法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『世界まる見え!テレビ特捜部』笑いと驚きで超ノリノリ! まさかの乗り物大連発

各国の税関を見せる恒例コーナーは、密輸などのとりしまりばかりが映された。当初にあった人間模様の面白さや、公権力の抑制の重要性などがうかがえない。
前回に放映されたイギリスへの密入国をこころみる番組を思い起こすと、税関のプロパガンダ色が強く感じられるのも痛い。
『世界まる見え!テレビ特捜部』ハラハラドキドキが満載! ギリギリSP - 法華狼の日記

注意喚起と啓蒙のために作られたドキュメンタリーだそうだが、放映後にオランダの出入国基準が厳しくなる結果になったという。体感不安をあおるばかりで、密入国する側の視点が全くなく、賞賛しがたいつくりだった。


一方、エクアドル絶景鉄道度は映像作品として面白かった。一度は廃線になったが観光のため復活、裕福な客をのせてけわしい線路をつきすすむ。
世界の車窓から 撮影日記ページ

鉄道乗務員の話によると、100年前、エクアドル全土に線路を敷設した際、最後まで苦労した難工事の場所がこの「悪魔の鼻」の部分だったという。固い岩盤を崩す危険なダイナマイト工事で、4000近い人々の命を奪ってしまったことから、その名が付けられたらしい。けれど、そうした苦労によって作られたこのラインは、世界中から観光客を呼ぶほどの絶景の鉄道となった。

急勾配の線路をのぼるため、機関車は線路に滑り止めの砂をまく。ギアを使って登るアプト式は古いため使えない。悪魔の鼻ではスイッチバック式で斜めに往復する。それでも雨で線路がすべってしまい、夜盗から守るためバイクに乗って追随する警護チームが警戒を強める。
さらに廃線の期間が長いため、先導車が先行。窓から観光客が顔を出しても安全なよう、列車の天井に立って枝木を伐りはらう。現地で1600円の価値があるため線路プレートが盗まれたりした問題や、線路につなぎとめられた牛を発見。その先導車が脱線事故を起こすが、観光客の列車を守ったともいえる。
トラブルもふくめて観光客を楽しませる裏側で、協力して悪戦苦闘するスタッフの姿がうつくしかった。


最後に、カナダ最北のグリスフィヨルドという村で、年に一度だけ物品を運ぶ貨物船を紹介。
ほとんどの季節は氷に閉ざされ、3ヶ月だけ海を移動できる夏場でも流氷がいっぱい。村の発電機は55年前に設置されたもので、故障が多くてたびたび停電する。
そんな村が存在するのは先住民だからというわけではなく*1、1950年代の冷戦期に北極圏の領有を主張するためカナダ政府に移住させられたのが発端。8家族は希望すれば元の地域に帰れると約束されたが、カナダ政府はそれを破ったという。
2隻の砕氷船の力を借りながら北極圏へと危険な公開をする貨物船と乗組員。観光のために存在する途中の街。孤独な北の果てで生き生きとした子供たち。新たに届けられた発電機と、ガレージ状の小さいながら立派な校舎……それらは印象深く前向きな光景であったが、そもそも根幹にあるカナダ政府の国策は問われないままドキュメンタリーが終わってしまった。うまく情報が見つけられないが、カナダ政府が補償なりする動きはあるのだろうか?
カナダの先住民族 : アムネスティ日本 AMNESTY

*1:視聴後に検索すると、もともとケベック州に住む先住民だったらしいが、番組内では先住民とは明言されなかったと思う。

『ドラえもん』手足につけるミニ頭/ドラかぐや、月に帰る!?

EDが予告MV的な映像に変更。木村拓哉の短い挨拶なども。


「手足につけるミニ頭」は、のび太が同時に複数のことをしようとして、別々の頭脳で手足を動かす秘密道具をつける。それで片手間で宿題を終えたはずだったが、答えがデタラメと気づき……
藤子不二雄ランドに収録された短編を、2005年以降で初アニメ化。打ち切り後に連載再開した直後くらいに発表されたにしても、平均的な印象と異なる雰囲気のストーリー。原作を読んだ時は思わなかったが、『寄生獣』を連想したりもした。
原作はのび太が楽をしようとして手足を酷使して反乱される、いかにも教訓的なエピソード。「ミニ頭」はしずちゃんのスカートをめくり、電線の上にのぼって小便をもらしてしまう。対して今回のアニメでは、のび太が寝ている夜中にミニ頭が勝手にチューブ入り脳みそを吸いこみ、じわじわと知性を増してのび太にあらがっていく。ドラえもんの思惑を超えてしまうほどに……
のび太が片手間で行動する発端のテレビからして人形が動くホラーで、ドラえもんがミニ頭に歯磨き粉のようなチューブで「脳みそ」を入れるシーンに生理的な気持ち悪さがあり、ミニ頭が暴走していく後半もサスペンスフル。そして脳みそを吸いきって果てしなく知的になった結果、心変わりして全人類に奉仕する存在に逆転したオチも意外でいてSFらしい。わりと展開が単調な原作を、しっかりSFらしい恐怖でもりあげるアレンジがほどこされていて、満足できた。
あと、ミニ頭の声優がひとりひとり異なり、しかもインデックスの井口裕香やキュアマシェリ田村奈央など、アイドル的な女性声優がつとめていることも印象的だった。


