法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『名探偵コナン』エピソード“ONE” 小さくなった名探偵

とある組織で、ひとりの女性科学者がネズミに薬物を投与する実験をおこなっていた。その組織の仕事について、男たちがバーでやりとりするなかで、潜入者がいるらしいことが語られ、一方が爆殺される。そうした出来事とは関係なく、高校生探偵として活躍していた工藤新一だが……


金曜ロードショーで2016年12月に放映されたTVSP。2020年の再放送で視聴したが、EDクレジットの欠落など改変が多いようだ。

江戸川コナンが誕生した物語をリメイクというかたちで、最初から最後まで高校生探偵ならではの物語が展開されるかと期待したが、前半に小さな殺人事件と毛利蘭の空手設定を見せるエピソードをくっつけただけ。
毛利蘭の空手試合はアクションアニメとして作画演出ともに見ごたえあった。原作では主人公のサッカー技術を見せるためだけに出会った名も無き子供たちを、後の少年探偵団メンバーに改変したアレンジも悪くない。
問題なのは、とにかく殺人事件がつまらないこと。原作では主人公の紹介をかねて初回一頁目から解決編がはじまる事件だが、そのまま事件開始前の描写を追加しても謎解きの歯ごたえは生まれない。あえて二頁の推理だけで事件の状況からトリックまで読者につたえられるようシンプルにした事件なのだから、それ自体を見どころにするなら複雑さを足す必要がある。
もともと密室といいながら窓から出入りできるし、個人の屋敷なので高さもさほどではない。そして近くの窓から壁の縁をつたってバルコニーにジャンプしただけ。犯人だった屋敷の主人が容疑の輪から外れるための車いす姿が偽装という手がかりを事件開始前のアニメオリジナル描写として追加しているが、ただ主人公が何かに気づいた表情をするだけ。目撃した足でふんばる光景は解決編ではじめて提示される。


後半の流血の大惨事にはこの作品がもともともっていた猟奇性を思い出させて良かったが、記憶どおりにトリックが無茶苦茶だし、記憶以上に犯人を特定する論理が滅茶苦茶。血染めの刃物くらいで人間の首を切断できないという指摘はいいとして、だからといってワイヤーをつかった切断は劇中で指摘されるように主人公もふくめて誰でも可能だし、逆に犯人は体操選手だからといってローラーコースター上で身をのりだして主人公に気づかれないとは思えない。フックを隠すカバンをもっていたのに、ワイヤーだけネックレスに偽装して身に着ける意味もない。
そして黒の組織を追いはじめる結末から、有名エピソードのダイジェストが延々つづく。こんなとっちらかった展開にするくらいなら、高校生時代に少年探偵団と邂逅していた描写のように、本編に出会いや因縁を組みこんでほしかった。たとえば水商売の店でアルバイトしている医学生の浅井成実とすれ違うとかしても良かったのでは。

実写版『ムーラン』問題について「ネトウヨや差別主義者を利する事になるので、私は加担しません」と日本で語る「リベラル」がいることはおかしくないけどね……

米国では映画の制作における妥当性も強く求められているという意味で、アカデミー賞とムーラン批判は似ている - 法華狼の日記

ディズニー新作映画「ムーラン」、新疆で撮影 エンドロールで発覚 - BBCニュース

今回のディズニーが中国市場を優先して人権を軽視したのならば、それは「ポリティカル・コレクトネス」を切り捨てて資本主義に屈したのだ、と表現してもいいだろう。

上記の問題について、id:neoamakusa氏による下記ツイートがはてなブックマークを集めて*1、多くのコメントで批判されていた。

neoamakusa氏だけでなく少なくない批判者も忘れているようだが*2、そもそも『ムーラン』批判をつたえて注目されたのはBBCのような「リベラル」なメディアだ。


そもそも「リベラル」という自称はさまざまな人々がもちいる。日本で代表的な組織のひとつが長期政権をつづける現在の与党だ。
パックンが深堀り! 今年の政治のキーワード「リベラル」ってそもそも何? - 政治・国際 - ニュース|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]

