法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

米国では映画の制作における妥当性も強く求められているという意味で、アカデミー賞とムーラン批判は似ている

まず、新型コロナウイルスにより上映延期をつづけていた実写版『ムーラン』が、いざWEB公開すると新疆地区で撮影されていたことが批判されたという*1
ディズニー新作映画「ムーラン」、新疆で撮影 エンドロールで発覚 - BBCニュース

「ムーラン」のエンドロールでは、新疆自治政府の治安機関に謝意を表明している。新疆では過去数年間で、100万人超のウイグル族と他の少数民族が、収容施設に入れられているとみられている。

エンドロールの表現をそのまま受けとるなら、ウイグル族への支援をこめた現地撮影ともいえないようだ*2
前後して記事に指摘があるように、主演俳優がデモの弾圧において警察を支持した問題も先にあった。

今作については、公開以前からボイコット運動が始まっている。主演の劉亦菲(リウ・イーフェイ)氏が昨年、香港で続いていた民主化デモをめぐり、デモ参加者への暴力などが取りざたされていた警察への支持を表明したのがきっかけだ。

さらに今月7日には、映画のエンドロールに新疆自治政府の機関が複数掲載されていることを、ソーシャルメディアのユーザーが発見。トルファン市の治安当局や、「中国共産党新疆ウイグル自治区委員会広報部」といった名前もあった。

また、物語そのものも女性主人公の個人的な自己実現を重視*3した1998年のアニメ版と違って、共同体の防衛というナショナリズムを強めている*4と小耳にはさんでいる。
今回のディズニーが中国市場を優先して人権を軽視したのならば、それは「ポリティカル・コレクトネス」を切り捨てて資本主義に屈したのだ、と表現してもいいだろう。


とはいえ予告段階では、特にウイグル弾圧を肯定する内容とは予想されていなかった。本編が公開されても、その方向性から本編への強い批判は見かけない*5。映画制作で直接的に少数民族を傷つけたという情報もまだない*6
ヤクザ映画の撮影でヤクザの協力をとりつけたり、巨大セットを撮影後に放置して環境問題をひきおこす、そんな古い制作姿勢そのものが変化をうながされている。今この瞬間の利益だけを優先する経営に未来はない。


その意味では、直近で報じられたアカデミー賞の新基準も同じような姿勢の変化といえるだろう。
アカデミー賞、作品賞の新基準を発表 「主要な役にアジアや黒人などの俳優」「女性やLGBTQ、障がいを持つスタッフ起用」など | ハフポスト

映画芸術科学アカデミーは9月9日(日本時間)、2024年から、作品賞の選考に新たな基準を設けると発表した。作品賞を受賞するためにはいくつかの条件を満たさなければいけないとし、その中には、「主要な役にアジア人や黒人、ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」や、「制作スタッフの重要なポジションに女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」などが挙げられた。

念のため、上記の条件は「かつ」ではなく「もしくは」であって、全てを満たす必要はない。四つの基準のふたつを満たせばよく、かつ各基準もいくつかの選択肢が用意されている。
そこで俳優や物語にかかわる基準は最初のひとつだけで、残りは製作のリーダーや技術職、有給実習など人材育成、広報幹部など、制作における多様性が求められている。
現在にアカデミー賞を受けるような映画ならば最初から達成そのものは難しくなく、どちらかといえば賞の姿勢を示すためのものだろう。


一部で懸念されているように、米国アカデミー賞の新基準は、選考を実力主義から遠ざけるだろうか。必ずしもそうは思えない。
強者が支配した時代の力関係が映画界に残っているかぎり、選考が互助的におこなわれる懸念が、たとえ関係者が意識せずとも生まれてしまう。
2016年に映画芸術科学アカデミーが批判された報道を読めば、そもそも過去の選考基準そのものの妥当性が問われていたことがわかる。
「白人ばかりのアカデミー賞」と批判を受け、アカデミーが大胆な改革案発表 : 映画ニュース - 映画.com

「白人ばかりのアカデミー賞」と批判されたことを受け、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーが大胆な改革案を発表したと、ハリウッド・レポーター誌が報じた。

アカデミー賞俳優部門にノミネートされた20人が、昨年に続きすべて白人だったことから、人種差別だと批判が噴出。ソーシャルメディアで#OscarsSoWhite(白すぎるオスカー)として広まり、スパイク・リー監督やウィル・スミスらを巻き込んでアカデミー賞のボイコット運動に発展していた。

昨年に英国アカデミー賞の主演男優賞を『ジョーカー』で獲得したホワキン・フェニックスも、人種差別的な構造を変えるべきと指摘していた。
ホアキンの“白人ばかりの受賞”を語るスピーチも話題に。英国アカデミー賞最多受賞は『1917 命をかけた伝令』|最新の映画ニュース・映画館情報ならMOVIE WALKER PRESS

今年の英国アカデミー賞が「白人だらけの賞」と言われていることに言及し、「感謝と共に、複雑な気分だ。同じようにしのぎを削ってきた有色人種の俳優仲間たちは恩恵を受けられていないから…。これは、『あなたたちはこの業界では歓迎されていない』と言っているのと同じだ。誰も特別扱いを受けたいとは思っていないはずなのに、私たち白人は毎年自分たちが賞を受賞するように仕向けている。この問題に加担する1人として、本当に恥ずかしく思っている。インクルーシブ政策に積極的に取り組んでいたとは言えないから。多文化を促すよりも、システムに根付いた人種差別問題に取り組むことが必要なのだ」とスピーチ。

米国アカデミー賞の新基準は、むしろ現在の賞を実力主義に近づけるかもしれない。くわえて未来に映画にたずさわる力がある者を引きあげて支える意義も思いださせる。
これからも映画を楽しみたい無責任な観客としては、どちらかといえば歓迎できる変化だと感じている。事実どの動きも、主流から外れた周縁や、それに呼応して出てきたものだ。

*1:記事で指摘されているように、監督のインスタグラムや建築雑誌の取材で、すでに新疆地区にいた情報は出ていたらしい。

*2:ただし、物語上では撮影対象に批判的な意図をこめても、制作協力をえることで対象に謝意を表明することは映画制作でありうる。逆に撮影対象を賞賛しようとも、そこで描かれる出来事が好まれずに協力をえられないこともよくある。日本映画における自衛隊の事例が『自衛隊協力映画: 『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』にくわしい。

*3:これ自体がディズニーの外国文化の簒奪と軽視に思えて、当時から好ましく思えなかったが。そもそも私はあまりディズニー作品を映画として良いと思ったことが少ない。

*4:国外から攻めてくる異民族を撃退する原作を選んだ時点で、よほど映画の展開を改変しないかぎり、構造的にナショナリズムをくつがえすことは難しいとも思うが。

*5:違う時代や文化を混ぜたフィクションなためか、良くも悪くも地名も登場していないという。

*6:ここでは中国当局の協力をえるために少数民族の情報を映画スタッフがわたしたり、文化財を撮影のため損傷したりする問題を想定している。その地域での判断を中国当局がおこなったこと自体が、少数民族の主体性をうばっている原理的な問題はもちろんある。