。