日本で最も保守的な政党の英語名が「リベラル・デモクラティック・パーティ(自由民主党)」ですよね。

市場を優先したかのように中国批判を弱めたことについて、産経新聞ウイグル弾圧問題を引いて批判したことも記憶に新しい。
【主張】「国賓中止」の決議 自民の及び腰に失望した - 産経ニュース

 国賓とは天皇陛下がもてなされる日本最高の賓客である。香港市民やウイグル族に対する弾圧の責任者である習氏は、最もふさわしくない人物だ。

 国賓来日の中止しか、日本の道義も長期的な国益も保つことができない。

 ところが、中国と太いパイプを持つ二階俊博幹事長や二階派の議員が原案に反発し、決議は「党外交部会・外交調査会として中止を要請せざるを得ない」という表現に変更された。


他方で「自称リベラル」と名指しされ批判されている左派が、必ずしも実際には自称していないような場面も記憶にある*3
そもそも「リベラル」は左翼よりも「普通の日本人」に近しい印象がある。実際に辞書でもいくつかの語義に穏健派という評価がふくまれている。
リベラルとは - コトバンク

政治的に穏健な革新をめざす立場をとるさま。本来は個人の自由を重んじる思想全般の意だが、主に1980年代の米国レーガン政権以降は、保守主義の立場から、逆に個人の財産権などを軽視して福祉を過度に重視する考えとして、革新派を批判的にいう場合が多い。

穏やかに改革を行おうとするさま。また、そのような立場や人。


ここで本題にもどって、「真正のリベラル」を自称するneoamakusa氏のツイートから、いくつか象徴的なものを紹介したい。
たとえば従軍慰安婦問題で日韓合意した安倍晋三政権を批判していたが、たぶん予想されるニュアンスとは異なるはずだ。

「みずきの女子知韓宣言(´∀`*)」を情報源にしていること自体、「リベラル」自称を抜きにしても、かなり特殊な人物だと思う*4
どこまで本気か文脈がわかりにくいが、日本軍慰安所制度を想起させるからと、ハリウッドを批判したこともあった。

つまりneoamakusa氏は中国の加害を見逃さないことに反発するだけでなく、日本の加害を想起させることにも反発している。
ハリウッド批判でうかがえるように、「ポリコレ」による社会変化を必ずしも歓迎していない傾向もある。

この在日コリアンに対する態度を見れば、ウイグル族への態度に何の違和感もない。
たしかに最初に紹介したツイートでneoamakusa氏が想定している人物像と比べれば、同化されゆく少数民族への見解に一貫性はあるのだ。
さらに文化の根本として経済を重視し、そこで三橋貴明氏をもちあげ、鈴木敏夫氏と山田太郎氏の両方を低評価する一貫性もある*5

一貫性さえあればいいというものではない。

*1:[B! 差別] ハンセイ(紅世真正のリベラル) on Twitter: "ムーランを叩いてるのは本当はウイグル族の事なんてどうでもいいくせに、中国とディズニー憎しでここぞとばかりに吹き上がってる連中ばかりなんですよね。 そういうネトウヨや差別主義者を利する事になるので、私は加担しません。 皆さんも一度冷… https://t.co/c1aK6O5JhU"

*2:「もともと騒ぎ出したのってNYタイムズとかワシントンポストとか海外メディア。NYタイムズネトウヨだというのかね」というid:gyaractar氏のコメントはある。

*3:「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという - 法華狼の日記

*4:こちらのツイートなど、他にも複数ある。

*5:おそらく資本主義を優先する思想から「ネトウヨ」を批判しているのだろう。日本のインターネットでは珍しい立ち位置だ。

米国では映画の制作における妥当性も強く求められているという意味で、アカデミー賞とムーラン批判は似ている

まず、新型コロナウイルスにより上映延期をつづけていた実写版『ムーラン』が、いざWEB公開すると新疆地区で撮影されていたことが批判されたという*1
ディズニー新作映画「ムーラン」、新疆で撮影 エンドロールで発覚 - BBCニュース

