法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『獣の奏者エリン』第6話 ソヨンのぬくもり

嵐の夜、闘蛇の何匹かが変死する。死んだのは、「牙」と呼ばれる特別な闘蛇。
大公からの預かりものを死なせてしまった責任を誰が取るか会合が行われるが、答えは最初から決まっていた。


死んだ闘蛇の臭いから、知ってはいけない真実の一端に気づくエリンと、その口外を禁じる母ソヨン。大人より先に問題解決の糸口をつかんできたエリンの才能。前回までは御都合主義に近いものすら感じてきたが、その才能の持つ意味が今回で反転する。
会議の疲れを癒そうとして風呂へ向かうソヨンは、風呂から出ていく村人にねぎらわれる。しかしエリンは、母と自分が他の村人たちより必ず後に入っていることに気づく。そこにあるのは悪意や憎悪ですらない、空気のような差別。
湯船につかりながら、母は娘に「アーリョ」という自らの民族*1にまつわる様々なことがらを教える。「アーリャ」とは「霧の民」という意味の他称にすぎず、自らは「戒め守る者」という意味の「アオー・ロゥ」と名乗っていたという描写は、闘蛇の死や今後の展開を予感させる説明であると同時に、様々な被差別民族の歴史を思い出させる*2。単なる設定説明で終わらず、物語と強固にからみあいつつ、深い世界観をうかがわせる。差別を糾弾するような口調ではなく、あくまで母が娘に優しく由来を教えるだけと感じさせる、抑制された描写であることも印象的だった。
その夜に母とエリンが食べた晩餐は、特別に豪華なものだった*3。予想される悲劇の直前を明るく描く王道演出が、にくらしいほど効果を上げる。


戦争を背景設定に持ちつつも、村の生活を前向きに描いてた物語が、伏線を回収しながら静かに別の顔を見せていく。
脚本は吉田玲子。優しい語り口で人と人のふれあいを書くことが得意という印象があり、今回の登板は納得。
風呂場での、宮沢康紀としか思えないイメージシーンが静止画だったので、ED表記がどうなるか気になっていたら、背景としてクレジットされていた。ある意味で納得。

*1:「民族」という言葉は使用されていない。

*2:ジプシーと呼ばれるロマ、インディアンと呼ばれたアメリカ先住民、蝦夷や旧土人と呼ばれたアイヌ……枚挙にいとまない。「日本人」も、場所と時代によっては同様の目にあっている。

*3:ED主題歌を乗せて食事風景を見せるという特別版ED。