法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『人生が変わる1分間の深イイ話』の浅さ

日本テレビ系列で月曜21時から放映しているバラエティ番組。「深い話」「イイ話」を1分間のVTRで知ろうという、手軽に深さを楽しむ番組だ。


先週、ゲストとして登場した精神科医名越康文氏が『サイボーグ009』「地底帝国・ヨミ編」結末*1を推していた。少し前に『サイボーグ009』を特集した『ETV特集』でも聞き手として番組進行をしていたのだが*2、ここまで本気で評価していることに少し驚き、好感も持った。紹介する映像も、最も石森らしさのある川越淳監督『サイボーグ009』から引いており、内容要約も当を得ていた。
しかし、最も番組の駄目さが集約された「深イイ話」でもあった。
まず、平和の大切さを子供向けに教える意義という、教育的な観点からばかり評価されていたことがふに落ちない。ここは、おもちゃのライフル銃が欲しいと弟が流星に望んだことが平和への願いより先にあることに注意するべきだ。これは対比というだけでなく、『サイボーグ009』自体も格好良い戦いを見たがる欲望で成り立っていることをも視野に入れている。「おもちゃのライフル銃」と「サイボーグ戦士が戦うマンガ」は、楽しむ側にとって等価な面がある。
次に、最後に登場する姉弟が誰だかわからないという小島よしおの感想も、より深めることが可能なのに笑いに受け流してしまった。流星への願いは、別の石森章太郎作品『仮面ライダー』と同様に、サイボーグ戦士が人知れず戦っていたことを象徴する場面でもある。だからこそ平和を求めつつも戦場から離れた場所で生きている一般人が祈る必要性があった。ある面では皮肉で残酷な描写なのだ。
そもそも、名越氏の場面選択も良くなかったと思う。最終回の流星は気のきいた描写ながらも海外SFから想を得ているのは間違いなく、作品の独自性という面で疑問が残る。さらに情緒的な場面であるため、描写を短縮すれば深みを失ってしまう。この番組で紹介するなら、サイボーグ戦士達を地底人の女性達が裏切った理由が適切だったのではないか。ただの欲望で計算された行動でも、それに救われた者には善意に見えてしまうという複雑な構図に、評者達も教育的観点を超えて感心した可能性があると思う。


そして今週、『あしたのジョー』が取り上げられたわけだが、危惧した通りの展開だった。
アニメ映像を紹介で利用しながら、質問したのはマンガを作画したちばてつや氏に対してのみ。原作者は故人であるからしかたがないし、原作における結末意図を部分的に紹介していたから良いとしよう。しかし、出崎統監督へインタビューしなかったことは不可解だ。
あしたのジョー』は原作者、作画者、そしてアニメ監督のどれもが微妙に異なった解釈をしている。特に、矢吹丈の生死は漫画家と監督で正反対といっていい。出崎監督が原作に独自視点を加えるのはいつものこととはいえ*3、制作者間ですら解釈が異なるこそ逆説的に『あしたのジョー』の深みを最も感じられただろうに、惜しいことだと思う。


結局、番組の趣旨を全否定するようだが、どだい本当に深い話が1分間に要約できるはずもない。実際は番組でも補足説明や前提情報が付け加えられることが少なくなく、厳密には1分間の話ではなかったりする。逆に1分間でも紹介には長すぎるような明言や格言の類いがやたら評価されやすい。
だから、台詞で説明せず描写を重ねて初めて意味のあるような映像作品は、この番組で評価されにくい。映画やアニメや特撮番組から台詞が引かれることが多いが、あくまで時代性や子供向けという背景を考慮し、さらに相応の知名度がある作品を取り上げていることが多い。


ただ、長々と文句をつけたが、おそらく今後も時間があれば見るだろう。『ウルトラセブン』のメトロン星人を高く評価し、『ウルトラマンマックス』のメトロン星人を表現が直接的すぎるという理由で低く評価したことなど、妥当な作品評もある。
一つだけ、この番組等が要約した内容*4よりも深い内容が実際の作品にはあることも多い、という話。

*1:宇宙から地球へ落ちて燃え行く主人公達が地上からは流星に見えたという名場面。くわしくは実際にマンガを読んでほしい。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20080526/1211985109

*3:http://homepage.mac.com/wayang_gamelan/interview/dezaki/index.html

*4:もちろん、私が書くような感想等もふくまれる。