「ドラかぐや、月に帰る!?」は2019年の再放送。オリジナルストーリーに当時は感心できなかったが、映像的には手描き作画で着物の模様をきちんと動かしていることに感心。
hokke-ookami.hatenablog.com

人種差別を流布した「ひろしまタイムライン」に「表現の不自由」を見る

原爆投下時の広島にSNSがあったという仮想で、過去を現在に再演するNHKの企画が「ひろしまタイムライン」。
1945ひろしまタイムライン|NHK広島放送局
当時を記録した3人の日記を細分化して編集し、現在の日付にあわせて実際にツイッターへ投下していく。


そして中学一年生の日記にもとづくアカウントが投下したツイートひとつが、民族差別をあおる状況になっている*1


【1945年8月20日

朝鮮人だ!!

大阪駅戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!

一応、内容が人種差別を扇動するものであれ、当時の幼い視点による生の感情を記録したものとして興味深くはある*2
しかし、そもそもツイートが現在の意図で編集されていることに留意はされるべきだろう。


レス読んでると、これが当時の人びとの率直な感情だと思っている人が一定数いるみたいだけど、番組見た限り「今の広島の10代が想像をふくらませ」た部分が5割くらいあるのよね。つまり、2020年8月20日にこれをSNSに流す事が適切なのかという自問は、当然あるべきなのではないか知ら。

事実として、NHK公式サイトで公開されている日記原文とてらしあわせると、重要と思われる印象深い表現も多くが欠落している。
注目したいのが、広島の新聞記者の日記にもとづくアカウントだ。原爆投下直後に見てまわった広島で、軍人と女性が争っている場面をツイートしている。


【1945年8月6日】
すぐそばの路上で男女が言い争っている
将校服の若い軍人と、もんぺ姿の頭から血を流した女だ
「お前たち軍人のやり方がわりいけえ、こういうことになったんじゃ。わしゃあ恨むぞ…子供や主人をどうしてくれるっ!」
「それはアメリカにいうことじゃ。自分らは責任とっていつでも切腹してみせますぞ」
「そうじゃ、腹を切れっ!くやしいーっ!」

これだけでも、当時は選挙権すらない一般人が軍人に責任を問う、印象深い光景ではある。
しかし原文とてらしあわせると、軍人の自己弁護はずっと無責任で、女性の追及はもっと力強い。
「もし75年前にSNSがあったら?」1945年、広島の新聞記者・大佐古一郎さんの日記原文(1945年8月1~7日) | 被爆75年ブログ|NHKブログ

「……とにかく、お前たち軍人のやり方がわりいけえ、こういうことになったんじゃ」
「自分たちは陛下のご命令通りにしてきたまでだ」
「ばかをいうな。警報も出さんで……それがご命令か。この怪我人や町の中で焼けて死による人がわからんのか。兵隊さんや、わしゃあ恨むぞ……。子供や主人をどうしてくれるっ!」
「それはアメリカへいうことじゃ。自分らは責任をとっていつでも切腹してみせますぞ」
「そうじゃ、腹を切れっ!腹を切れっ!くやしいーっ!」

天皇とは責任の不在なり。ここで何が削られているかを見れば、逆説的に「朝鮮人」を残した意味も見えてくる。


ちなみに、新聞記者の日記で原爆投下の前日を読み返すと、多くの一般人より情報を多くえていた立場ゆえの率直な社会批判もおこなっている。

 司令を中心にして雑談の花が咲く。だれもがひたひたと上げ潮のように打ち寄せてくる敵の戦力を身近に感じていながら、敗色濃厚な戦局を口にしない。自衛隊とか義勇隊に繰り込まれているお互いの立場や、憲兵特高警察をいつも意識しているからだ。だいたい日本人は自分の保守を周囲に調和させ、またそれを認めることによって安住の地を得ているようだ。
「ぼくが間違っていたらぼくが腹を切る。君もし誤っていたら君切腹せよ」といって寺内陸相に詰めよった浜田国松や、軍人の政治干与を排撃した斎藤隆夫が政治の中枢にひとりもいなくなったように、いまの世間には進んで信念を問い、また述べる者がいない。それが今のような日本の危局を招いた原因でもある。

