法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ぼくの描いた戦争』手塚治虫

〜漫画の神は駄作の神でもある〜
マンガの神様による戦争を主題とした短編漫画集。末尾には著者の自伝的エッセイもあり。初版は著者が亡くなってから久しい2004年だが、収録作品を選んだ編者の名前は無し。
ブラック・ジャック』シリーズから収録されている2編を除き、ほとんどが無名な作品。他には自伝的作品である『紙の砦』が部分的に紹介されることがあるくらいか。私も別個に持っているのは半分くらいしかない。


[カノン]は定石的なゴーストストーリー。女教師の殺される描写の悪趣味さが手塚作品らしい。
[ジョーを訪ねた男]はブラックジャックの一編にもなりそうな話。乾いたラストも含めてベタだが、雰囲気はある。
[紙の砦]は、虚構部分である宝塚音楽学校生の京子との関係は安い悲劇と感じる。どちらかといえば、戦争という時代に漫画を描こうとするバイタリティあふれる主人公の、自伝的な部分がいい。漫画が自由に描けず、読んでももらえない日々が克明に描かれる。さかもと未明氏に見てほしい作品だ。
墜落した敵戦闘機の乗員へ住民がリンチし、主人公も加わろうとする描写もなかなかいい。この時の京子は、爆撃により顔半分が焼けただれていた。
アナフィラキシー]は『ブラック・ジャック』シリーズでは無名な方だろう。実際、筋が相当に単純で、意外性や含みといったものがほとんどない。
[ゼフィルス]も自伝的な作品だが、戦争はあくまで背景として描かれる。蝶のはかなさと重ねあわせるように、戦争という時代を生き残りたい人間の姿が胸を打つ。手塚作品らしいバイセクシャル風味の描写や、昆虫の生態といった部分が楽しい。
[やまなし]は宮沢賢治の同題作品を基にした作品。ページの上下で原作を翻案した2種類の物語が響きあい、戦争で切り裂かれていく描写が素晴らしい。無理に原作と合わせようとして生まれる齟齬も素直に笑える。戦後を予感させる穏やかなラストも好みだ。
[魔王大尉]も『ブラック・ジャック』の一編。復讐と悔恨の物語が、現在の日本における裁判をめぐる出来事を思い出させた。
[法師の巻]は『どろろ』の一編。時代劇的な妖怪物の雰囲気はあるが、筋としては単純すぎてふくみがない。それもそのはず、収録されたのは百鬼丸の回想部分のみであり、本来はもう少し長い話なのだ。アンチヒーローの来歴一断片として見るなら良い出来だが、単体で戦争を描いた漫画としては弱い。
[墜落機]は冒頭で「これは架空の物語である だから 舞台も 未来のどこかの国の できごとと 思ってくだされば いい…………」と説明がある。しかし、登場人物の名前はカタカナで表記された日本語。他の言葉や文化も日本のそれだ。何より、墜落を特攻という美談にしたてあげ、何度も攻撃に失敗してひょうひょうと生還してしまう主人公を特攻させようとする展開は、現実の太平洋戦争に似た逸話がある。現実の悲喜劇を、素知らぬ顔で「架空の物語」などと説明するあたりが凄まじい皮肉だ。
[大将軍 森へ行く]は暗い森の奥で起きた奇妙な出来事。旧軍的な硬直した考えと庶民的な魅力をあわせもつ主人公、雨月大将の人物像が深い。大将が神話的事物に取り込まれたかそうでないかは読者の想像に委ねられているが、戦争がなければ農家として温和に生きていけただろうと思わせる。
[1985への出発]は『1984』とはおそらく関係なく、作品の初出年*1だ。最後であきらめとともに決意する主人公は少しいいが、テーマが前面に出すぎていて説教臭い。
[わが思い出の記]は文章のみのエッセイだが、何らかの提言があるわけでもなく、当時の気持ちを込めて回想する、短い文章。


はっきりいえば、漫画はどれも無名になるのが当然と思える微妙な出来。多作乱作した結果、当然のように埋もれてしまったわけだ。読者受けを最優先とする手塚作品らしく、あざとさが鼻につく*2
ただ、物語とは別にエッセイで興味深い記述があったので、引用しておく。

 こんなことが何回もあったが、あるとき、やけあとの、中之島をとおりかかったら、高射砲にうちおとされた爆撃機がおちていて、アメリカの操縦士が、パラシュートをつけたまま虫の息になっているのに出会った。大ぜいの人だかりでその中に、憲兵らしいのが五、六人いた。てんでに棒っ切れをもって、そのアメリカ兵を、ちからまかせになぐっているのだった。とうとう、ピクリともしなくなってくちをポカンとあけたのを、ひきずってどこかへ持っていってしまった。もう、その晩は頭が変になって、ねむれなかった。ぼくは、ちょうどそのころ予科練をうけて、目がわるいので、おちていたのだけれど、もしパスして、戦場に出て、不時着したらやっぱりあんな目にあうんだろうかとかんがえると、気がくるいそうだった。

明らかに、[紙の砦]で主人公が私刑に加担しようとした描写の基だ*3。米国の無差別爆撃*4は明らかに非人道的な作戦であり、もちろん国際法上も批判の対象となるが、だからといって私的制裁が許されるというわけではない。

「敵機がそこへ/落ちてね アメリカの/操縦士が まだ/生きてやがんのさ」
「だから/みんなで/たたっ殺し/てるところ/なんだ」
主人公「ぼくも/やるぞ」
「ああ ひとりが/一回ずつなぐっていいよ/おまえさんもやんな」
主人公「京子ちゃんを/あんな顔にした/かたきだーっ」

この後、『紙の砦』の主人公は操縦士の無残な姿を直視し、制裁を思いとどまっている。

*1:月刊少年ジャンプ』1985年7月号

*2:それでもさすがにお話の水準には達しているし、こうして没後も作品集にまとめられているのも確かだが。

*3:エッセイの初出は『手塚治虫全集7 ロマン6』1965年9月1日鈴木出版発行、[紙の砦]の初出は『週刊少年キング』1974年9月30日号。

*4:ただしエッセイでは問題の搭乗員が無差別爆撃を行ったかどうかは不明。漫画も戦闘機の搭乗員なので、機銃掃射等を行ってない限り、直接的に非戦闘員を攻撃したとは思えない描写。