「ムーラン」のエンドロールでは、新疆自治政府の治安機関に謝意を表明している。新疆では過去数年間で、100万人超のウイグル族と他の少数民族が、収容施設に入れられているとみられている。

エンドロールの表現をそのまま受けとるなら、ウイグル族への支援をこめた現地撮影ともいえないようだ*2
前後して記事に指摘があるように、主演俳優がデモの弾圧において警察を支持した問題も先にあった。

今作については、公開以前からボイコット運動が始まっている。主演の劉亦菲(リウ・イーフェイ)氏が昨年、香港で続いていた民主化デモをめぐり、デモ参加者への暴力などが取りざたされていた警察への支持を表明したのがきっかけだ。

さらに今月7日には、映画のエンドロールに新疆自治政府の機関が複数掲載されていることを、ソーシャルメディアのユーザーが発見。トルファン市の治安当局や、「中国共産党新疆ウイグル自治区委員会広報部」といった名前もあった。

また、物語そのものも女性主人公の個人的な自己実現を重視*3した1998年のアニメ版と違って、共同体の防衛というナショナリズムを強めている*4と小耳にはさんでいる。
今回のディズニーが中国市場を優先して人権を軽視したのならば、それは「ポリティカル・コレクトネス」を切り捨てて資本主義に屈したのだ、と表現してもいいだろう。


とはいえ予告段階では、特にウイグル弾圧を肯定する内容とは予想されていなかった。本編が公開されても、その方向性から本編への強い批判は見かけない*5。映画制作で直接的に少数民族を傷つけたという情報もまだない*6
ヤクザ映画の撮影でヤクザの協力をとりつけたり、巨大セットを撮影後に放置して環境問題をひきおこす、そんな古い制作姿勢そのものが変化をうながされている。今この瞬間の利益だけを優先する経営に未来はない。


その意味では、直近で報じられたアカデミー賞の新基準も同じような姿勢の変化といえるだろう。
アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など | ハフポスト

映画芸術科学アカデミーは9月9日(日本時間)、2024年から、作品賞の選考に新たな基準を設けると発表した。作品賞を受賞するためにはいくつかの条件を満たさなければいけないとし、その中には、「主要な役にアジア人や黒人、ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」や、「制作スタッフの重要なポジションに女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」などが挙げられた。

念のため、上記の条件は「かつ」ではなく「もしくは」であって、全てを満たす必要はない。四つの基準のふたつを満たせばよく、かつ各基準もいくつかの選択肢が用意されている。
そこで俳優や物語にかかわる基準は最初のひとつだけで、残りは製作のリーダーや技術職、有給実習など人材育成、広報幹部など、制作における多様性が求められている。
現在にアカデミー賞を受けるような映画ならば最初から達成そのものは難しくなく、どちらかといえば賞の姿勢を示すためのものだろう。


一部で懸念されているように、米国アカデミー賞の新基準は、選考を実力主義から遠ざけるだろうか。必ずしもそうは思えない。
強者が支配した時代の力関係が映画界に残っているかぎり、選考が互助的におこなわれる懸念が、たとえ関係者が意識せずとも生まれてしまう。
2016年に映画芸術科学アカデミーが批判された報道を読めば、そもそも過去の選考基準そのものの妥当性が問われていたことがわかる。
「白人ばかりのアカデミー賞」と批判を受け、アカデミーが大胆な改革案発表 : 映画ニュース - 映画.com

「白人ばかりのアカデミー賞」と批判されたことを受け、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーが大胆な改革案を発表したと、ハリウッド・レポーター誌が報じた。

アカデミー賞俳優部門にノミネートされた20人が、昨年に続きすべて白人だったことから、人種差別だと批判が噴出。ソーシャルメディアで#OscarsSoWhite(白すぎるオスカー)として広まり、スパイク・リー監督やウィル・スミスらを巻き込んでアカデミー賞のボイコット運動に発展していた。

