シリーズ日本降伏の前編として、国体護持を優先してポツダム宣言受諾に躊躇する大日本帝国の迷走を取り上げていた。
ゲストは保守系歴史作家の保阪正康氏。
驚いたのは、玉音放送の「戦局必ずしも好転せず」という箇所が、原案の「戦局日ニ非ニシテ」*1に阿南陸相が不服をとなえたため*2変えられた結果ということ。敗北必至な状況で、なお体面を気にした大日本帝国の矮小さを象徴する事実だ。このような、文面を変更するためだけの議論で玉音放送は一日延期された。
番組によると、前線で戦い続ける兵士達の感情をおもんばかって、玉砕させず戦闘を止めさせるためという、阿南陸相なりの論理もあったという。しかし、受諾が延期された一日だけで日本各地への空襲により2500人以上が死亡し、終戦決定を知らされていない特攻隊員も出撃したのだから笑えない。
他には、「国体護持」の解釈をめぐり、皇室維持か天皇主権かで降伏派と継戦派が論争したことが取り上げられていた。
特に、8月10日に国体護持とひきかえに宣言受諾を日本側が通告したことに対し、8月12日の連合国回答に解釈が難しい文面*3があったことによる紛糾が興味深い。ここで逆説的に降伏派が戦後の皇室維持を確信する。なぜなら「日本人は天皇制を否定するはずがなく」ゆえに皇室は安泰すると考えたからだ*4。
そして今回は玉音放送の瞬間を「その時」とし、そのまま平和の大切さを謳って終わるかと思えば、最後にきつい皮肉を残した。
まず、「聖断」に重要な役割を果たした内大臣が、1945年12月、皇室の今後を案じて昭和天皇に語ったという内容を、内大臣自身の日記から引用*5。
このたびの敗戦については
責任をおとり遊ばされ
ご退位遊ばされるが至当なりと思ふ
若しかくの如くせざれば
皇室丈が
遂に責任をおとりにならぬ
ことになり
永久の禍根となるに
あらざるやを虞れる
「木戸幸一日記より」
続けて、以下のナレーションが流れる。
その後、昭和天皇は
苦難が予想される戦後の日本を
国民とともに歩む道を
進んでいくのです
つまり、昭和天皇が退位せず戦後を生きたことを、暗に無責任と批判した。
太平洋戦争は、最も重い責任が宙に霧散して終わったのだ。