法華狼の日記

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「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという

元は『SAPIO』2016年7月号に掲載された岸建一氏の記事で、「ZAKZAK」や「NEWSポストセブン」に転載されている。
『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク│NEWSポストセブン

「オタク」とは何か。それは、強力な「排除の論理」を持っていることだ。ピンポイントな共通項で結びついたオタクたちにとって、仲間内での互いの批判は御法度だ。オタクは、異論や批判を加える相手を「敵」と見なす。

「オタク」も相互批判するし、もちろん付和雷同もする。おそらく何らかの共通項で結びついた一般人と同じくらいに。
そもそも思想の傾向が似ているということで集団をくくれば、共通項を持たない人々より互いの衝突が少ないのは当然だろう。

政治系、とりわけ「リベラル」を自称する左翼の世界にもオタクたちは存在している。アイドルオタクなどと異なるのは、リベラル左翼系の「オタク」は、自分たちが「オタク」であることに無自覚で、かつ否定的であることだ。

私の見ている範囲では、『帝国の慰安婦』を批判する左翼は「左翼」という立場を引きうけていて、特に「リベラル」という自称を好んでいるようには見えない。
岸氏は最後まで言及していないが、『帝国の慰安婦』が朝日新聞出版から出たように、朴裕河氏を高評価する「リベラル」や「左翼」も少なくない。


こうした「オタク」観はともかく、岸氏は朴裕河氏への批判へ反駁していく。しかしその内容もおそまつなものだ。

 朴氏に寄せられるリベラル左翼からの批判は数知れない。最近では、朴氏の著書に対する批判本まで出版するほどの熱の入れようだ。

たとえば『帝国の慰安婦』を初期に日本へ紹介した浅羽祐樹氏は、おそらく自身へのインターネットの批判に対して「所定の手順」「まとまったかたち」「言論の自由市場」という条件を出し、それがひとつでも欠けていれば相手にされないのは当たり前だと主張していた*1
散発的な批判では受け止めない相手に対しては、批判本を出版するという選択が批判されるいわれはないだろう。もっとも、浅羽教授が批判本に対して紹介者として責任を引きうけようとしているかは知らないが*2

「左」や「右」という立場に依らず、新しい視点で問題を考えようとする朴氏の姿勢は、真摯なものとして十分に評価できるだろう。もちろん批判を加えるのは自由だが、引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応でしかない。自ら考えることはせず、最初から「糾弾する」という答えだけが用意されている。

このくだりには驚かされた。
どれほど妥当な研究であったとしても、「引用や取材の甘さ」があれば批判されるのは当然だ。そうして指摘された問題点に反論し、あるいは修正することで研究は洗練されていく。なのに批判の妥当性を個別に検証せず、無根拠に「糾弾」と反駁してしまうのは、それこそ答えを用意した態度とはいえないか。
しかも『帝国の慰安婦』の引用における誤りは、しばしば「新しい視点」と直結している。たとえば先行研究において低年齢から被害を受けた証拠とされている資料から、慰安所におかれた期間や実際の平均値や中央値を無視して「平均年齢は二五歳」という証拠だと読みとっていた*3

慰安婦の女性を前面に出し、朴氏を名誉毀損で韓国の裁判所に提訴した。主導したのは韓国の元慰安婦「支援団体」だが、日本の「支援団体」と密接に結びついている。

これに乗じる形で、韓国の検察当局が朴氏を名誉毀損で在宅起訴してしまった。

自分たちこそ善と信じる彼らは、自分たちにとって都合の悪い「悪」が弾圧されることに拍手喝采だ。

 それにしても、不思議でならない。これらはリベラル左翼が命を懸けてでも抗う言論弾圧そのものではないのだろうか?

しかし名誉棄損に対して差し止めを訴えることも個人の自由であり、当事者のもつ権利のひとつだろう。
それに韓国の検察が在宅起訴をしたのは元慰安婦刑事告訴を受けてのもの。しかも在宅起訴にいたるまで、元慰安婦と朴氏の話しあいで解決するよう提案していた*4。それを「乗じる」と呼ぶべきだろうか。
また、私個人の観測範囲においては、元慰安婦の心情をくんだうえで在宅起訴というかたちが好ましくないという朴批判派も少なくなかった*5
在宅起訴への抗議声明を出した賛同人を見ても、いわゆる「リベラル」や「左翼」と称される人々ばかりだと感じられる。
賛同人
逆に岸氏の名前は見つからないが、自由や人権は「リベラル左翼」を批判する材料でしかないからか。

3月末には『帝国の慰安婦』をめぐるシンポジウムが東京大で開かれた。朴氏の支持派と反対派に分かれての討論という設定自体にも違和感を覚えた。もはや、そこに本来、当事者であるはずの元慰安婦たちの影は一切感じられない。