昨年に英国アカデミー賞の主演男優賞を『ジョーカー』で獲得したホワキン・フェニックスも、人種差別的な構造を変えるべきと指摘していた。
ホアキンの“白人ばかりの受賞”を語るスピーチも話題に。英国アカデミー賞最多受賞は『1917 命をかけた伝令』|最新の映画ニュース・映画館情報ならMOVIE WALKER PRESS

今年の英国アカデミー賞が「白人だらけの賞」と言われていることに言及し、「感謝と共に、複雑な気分だ。同じようにしのぎを削ってきた有色人種の俳優仲間たちは恩恵を受けられていないから…。これは、『あなたたちはこの業界では歓迎されていない』と言っているのと同じだ。誰も特別扱いを受けたいとは思っていないはずなのに、私たち白人は毎年自分たちが賞を受賞するように仕向けている。この問題に加担する1人として、本当に恥ずかしく思っている。インクルーシブ政策に積極的に取り組んでいたとは言えないから。多文化を促すよりも、システムに根付いた人種差別問題に取り組むことが必要なのだ」とスピーチ。

米国アカデミー賞の新基準は、むしろ現在の賞を実力主義に近づけるかもしれない。くわえて未来に映画にたずさわる力がある者を引きあげて支える意義も思いださせる。
これからも映画を楽しみたい無責任な観客としては、どちらかといえば歓迎できる変化だと感じている。事実どの動きも、主流から外れた周縁や、それに呼応して出てきたものだ。

*1:記事で指摘されているように、監督のインスタグラムや建築雑誌の取材で、すでに新疆地区にいた情報は出ていたらしい。

*2:ただし、物語上では撮影対象に批判的な意図をこめても、制作協力をえることで対象に謝意を表明することは映画制作でありうる。逆に撮影対象を賞賛しようとも、そこで描かれる出来事が好まれずに協力をえられないこともよくある。日本映画における自衛隊の事例が『自衛隊協力映画: 『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』にくわしい。

*3:これ自体がディズニーの外国文化の簒奪と軽視に思えて、当時から好ましく思えなかったが。そもそも私はあまりディズニー作品を映画として良いと思ったことが少ない。

*4:国外から攻めてくる異民族を撃退する原作を選んだ時点で、よほど映画の展開を改変しないかぎり、構造的にナショナリズムをくつがえすことは難しいとも思うが。

*5:違う時代や文化を混ぜたフィクションなためか、良くも悪くも地名も登場していないという。

*6:ここでは中国当局の協力をえるために少数民族の情報を映画スタッフがわたしたり、文化財を撮影のため損傷したりする問題を想定している。その地域での判断を中国当局がおこなったこと自体が、少数民族の主体性をうばっている原理的な問題はもちろんある。

『世界まる見え!テレビ特捜部』○○のおかげで助かりました

さまざまな幸運や協力によって救われた人々や動物を特集。


最初のミニ映像コーナー、ロシアの雪道に埋まった自動車をラクダが救う光景に脳が理解をこばんだ。
大雪の降っているところに労働につかえるラクダがあるのか。カザフスタン近くなのだろうか、あるいは異常気象で普段は雪が降らない地域だろうかと想像したり。
首をかしげながら検索してみると、ラクダはシベリア付近にも存在していて、祈祷師が生贄として300年に一度焼く伝統があることを初めて知った。
www.afpbb.com


特集の最初は、義肢をつけて生活する動物の特集。検索するとナショナルジオグラフィックの元ドキュメンタリー情報が見つかった。
natgeotv.jp
基本的には人間と動物の関係や技術を見せていく内容。しかしワニは尻尾でバランスをとって歩くため、動力のないゴム製の尻尾でもバランサーとなって歩きやすくなるというのが面白かった。