こうした認識の違いをタイムラインでてらしあわせて、戦争に動員される社会のありようを立体的に描きだすことが企画の目的だったのかもしれない。
しかし現在のSNSでよくあるように、切りとられた文章の断片が炎上する結果となった。おそらくNHKも予想して新聞記者の文章は削ったのだろうが……

*1:以降もふくめて、保存目的でツイートの原文も引用する。そのさい、ハッシュタグと重複する日付は排した。また、後述の日記は引用範囲に改行がなくて読みづらいので、いくつか追加した。

*2:ただし、公式サイトで公開されている中学1年生の日記原文は短く、ツイートされている「朝鮮人」が実際には書かれていないという指摘もある。

他の資料から引いた可能性はあるし、創作の舞台裏を説明するエントリで書かれているように、日記の筆者本人からくわしい情報を聞いた可能性もある。シュンちゃんツイート(5月1~31日)は こうやって創作しました&日記を書いた新井さん本人からひと言 | 被爆75年ブログ|NHKブログいずれにせよ、今回の8月20日のツイートは原文がまだ公開されていないため断言はできないが。

『【国際共同制作 特集ドラマ】太陽の子』

戦時中の日本は、京都大学の研究室で原子核爆弾を開発しようとしていた。そこで研究する石村修は核燃料をとりだす遠心分離機の開発に精力をかたむける。
しかし研究の道を進んだ兄のかわりに弟の裕之は戦死し、ウランの入手をたのんだ女性は大阪空襲で命を落とし、修は原爆開発にのめりこんでいく……


戦時中の日本核開発が挫折するまでを、1時間20分かけて描いたドラマ。8月15日のゴールデンタイム本放送は録画できず、19日から20日までまたぐ深夜再放送で視聴した。
www.nhk.jp
NHK生え抜き演出家の黒崎博がオリジナル脚本『神の火』を書き、NHKの国際的なシナリオコンペ賞をとおり、国際共同制作にいたった。視点を変えた映画版も作られる予定だという。
焼夷弾の延焼を抑えるため取り壊される冒頭の巨大オープンセットといい、ていねいに再現された研究室といい、8kを意識した映像のクオリティはさすがNHKだとは思った。


全体の印象としては、同じように『NHKスペシャル』で戦時中をドラマ化した『1942年のプレイボール』より、さらに宮崎駿監督の『風立ちぬ』を連想する作品だった。トンボ眼鏡を主人公に選んだことも同じだ。
『1942年のプレイボール』 - 法華狼の日記
研究室で学びあい、目標の回転速度に達する遠心分離機を作ろうと発奮する主人公。それは楽しく美しい青春の一瞬に見える。
しかし原爆で広大な廃墟となった広島を研究室で見に行くが、すさまじい光景*1に比して主人公らの感情はあまり動かず、原爆のもたらす結果に恐れをなしたりはしない。
原爆の開発を止めようとする研究室の仲間にしても、あくまで遅々とした開発にいらだったためであり、より確実性のある兵器を求めていただけ。
最終的に京都が新たな原爆の標的になると思った修は、母にだけ危機をつたえ、しかし確率が低いからと人々の惨禍は看過しようとし、被害を高見で観察するよう準備する……ある種類の専門家が現在でも見せる態度を思わせる。


もちろん主人公のふるまいに母はあきれるし、何より歴史の流れに裏切られていく。
陶工が染付のため持っていたウランをゆずってもらっていたが*2、根本的に不足をおぎなうにはいたらない。そもそも核燃料をとりだす回転速度に達する遠心分離機がつくれない。その間に米国は原爆を開発して実験して日本へ投下する。
けして日本は原爆開発を断念したわけでもなければ、加害をおこないたくなかったわけでもない。ただ能力がなかっただけだ。天皇が開発を断念させた伝説などなりたつはずがない。

世界唯一の被爆国として日本が被害をうったえている技術を、敗北を受けいれる瞬間まで日本も手段として追いもとめていた。それをあえて終戦記念日につきつけたことは印象深い。

*1:VFX担当は映画『関ケ原』等のオダイッセイ。『関ヶ原』 - 法華狼の日記 後述の原爆投下後の広島や、橋上の路面電車などをそつなく再現していた。

*2:戦争のためにウランが外国から輸入できなくなったつらさが語られるのは、戦時中を描いた物語で珍しい視点で良かった。いま焼いているのが骨壺ばかりで、結果的に染付する必要がないと語っている皮肉も印象的だ。

