雑居ビルが火災事件を起こし、地域社会にさまざまな噂がながれる。そしてシングルマザーの麦野沙織は息子が不思議な考えをもっていることに気づき、担任教師による虐待を疑う。学校を追求したところ、あまりにも無責任な態度に麦野は直面し、それでも必死であらがう。しかし担任教師はたしかに過ちをおかしていたが、その視点では事件はまったく別のかたちをしていた……
是枝裕和監督による2023年の日本映画。カンヌ国際映画祭で脚本賞だけでなく、とある別の賞を受けたが、その際の制作者の反応が議論をまきおこした。
坂元裕二脚本作品は特撮がらみのTVドラマ『西遊記』くらいしか見たことがなく、映画の周辺情報もある時点から遮断していたため、脚本家がどれくらい作品に貢献しているかは想像もつかなかった。
まず、けっこうVFXを活用したディザスター描写が予想外。鉄道具*1の大澤克俊が参加しているとは知っていたが、他のセットもかなり手間をかけている。是枝監督が国内外で評価を高めつづけ、邦画全体の興収も上向いているおかげだろうか。
ちゃんと『羅生門』プロットで異なる視点で世界が変わるよう面白くしているし、一幕一幕がそれぞれの視点でのサスペンスとして謎めいて緊張感がある。
そして公開時に批判がされた、とある要素を宣伝などで隠している問題については、隠す判断も理解できるものではあった。
映画『怪物』クィアめぐる批判と是枝裕和監督の応答 3時間半の対話:朝日新聞
たしかに謎の解明において重要な情報であるし、物語の中心となる人物のドラマの重要な構成要素ではあるのだが、だからこそ謎解きミステリとしては可能な限り観客から隠したいという意図は理解できた。問題があるとすれば、当事者にとって大切な要素でありながら過去のさまざまな物語と同じように小道具として非当事者が利用したことにあり、ネタバレを恐れて要素を隠した問題は小道具にしたことの余波だ。そもそもタイトルからして抽象的で、この映画が宣伝などで隠している社会問題の要素は多岐にわたる。
くわえて、その要素は映画において予想よりは重要ではなく、映画を構成するさまざまな社会的な分断と結合のひとつにとどまっている。たしかに一幕ずつの底流として重要ではあるが、一幕目も二幕目も学校という組織かつ社会の問題が中核なので、くだんの要素を意識しなくてもサスペンスとして成立している。そして祝祭的な結末を見れば、抑圧からの解放を当事者にも追体験してもらえる作品だともいえるのではないか。
むしろ私にとっては、件の要素の警告が足りないという批判を見かけてから意識的に作品の情報を遮断した結果として、一幕目の視点人物がシングルマザーで直面する社会問題の方向性も予想外で、そこから物語が断ち切られるように二幕目が始まることも予想外だった。結果として驚きに満ちた展開を印象深く鑑賞できたわけで、無責任な観客のひとりとしては情報を隠した制作者を批判しづらい。この立場から逆にいえば、性的少数者がかかわる作品ということを明かしつつ他の情報をほとんど隠せば同じような驚きを演出できたかもしれない、とも今からでは考えられるが。
*1:小道具や大道具といった言葉にあわせて、それらでは難しい撮影用の金属加工品を一手にひきうける職種として大澤が考案したらしい。それを説明するインタビュー集を先に読んで作品に参加していることは知っていた。