次に、ふとした幸運から大金をつかんだ米国の人々を紹介。
元米軍兵士が半年間無職のままクリスマスバーゲンに出かけたら抽選会で100万ドルに当選したとか、身寄りがなく19歳でホームレスになった少女がなんとか見つけた掃除の仕事で古い写真を安く買ったら高名な写真家イモージン・カニンガムのもので6万2000ドルで売れたとか、ハリケーンで崩壊した夫婦経営のレストランで見つけた祖母の古いアメコミコレクションが30万ドルで売れたとか……
基本的には思わぬかたちで金銭を手に入れたが、どの人物もそれを元手に堅実な仕事をはじめて軌道にのせていて、あぶく銭として浪費したわけではないことが興味深かった。もちろん浪費して破滅した人はこういう番組に登場できないだろうけど。


最後は荒野を無理やり自動車で冒険していたらサバイバルするはめになった老夫婦を紹介。
スタジオトークでツッコミを入れられているように、基本的に夫が甘い判断で無茶苦茶をやって妻をふりまわし、冷静で動きの少ない妻の判断がふたりを救ったという展開。まあ夫が妻のために全力を出そうとしていたことや、善良であろうことは見ていてつたわってきたが……

『ドラえもん』ウルトラミキサー/ムードもりあげ楽団/のび太の恐竜

「50周年だよ!ドラえもん誕生日スペシャル!」と題した1時間SP。新型コロナ禍でずっと半分が再放送だった昨今、ひさしぶりの全話新作。
ここ十数年の1時間枠いっぱいつかったアニメオリジナルストーリーではなく、『ドラえもん』を愛好する芸能人を呼んで放映エピソードを選んでもらったり、映画1作目の原型となった短編を感動的な中編としてアニメ化。


「ウルトラミキサー」は、犬と猫のケンカを止めるため合体させる秘密道具が登場。しずちゃんに抗議されて犬と猫はもどすが、のび太たちは家財道具を整理しようと合体させはじめる……
2012年に三宅綱太郎コンテ演出でアニメ化*1した原作を、パクキョンスンコンテでリメイク。「マジックチャック」*2が印象深い藤田優奈の作画監督で、かなり絵柄に癖が出ている。
2012年版ではアレンジされていた電気カミソリをライターとの合体にもどしたり、冷蔵庫化するトイレを洋式に変えてタンク部分まで食料を入れたり、物語は原作をふまえつつ刺激を増していく。
さらに合体する種類を大幅に増加。乗りづらそうなしずちゃんのため持っているバイオリンを自転車に合体させたり、ジャイアンの食欲を満たすためファーストフードを樹と合体させて葉っぱをフライドポテトにしたり。特にジャイアンについては、原作と違って曲がりなりにも全員が満足できており、意外だが悪い印象ではなかった。
エピソードを選んだ星野源は、多くの視聴者が知っていることを前提に「のびえもん」にふれる。1エピソードのオチにだけ登場するキャラクターだが、グッズ化もされていて知名度は高いか。配色は頭が青かった2012年版と違って、今回のアニメは原作やグッズに近い黒い頭だった。

しかし、のび太ドラえもんの初期原作らしい傍若無人なふるまいに、両親とも気圧されるだけで怒らないことが謎だった。トイレと冷蔵庫の合体も流してしまい、原作ほどのインパクトを残さない。