慰安婦が告訴すれば「元慰安婦の女性を前面に出し」と主張し、論争の場にいなければ「元慰安婦たちの影は一切感じられない」と主張する。
それでは岸氏の文章で当事者はどこにいるのだろうか。「都合の悪い」ことに目と耳をふさいで無根拠に「悪」と位置づけているのは岸氏自身ではないだろうか。

本の内容を削除するよう裁判所に求めていること自体が異常であるという認識すら一致できなかったことからも、議論の不毛さは推して知るべしだろう。

一般論として、裁判所に求めることが異常なのか、本の内容が異常なのか、どちらとも考えられる。たとえば日本*6でも米国*7でも従軍慰安婦問題を否認しようとする訴訟が起こされているが、岸氏はそれらの動きに対しても「正義オタク」と非難するのだろうか。
そもそも岸氏の主張によると、「ピンポイントな共通項で結びついたオタクたちにとって、仲間内での互いの批判は御法度」ではなかったのか。

慰安婦問題での日韓合意をめぐっても、両国の正義オタクは、非難の大合唱だ。当然のことながら、当事国が100%満足する外交問題の解決などありえない。妥協点を見いだし、少しでも事態を前に進めることが重要だ。

 その点では、百点満点とは言えないとしても、四半世紀にわたって日韓間の楔となっていた問題を前に進めたことは間違いない。「白紙撤回」を求める正義オタクは、実は問題の解決を望んでいないのではないかとすら思える。

ここに来て岸氏の文章から元慰安婦の存在が消えうせる。元慰安婦からも拒絶する意見があるのに、「正義オタク」だけが非難しているかのような主張は、むしろ岸氏こそが当事者を無視していることの証明だ。
もちろん岸氏は外交に妥協が必要だという一般論を主張するだけで、その妥協を飲むべき根拠をまともに示そうとはしない。前に進んだと文学的に無根拠に主張するだけ。河野談話という日本から示した妥協点から、さらに後に退かせたといった検討すらしない。

慰安婦問題で「真の解決を」と正義オタクは言う。「真の革命」「真の戦い」云々。「真の」が付く大義名分には、どうも血なまぐさが付きまとう。彼らは、もしかしたら争い事が好きなのかもしれない。

ここでも岸氏は根拠を出そうとしない。在宅起訴への抗議声明でも肯定的な文脈で「真の解決」という言葉が出てくることを知らないのだろうか。
声明文(JA)

昨年11月 に日本でも刊行された『帝国の慰安婦』には、「従軍慰安婦問題」について一面的な見方を排し、その多様性を示すことで事態の複雑さと背景の奥行きをとら え、真の解決の可能性を探ろうという強いメッセージが込められていたと判断するからです。


結論として、岸氏の主張はまともな根拠が示されておらず、事実の説明についても誤解をまねくような表現ばかり。
岸氏が主張する「オタク」像もぶれていて、批判の対象として都合よくかたちづくられた藁人形としか思えない。
私としては岸氏の引用や取材の甘さは批判するしかないと思うのだが、それも岸氏には「オタクな対応」と拒絶されるのだろうか。

*1:浅羽祐樹@新潟県立大学5年目 on Twitter: "何か言いたいことがあれば、各自、所定の手順にのっとって、まとまったかたちで提示し、言論の自由市場で競い合うのがいい。「所定の手順」「まとまったかたち」「言論の自由市場」のいずれか一つでも満たさない場合はまっとうに相手にされないのは当たり前のことだ。"

*2:朴裕河さんが提示する視点」に対して、「立場や見解の相違からいちど離れて、耳を傾け」るようにうながしたりはしていたが、そのツイートが向けられたアカウントが凍結されているので現在では文脈がよくわからない。浅羽祐樹@新潟県立大学5年目 on Twitter: "脊髄反射せずに、朴裕河さんが提示する視点に、「立場や見解の相違からいちど離れて、耳を傾け」(20分ぶり2回目)てみませんか。 https://t.co/h36yDbzXBx"

*3:『帝国の慰安婦』(朴裕河)でひっかかった点2 - 思いつきのメモ帳

*4:http://www.asahi.com/articles/ASHCM3RWBHCMUHBI011.html「朴教授らによれば、検察は当事者同士の話し合いによる解決を提案。元慰安婦らは話し合いに応じる条件として、?朴教授による謝罪?韓国版の再修正?日本を含む海外版の修正――を要求。10月までに話し合いは不成立に終わった。」

*5:個人ブロガーにすぎない私も、そのひとりではあった韓国政府は朝鮮人慰安婦20万人強制連行説を絶対視しておらず、朴裕河氏の在宅起訴にまつわるNHK報道には疑問がある - 法華狼の日記

*6:朝日新聞を糺す国民会議等、複数の団体が朝日新聞に対して訴訟をおこなっている。

*7:https://gahtjp.org/で、記念碑という表現の撤去を求める訴訟がおこなわれている。