『劇場版 艦これ』

島が点在する広い海原で、深海棲艦という怪物と戦う少女たちがいた。無骨な兵装を身体にとりつけ、軍艦のように水上を滑って戦う彼女らは、艦娘と呼ばれた。
ある日、少し前の戦いで沈んだ艦娘が記憶を失って浮上する。前後して、兵装を壊す異変が海に広がっていく。真実を知るため、艦娘は異変の中心に向かうが……


大人気の軍艦擬人化ブラウザゲームを原作に、2015年はじめに放映されたTVアニメ*1の後日譚として、2016年おわりに公開された完全新作アニメ。

「劇場版 艦これ」Blu-ray限定仕様

「劇場版 艦これ」Blu-ray限定仕様

  • 発売日: 2017/08/30
  • メディア: Blu-ray

草川啓造監督*2をはじめメインスタッフは続投しつつ*3、TV版シリーズ構成だった花田十輝と共同で原作ゲームディレクターの田中謙介が脚本をつとめた。


誤解をおそれずにいえば、予想したよりも感心できる作品だった。
商業的にヒットしつつ原作ファンからも評価がかんばしくなかったTV版と比べて、全体を向上させて不満や疑問にこたえられるだけの劇場版と感じられた。
いっそTV版を見ないまま劇場版だけ鑑賞しても良いだろう。記憶をよすがに虚しい戦いをつづける若者たちを描いた物語なので、ふまえるべき人間関係や作品設定は少なくてすむし、歴史知識も義務教育の範囲で問題ない。


まず映像について、予算や時間に余裕があるから豪華になったというだけでなく、TV版で批判されがちだった部分が細かく改善されている。
特に冒頭の戦闘が、TV版を上書きするように全体の印象を決定づけている。娯楽アニメでは珍しくBGMをほとんど使わない音響演出で、薄暗い海上での戦いが延々とつづく。3DCGでうねる海面を、スケートのような動作で艦娘が滑っていく。
TV版で不評だったひとつが、推進方法がよくわからない艦娘の設定だった。原作の人気で期待が高かった反動もあるが、ゲームキャラクターが棒立ちで海面を滑る不自然さは予告PVの段階で不安視されていた。
水面を立って滑るように移動する描写は、きちんと演出すれば魅力的になるはず - 法華狼の日記

訓練をつづける第2話で、どのように水面に立って移動できているかを視聴者へ感覚的につたえる描写はできたはず。せっかく水上移動が下手だという個性を主人公が持っていたのだから。その回想で、どのように初めて水面に立ったかを思い出しても良い。

上記のような視聴者に実感させる工夫をしないままTV版は終わった。制作リソースが不足していくにつれ、静止したキャラクターがスライドするだけの省力表現も目立っていった。
対して劇場版は、スケートのような膝の動きでキャラクターの移動を実感させ、手書きアニメと3DCGの海面で異化効果を生みだし、海中から足裏を見るカットで透明な海らしさを表現した。
劇場版も後半になると省力してスライドのような推進描写になっていくが、観客が冒頭を基準に理想の光景を想像でおぎなえる。TV版も第1話やOPでそうした印象づけがあれば良かった*4
また、異変の前兆演出でもあろう薄暗い戦闘は、照明で敵を見つける駆け引きにつながる。どちらが先に相手を見つけるかという争いが、後半の一大決戦で応用されていく。視覚的にも、何もない海上でも照明のとどく範囲で広さ遠さが表現され、数多いキャラクターで注目すべきところを指し示す。
艦娘や深海棲艦が戦闘で傷つき血を流していく姿も、本編がふみこむシリアスさの線引きとなった。


TV版は小規模会社ディオメディアが同時期に4作品もTVアニメを制作していて、主力をつかっているだろう『艦これ』も厳しさを感じたものだが、さすがに劇場版は全体の作画を整えている。
4人の絵コンテ*5や2人だけの演出など、クレジットされる人数が近年のアニメ映画としては少ないことも、少人数でていねいに作っただろうことをうかがわせる。
デフォルメ演出をほとんど使わず戦闘と日常を描いているから、その共同体の外部が空白であっても意識的とわかりやすく、世界観が崩れない。


物語は、意外にもジョージ・オーウェルが描くディストピア作品を連想した。
もともとTV版からして、指揮する提督が姿をあらわさず、戦う理由も判然としない不条理ぶりだった。しかしそれが何を意図したものか理解できず、設定の欠落としか思えなかった。
アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』の最終回まで見た雑感を綴る! - 法華狼の日記

