法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ガサラキ』でツイッターを検索していたら『魔法科高校の劣等生』が似ているというツイートを見かけて慟哭しながら能を舞っている

いや本当に舞っているわけではないが、精神的に。
むろん『ガサラキ』もそれはそれで問題があったとは思うし、ひとりの思想に作品が飲みこまれてしまったことは似ているが。


それはさておき、『魔法科高校の劣等生』のTVアニメに不満を表明しているskipturnreset氏のエントリを読んで首をかしげた。まだ映像化されていない原作の情報にもとづいているとはいえ、要求しているキャラクターイメージが作品描写と根本的に乖離している。
『魔法科高校の劣等生』の司波達也・深雪兄妹の異常性について、原作小説八巻まで(というか主に八巻)をふまえた話。 - 【蝸牛の翅(かたつむりのつばさ)】

一方、"これはひどすぎる俺TUEEE!"云々という話は、司波達也というキャラクターへの感情移入を前提にしていると思えるのですが。
原作小説においては達也について感情移入を意図的に拒む作りがされていますし、そもそも「移入すべき感情が異常すぎる」という設定が次第に明らかになります。

もちろん主人公に感情移入することだけが物語の快楽ではない。とあるTVアニメの最終回で、美しい結末を否定して見上げた空を流星のように駆けあがっていく主人公に感情移入などできるはずもなく、ただただ「主人公SUGEEE!スタッフSUGEEE!」と思うしかなかった。
よく主人公が異常に強い作品として名前があがる『コブラ』や『シティーハンター』や『バンパイアハンターD』にしても、主人公は感情移入の対象とは少し違うだろう。基本的には憧憬の対象であって、せいぜい共感する一瞬があるくらい。『ガサラキ』で作品世界を狂気に飲みこませてしまった西田啓というキャラクターにいたっては、明らかに危険人物として描かれている。


むしろ『魔法科高校の劣等生』の主人公は、作中の評価と違って、今のところ言動が年齢相応に幼い。設定にふさわしいような冷静な思考から正論を述べているとは、とうてい感じられない。
気になってTVアニメ第5話を視聴してみたのだが、校内に差別が蔓延していることへの不満を述べられた主人公が、学校は差別を禁じているからという根拠から、学校に責任がないことを当然視していた。管理責任が思考から欠落してしまっている。主人公の主張がなりたつなら、イジメ問題で学校の責任を問えなくなる。そもそも学校は服飾デザインで格差を視覚化しており、改善の余地があることは明らかだ。
単に「異常」なのではなく、考えが浅いのだ。作中で天才ということになっているキャラクターなら、主張そのものはどこかからの引用でも、その実行において常人が真似できない真似したくない域に達していてほしいもの。
生徒会長の演説も主人公の考えと大同小異。それなのに対立者の誰も反論できず、少し譲歩しただけで学生全体から拍手喝采される。これでは異常なのは主人公兄妹ではなく学校全体だ。


評価と描写の乖離は、skipturnreset氏が前後して不満を述べている妹のキャラクターも同様だ。

いまさら「ちょっとかわいくて、物凄く高い才能を持っているけど病的にブラコンな以外は普通に年頃の女子高生」みたいな描かれ方で映像化されても、困惑するしかありません。

自らの言動を厳しく律し、隠そうと思えば内心を押し隠せもする自制心。圧倒的な魔法の実力と美貌に裏づけられつつも、あるいはそれ以上に育ちの良さと威厳を感じさせる振る舞いから発散され、周囲を圧倒せずにはおかないカリスマ……といったことが映像として表現されて欲しいと思えます。

兄が女性とかかわることへの嫉妬心を押し殺すことができないし、秘匿しなければならない能力を兄自慢のため漏らすようなことをしているのだから、そもそも「自らの言動を厳しく律し、隠そうと思えば内心を押し隠せもする自制心」を持ちあわせたキャラクターになりようがない。それらが原作には存在しないTVアニメオリジナル描写という話も聞かない。
仮に、自制心の強いキャラクターが兄だけには自制心を失ってしまうという描写のつもりならば、基本を見せないまま応用だけ見せることこそが問題なのだ。第3話の時点で主人公について私が感じた不満がそのまま当てはまる。
TVアニメ『魔法科高校の劣等生』を見て納得できる視聴者はいるのか - 法華狼の日記

主人公の勝利後に基本設定と例外設定が開陳されるため、あたかも後づけ設定のように感じられる。せめて作品世界の基準となる基本設定を描いておき、それを凌駕する主人公の例外設定を説得的に描いてほしい。先に踏み台の高さを感じさせておかないと、主人公が昇っても高く見えない。

ただ、作品に描写されていないことの応用だけを描く問題は、前例がないわけではない。たとえば「名探偵」と表現されたキャラクターが迷推理しかしない時、ミステリマニアならばパロディとして楽しめるかもしれないが、ミステリを初めて読んだ者には意味不明の設定乖離と感じるだろう。『魔法科高校の劣等生』へ不満が出てくるのは、そうした乖離の結果もあるかもしれない。