法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

かくて万民、万死に値する

あいりん地区で起こっている「暴動」の情報を、いくつか整理してgood2nd氏が伝えている。
日本で暴動起きてるんですけど - good2nd

警官による暴行が労働者の主張どおり事実だとすれば、重大な人権問題であるはずです。極めて深刻な。釜ケ崎では過去にも暴動が起きており、警察への抗議に端を発するものも多いようです*1。チベット人住民を不当に逮捕して暴行したと言われる中国の警察と何が違うというのでしょうか?当事者として、「事実無根」と言いはって済ませるのではなく、納得のいく説明をする義務が大阪府警にはあると考えます。

また同地では昨年には住民登録の削除が行われるなど、人権状況の点で憂慮すべき問題があります。ゆえなき突発的な事件ではないでしょう。この国が人権に配慮するというのなら、まず今回の事実関係を明らかにした上で、警察のような実力組織による抑圧を完全に根絶しなければなりません。

これに対するはてなブックマークの内容に、暗澹たる気分となった。個々人は必ずしも現状肯定はしていないと思うが、なぜこうも冷笑的に距離を取るのか。
はてなブックマーク - 日本で暴動起きてるんですけど - good2nd
他に重要な事件や災害が多かったという論理は、まだわかる。後日に力の入った報道がされる可能性もなくはない。とりあえず、チベット動乱が報道されていた時期に左翼が情報発信していないと文句をつけていた人々が、今回になって二重基準性を発揮していないよう祈るばかりだ。
問題は、報道されない理由を地域性に求める発言。どれもチベット動乱に置き換え可能な論理ばかりだ。

2008年06月16日 toronei 社会, 政治, ニュース だってこの地区では日常のことだもん。 | まあ一応→http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/152979

2008年06月16日 boussk 時事 知らなかった。/地名見ただけでアンタッチャブル感満載だからTVも報道せんわなあ。

チベット問題は2008年から始まったわけではない。中国政権による人権抑圧も、高度自治要求運動もずっと昔から存在していた。そもそもgood2nd氏は「ゆえなき突発的な事件ではないでしょう」と指摘しており、今回の「暴動」が特別でないからこそ詳細に報道されるべきと主張している。

2008年06月16日 woodsmith 社会 ここって893、左翼とかが入り混じってるから誰の言うことも信用しないってのが関西人のスタンス。10代のガキが集まってるってのが今までと違うような気もするが

一党独裁政権による報道規制や情報操作だけでなく、オリエンタリズム幻想をチベットに仮託する欧米の心情にも問題があるだろう。日本におけるチベット支援活動には民族差別主義者が多く入りこんでいる。だからチベット「暴動」で商店街を破壊する僧侶が中国軍の変装等という噂がネットに流れると訂正することは難しい。報道規制もされており、はっきりと正確な情報などどこにも見当たらない。
……だからといって、チベット動乱について何も信用するべきでないはいえないだろう。

hayaton117 あいりん地区, 何を今更 小競り合いなんざ昔からでニュースにもならん。西成署の設備みればわかるよ。現場を知らない人に色々言われてもね。日本橋から歩いていけるから差別うんぬん言う前に行ってみるといい。昼間に歩く分にはまず安全だよ

「小競り合い」という表現には状況を矮小化したい欲望が透けて見える。チベット動乱では、中国政府が死傷者数を低く見積もって発表しただけでなく、一般の中国人にも「現場を知らない」ことを理由に海外からの批判へ反発する人々がいた。
もちろん現場を知っていることは一つの価値だろうが、それだけでは疑惑を晴らすことはできない。現場を知っている者なりの説得力ある指摘が必要だろう。

2008年06月17日 yousanotu3 大体、暴行の事実が曖昧な時期に動き出すのがジャーナリズムか?小競り合いを必要以上に騒ぎ立てるジャーナリズムか?バカじゃねーの/貧困問題は常に追いかけてなきゃいけないがこんな時に大騒ぎするのがまともか?

事実が曖昧だからこそ取材によって事実へ肉薄する報道が求められているとは思わないのだろうか。よもやジャーナリズムに「騒ぎ立てる」ことしか求めないわけでもないだろう。
警察官複数による暴行疑惑を「貧困問題」の範疇でしか見ていないらしいのも不思議でならない。


そして、最も気になったのが以下に代表される意見。

2008年06月16日 sekiryo 事件, 報道, 警察, あいりん地区, マスコミ 一応、暴動が起きてるって報道はされてるけどね。死者も出てないし暴徒が街で略奪行為をしているわけでもないし自分達の待遇を改善するよう要求している闘争でもないし路上生活者近辺だからみんな共感しないし。

これは秋葉原無差別殺傷事件の犯人を肯定せざるをえなくなる論理だ。
暴徒化しなければ存在が無視される。誰かを傷つければ「幼稚なテロリスト」*1と切り捨てられるだろう。まさに「絶望したら自殺すればいいのに」*2という話ではないか。
しかも、まだいくらか社会と繋がっていた秋葉原無差別殺傷事件の犯人ですら、圧倒的に孤立していた。
【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 - 何かごにょごにょ言ってます

犯人は他人を巻き込まず、一人で勝手に死ねばよかった、そう言う人は多い。裾野市なので富士の樹海は近い。だが、犯人があのまま秋葉に行かず、一人樹海に向かったとしても、誰も探しに行かなかっただろう。

派遣会社も、派遣社員の同僚も良くあるバックレとしか思わず、社員はいなくなったことも知らない。

そのことを思いついたとき私は全身が寒くなった。

身震いするほどの孤独がそこには存在する。

ホームレス十数人の自殺くらいでは、きっと報道で注目されるに足りない。報道されず気にかけられず百万都市の中心で孤独に死に行く人の群れ。
少数でまとまれば無視され、多数で集まり声を上げると社会から切断される。いずれにせよ孤独に利己的に生きるしかない。
そして相手を切り捨てるということは、相対的な視点では自分が相手から切断されることとなる。“彼ら”を無視する限り、やがて“我ら”も社会から無視され孤独になるしかないだろう。そうなった時、社会に無視されないでいられる人は、ほんのひとにぎり存在すれば良い方だ。
互いに距離を取り、狭い共同体にこもって他者を笑い、外部と協力することはない。もちろん困った時に助けてもらえるはずはない。