何のために戦うのかわからない、どのような背景で戦っているのかわからない、敵の正体もわからない。

劇場版は答えを安易に出さず、共同体の中枢で状況の虚しさを知っている年長組と*6、何も知らず懸命に生きる年少組の温度差をつくり、放映時に求めたように主人公を不条理へ直面させた。

守る対象の「人間」を出せないなら、守るべきものがないのに戦わされる不自然さをドラマの基盤にすればいい。

上層部へ疑念をいだきながら現場で戦うアニメは少なくない。残された日誌で命令を遂行する展開を中盤にやるなら、いっそ物語の始めから終りまで日誌の命令で主人公が動き、本当に提督など存在するのかと悩ませたっていい。押井守か。

TV版では最終的に実在するかのように位置づけられた提督だが、劇場版ではやはり主人公が記憶するようには存在しないことが年長組に示唆される。
ただ艦娘と深海棲艦が勢力を競うだけの何も守らない戦い。それは王将や玉将がいない将棋のようなもので、わかりやすく詰みで終わらせることができない。明かされた設定にもとづく勝利条件は示されるが、だからこそ達成の遠さが理解できる。


もちろんTV版での思わせぶりな描写に答えがなかった問題などは、そもそも劇場版に回答をまわした結果ではあるだろう。しかし期待以上の回答ではあった。
モチーフにした太平洋戦争の後半と同じく、終わりが見えないまま、戦いのための戦いに未成年まで動員される*7。その愚かしさを描きつつ、たどりついた真実によって外敵を嫌悪し対立する構図は消えた。
あばかれた設定は下記エントリとコメント欄で紹介した考察のひとつに近い。それも単純な逆転とは違って、艦娘と深海棲艦を表裏一体な存在と位置づけていた。
『艦隊これくしょん』の敵「深海棲艦」が怨霊という説にまつわる思いつき - 法華狼の日記
一応は艦娘を主人公側に位置づけつつも、深海棲艦とは対等な鏡像関係にあり、そう映像でも演出される。
異変の中心へ向かう一大決戦で主人公は敵と向きあい、自身の記憶と感情に向きあうドラマとして物語は娯楽的に閉じられた。それでいて、世界の不条理さはむしろ強固になった。
現実の戦争を娯楽化したことをもテーマに組みこみつつ、うまく史実の重みを回避。それが同時に主人公個人にドラマを集中させて、娯楽として観客の期待にこたえる。


念のため、劇場版への好印象は、TV版への落胆の反動かもしれない。単体で評価すれば、より巧妙なかたちで戦争をモチーフにした娯楽作品も少なくない。
しかし根底から作りなおすのではなく延長線で立てなおしたことは誠実と感じられたし、注目をあびる人気作品でうまく境界線をわたりきったとは思えた。

*1:スタッフから制作会社まで全て変えた2作目の制作が2019年に発表されているが、いまだ続報が出てこない。

*2:制作会社ディオメディア所属の演出家で、あまり作りこまない作風が良くも悪くも特色。アニメーターの自由度を許容するので気軽な楽しさがあるが、今作のような原作ファンや題材のため評価基準が厳しくなる作品には向いていないとTV版では感じられた。

*3:玉木慎吾が初めて助監督としてクレジット。劇場版につながる戦死をシリアスに描いたTV版3話で、コンテ演出から作画監督原画までつとめていた。もともと仕事の速さと上手さの両立で有名なアニメーターだ。同じ草川監督ディオメディア制作の『悪魔のリドル』で、サイボーグ少女が活躍する第10話の演出と作画を担当していたことが印象深い。 『悪魔のリドル』雑多な感想 - 法華狼の日記

*4:1話冒頭のベテランによる戦闘が直立移動なのが痛い。TV版でもカットによってはスケート的な動きも見られるが、主に水面でバランスのとれない稚拙さに位置づけられている。

*5:監督と助監督の他、メカ作画で知られつつ演出作品は美少女アクションが多い吉田徹と、宮澤努が担当。

*6:最も高身長で強そうな大和だけ、深い情報を知らないような態度で主人公と対等に会話する、おっとりした存在なのがアクセントになっていて良かった。

*7:念のため、あくまで娯楽として成立するくらいの柔らかい表現にとどまる。艦娘が自他の幼さに悩む姿もない。残念ながらというべきか、良くも悪くも前提となる歴史も描かれない。艦娘の元になった兵器が戦端を開いた側とは位置づけなかった。たとえば深海棲艦の心情に自罰的な描写があれば、そのあたりまで深められたように思うが、さすがにそれは期待しすぎか。