法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『獣の奏者エリン』第28話 ジョウンの死/第29話 獣の牙/第30話 四年目の冬

連続して視聴すると、王獣のサイズがあからさまに変化していることが気になる。演出的な意図があるのだとしても、カメラ位置やレンズで見かけのサイズを変えてほしいところ。


第28話は、遠方からの便りで知らされたジョウンの死を、ゆっくり静かに受け入れていくエリンを描く。脚本は吉田玲子。
ユーヤン先輩の土産物……それも木彫りの王獣……が本物の王獣にかじられる場面が、ユーヤンの一方的な思慕も砕けた滑稽さがよく描写されていた。エリンの頭に、マンガ的に誇張された巨大な冷や汗が流れるほど、明らかな笑いどころ。今回は、この場面まで笑いどころも泣かせどころもなく、抑制された演出で物語が進む。物語の内外において初めて弛緩する場面*1だからこそ、緊張の糸が切れて泣き出すエリンと視聴者の感情が一致する。
後半からの女性二人旅も良い。あえてエリンの知る古巣や墓には行かず、エサルとジョウンの思い出の場所へ行き、過去のジョウンと現在のエリンを重ねる。旅する時間は短いながら、何度も帽子を落とすような細かい描写が入り、これまで描かれなかったエサルの一面を知ることもできた。


第29話は、リランが狂暴な獣であることを、エリンは文字通り身を持って知る。枚数を使って撮影効果もほどこされた演出はショッキングだが、一貫して心をかわし続けてきたリランが初めて暴走する姿が何よりも痛々しい。傷つけられた直後はさほどの痛みを感じず、ゆっくり血が垂れるだけという描写もリアリティがあった。
あいかわらずエリンは自分の考えを貫こうとするが、一方で幻の母やジョウンから獣の危険についてさとされもする。他人へ責任が行かないようにと遺書の提出を求められるが、逆にいえば死を覚悟して責任を自分で取るつもりなら許容されるということでもある。
これまでは問題が解決してエリンを後押しする展開ばかりで御都合主義に感じることも多かったが、今回は解決が容易でない困難に直面する。それゆえ結末の決意には適度な苦さが感じられ、エリンの成長も感じさせた。


第30話はエサル視点の総集編だが、エサルがエリンに過去の自分を重ねることで*2、ジョウンの存在感も際立つ。直接的な恋愛ではくくられない、互いに認めあう同世代の男女関係が印象的だ。
あと、前回を受けて遺書を提出したエリンの描写も地味に良かったな。細かい描写だが、文字を書く仕種がきちんと作画されていて、肉体を持ったキャラクターの覚悟が感じられた。


ジョウンがらみの描写は個別に見ると陳腐なものが多いと思うが、半年近くも積み上げただけの存在感は出ていた。死を直接描かないことはもちろん、葬儀や墓すら描かず、別離してから相応に時間が経過し、主人公に具体的な言葉を残したわけですらないのに、大切なものが消えたという喪失感がある。
最近は一年間連続で放映するアニメが減っているだけに、この存在感の出し方はかなり貴重。

*1:激しい笑いであってはならないために、マンガ的な冷や汗という他の場面では少ない誇張された描写が用いられたとも考えられる。

*2:エリンと王獣の関係がエサルとエリンの関係と相似にあることが、同じ構図で両者を重ねる映像で示される。