法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『昭和史の深層 15の争点から読み解く』保阪正康著

ノンフィクション作家による2010年の平凡社新書。軍部内の衝突を利用して軍国主義化していく日本が、やがて満州事変から太平洋戦争へと突入し、サンフランシスコ平和条約が結ばれるまでの昭和史を、いったん個別の事例に注目してから普遍化している。
新書の頁数で15もの話題をあつかっているため、ひとつひとつの情報量はさすがに多くない。かわりに一般向けの通史から忘れられがちな視点を示し、逆に対立が激しい争点には原点へ立ち返るよううながし、問題提起と読めば密度が濃い内容だった。
著者は保守派でありつつも*1、敗戦直後に戦後民主主義を教えられた世代であることや、ソ連の脅威を意識しつづけた北海道出身であることを背景に、戦前日本や軍国主義は基本的に批判している。特に、各戦争犯罪の証拠がないという言説に対して、資料を隠滅した日本側に反論の資格はないという立場を何度となく明確にしている。


南京事件については、単純に少数説と多数説を両論併記しつつも*2、歴史研究が進んだ現在では広田弘毅の無力ぶりや松井石根の問題が厳しく見られるようになったと指摘。さらに東京裁判の弁護において、日本軍は綱紀粛正を命じたという資料を探したところ、他の資料とともに処分されており、隠滅したという回答文書を提出するしかなかったという皮肉な顛末を紹介している*3
沖縄戦については、北海道の部隊が多く投入されて戦死したことや、アイヌ兵士が沖縄の住民を救ったことを重視。そして本土決戦がおこなわれれば、非戦闘員が特攻や楯として使い捨てられたろうことを指摘。沖縄戦も実質的な「本土決戦」であったと位置づけ、集団自決命令の具体的な有無にかかわらず、住民は日本軍の犠牲になったのだと結論づけている。沖縄集団自決の教科書検定問題にさいして、抗議集会の直後に沖縄入りした経験談も興味深かった*4
従軍慰安婦については、全体像についてはアジア女性基金大沼保昭理事に依拠。証言収集者として、利用する兵士側の立場を重視。師団長がアンケートをとったところ兵士は女性よりも甘味をほしがったという証言や、女性に金だけわたして自由に読書する時間にあてていた学徒兵がいたという証言が、特に印象深かった*5。戦時や民族の問題とは本質的に関係ないとしつつも、かわりに「基本的には人権問題」と明確に評価しているし、きわめて不合理な強要をされた朝鮮人慰安婦には戦争や民族の問題をからませなければならないとも語っている*6
以前から昭和天皇を「平和勢力」と評価して反発されていることについては、「国体護持」が危うくなるような戦争はしないという教訓が現在の天皇にあるのではないか、と反論したりもしている*7。実質的に保身のための反戦と評価しているようなものか。


残念ながら、気にかかる部分もいくつかあった。
たとえば、ことさら中立であろうとする両論併記ぶりには、違和感をもった。特に、沖縄集団自決における曽野綾子著作を「実証的」と評するのは、いささか首をかしげる。やはり軍命があったという説も有力だと直後に指摘したり、名誉毀損裁判が被告の勝利で終わったと明記しているが、だからこそ曽野説を高く評価する意味がわからない。
また、昭和天皇吉田茂内閣の評価は高すぎると思った。昭和天皇の御心を忖度した軍部を批判しつつ、自身も皇室の平和への思いを忖度しているのではないかという矛盾も感じた。特に、沖縄戦で被害をこうむった住人へ同情する天皇発言を好意的に評価しているが、実際に犠牲になった沖縄県民には嫌悪感をもたれそうな発言にすぎず、当時の責任者を甘く見すぎていると感じた。
それでも全体としては慎重に留保しており、保守派として誠実たろうとしている。国内外で苦難の道を歩んだ人々によりそう態度でつらぬかれ、人権を重視するという線引きを守っているので、そこは安心して読める。断片的ながら独自の証言も多く*8、一般的な通史に補完する視点として刺激的で読みごたえがあった。

*1:左右の連立政権ゆえに崩壊した片山哲内閣について、「教条的左派の手によって葬られることになった」などと表現したりしている。182頁。

*2:さすがに捕虜虐殺合法説などにはくみしていない。

*3:著者が半藤一利らと東京裁判資料を調査してまとめた『「東京裁判」を読む』でくわしく論じているとのこと。

*4:タクシー等を利用して向かったため渋滞が発生し、集会場所に入れずに引き返した人もいたという。当時の沖縄タイムス記事にも似た趣旨の文章があった。http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20071004/1191538196

*5:238〜239頁。前者の証言はシンガポール作戦に従事した後にインドネシア方面へ派遣された兵士によるもの。

*6:247〜248頁。

*7:164頁。

*8:強制連行された中国人証言が描かれた章は重い。