「ムードもりあげ楽団」は、何に対しても無感動なのび太のため、ドラえもんが心の動きを強める秘密道具を出す。のび太は母のケーキを思い出して絶賛したり、友人たちと会っていくが……
全体リニューアルした2005年にアニメ化され、2015年にリメイク*3された短編を、さらにリメイク。鈴木洋介脚本、三宅綱太郎コンテ。
まず目を引くのが冒頭のTV番組で、リニューアル後に初めて原作通りに『パーマン』を使っている。声こそないが、新作アニメーションで動く姿が見られること自体が嬉しい。
BGMの選定は2015年版よりそれらしくベタにもりあげ、それゆえ楽しいBGMのままジャイアンに追いかけられる場面のカウンタープンクトもきわだつ。そこから原作よりもジャイアンへの反撃に紆余曲折を入れて、さらにBGMでゆりうごかす感情の変化を楽しめた。
エピソードを選んだのは高嶋ちさ子で、楽団モチーフはバイオリニストらしいと感じていたら、インタビューではジャイアン愛を語る。なるほど、音痴でも気にせず歌という表現をつづける少年は、音楽家にとって尊敬すべき存在なのかもしれない*4ジャイアンのサインを二択で的中するのはともかく、性格の長所短所をならべつつ、好きなのは悪人の状態と断言するあたりにガチ感がただよってくる。
ただ少し引っかかったのが、音符を映像化したことと、イメージBGがいつもより多かったこと。BGMという音で感情を表現するストーリーにあわせて、絵でも感情を表現する手法を多用したのかと思ったが……


のび太の恐竜」は、恐竜の化石を自慢するスネ夫に対抗して、のび太は恐竜まるごと発見すると宣言した。あまりの無茶にドラえもんはつきはなすが、のび太は自力で勉強しはじめて……
後に映画化のため大長編の導入に組みこまれる短編を、初めて単独でアニメ化。4月から新たに監督となった小倉宏文が、2016年の誕生日SP*5以来ひさびさにコンテを担当した。
物語は原作に忠実だが、夏休みの出来事というディテールを足している。のび太に罰として生ごみを捨てる穴を掘らせた男が、アニメオリジナルでアイスキャンディーを持ってきたり。ピー助が暑さでのびて、小さなプールで遊ばせてもらう展開の説得力を増している。いざ育ったピー助を見せようとしたら友人たちが出かけている局面も、夏休みの終わりならでは。
ドラえもんの「あたたかい目」も、『のび太の恐竜2006*6とはまた違った生々しさで楽しい。その後、遠くから見守っていると内心で語りながらドラえもんがどら焼きを買って食べているアレンジは、原作以上に原作らしいドライさがあって良かった。
演出では、原作のコマをそのまま引用したようなカットが目立つ。特にピー助が誕生する感動的な瞬間と、オチの腰砕けなケンカは、背景美術の静止画として処理し、より印象に残った。ピー助を残してタイムマシンで去るカットも、いつものタイムマシン描写と違って原作の画面をわざわざ再現している。のび太を広角レンズで接写したようなカットも多く、ていねいなパースで俯瞰の人体が作画されていることにシンエイ動画の底力を感じた*7。独白が口を動かす台詞ではなく、内心のモノローグが多いことも好みだった。
ただ首をかしげたのは、イメージBGの多用。心象の表現を優先するあまり映像から客観性が欠けてしまい、もともと好きではない演出だ*8。『ドラえもん』はデフォルメが強いようでいて、クールで客観性を重視した作品なので、あまり多用してほしくない。
漫画特有の書き文字をアニメ化して動かす演出も、同じようにあまり好きではない。今回はまるでTVアニメ版『ジョジョの奇妙な冒険』のように多用している。イメージBGと比べてアニメ演出として珍しく、今回くらい徹底してつかわれたならスペシャル感もあるので、嫌悪より面白味がまさったが……もしコンテを担当した新監督の方針として、今後この演出が多用されるのであれば困ってしまう。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:ちなみにコンテは総監督だった楠葉宏三で、現監督の小倉宏文が演出。 hokke-ookami.hatenablog.com

*4:題名のない音楽会』の『ドラえもん』テーマ回でジャイアンになりきって歌ったりしたという。「音楽会の帰り道」 | 高嶋ちさ子のわがまま音楽会~ドラえもん編

*5:hokke-ookami.hatenablog.com

*6:hokke-ookami.hatenablog.com

*7:背筋がピンとはった作画の癖が出ていると思ったら、やはり原画に大塚正実がいた。

*8:富野由悠季演出が嫌いな要因のひとつ。