田村えり子は、芸能プロ社長の父と、元人気歌手の母のもとで元気に育っていた。しかし一大イベントに向けて準備している時、両親が事故にあう。父の死とともに芸能プロは伯父に乗っとられ、父が手塩にかけていた女性歌手の朝霧麗も奪われた。しかし田村えり子はアイドルとして少しずつ羽ばたいていく……
リアルアイドル田村英里子と連動する企画で、1989年に1年間にわたって放映されたTVアニメ。アミノテツローにとって初の本格的な監督作品になる*1。
ビックウェストによる企画当初の主人公はフランス人と日本人のハーフという設定だったが、実在アイドルとタイアップする企画となったために日本人設定に。番組タイトルから主人公名まで変更された。
山内則康がキャラクターデザインだが、サブデザインとしてとみながまりなども入っている。むしろ当初は脚本家チームぶらざぁのっぽの発注によってスタジオライブのチームいんどり小屋がデザインをかためていって、最終的に一員の山内がメインになったという順序らしい。作品にあわせたのか只野和子っぽい瞳の大きい絵柄で、後にLD化した時のジャケット絵は『Aika』ごろの瞳の小さな艶やかな作画、DVD-BOXは再び瞳を大きくしつつ『ストラトス・フォー』に似た簡素な絵柄。
いかにも葦プロ作品らしく、立ちあげの作画は当時で考えても不安定で、メインキャラクターにも頭髪にもハイライトどころか影すらついていないカットが多い。しかし初期からもライブシーンは影を入れているし、アイドル本人のビデオを参照したというふりつけも当時のアイドルアニメとしては出色だろう。
さらに重要エピソードの第8話で山内が作監に入り、直後の第9話で関野昌弘が作監に入って美麗な作画を提供してからは安定して見どころが出てくる。このころから作品自体の人気でスタッフが集まったのか、井上栄作や植田洋一、吉松孝博や木村貴宏といった後に活躍するアニメーターが原画として次々にクレジットされるように。第14話の関野昌弘作監は主人公のアップショットで色トレスの唇にハイライトまで入っているし、複数のモブシーンでちゃんとモブを異なるデザインで動かしているところもすごい。原画に入っている満腹亭という名字の偽名3名も誰だろうか。千羽由利子が初めて原画としてクレジットされた第31話も、煽った顔の微妙な傾きの変化や、TVアニメとしては描きこまれた街中背景動画など見どころ多し。第24話演出等の米谷良和は米谷良知名義だった時期の米たにヨシトモの誤記だろうか?
ただ途中からの作画の良さは、当時は珍しく放送直後に全話ビデオソフト化するため手なおしが入ったのかもしれない。
本編は、大映ドラマのように大げさなナレーションは有名だが、いちいち曜日や場所をテロップで説明するところも古い実写ドラマっぽい。
内容も大げさで、芸能経験もなく幼い中学生とはいえ数話ごとに電話で騙される主人公は頭が悪いというか、作り手の工夫が足りないというか。黒幕も自分のもとをはなれた主人公を追い落とそうとするあまり自身の売れっ子のライブで事故を起こそうとする。そんな考えなしの行動による危機展開がつづいて説得力はないが、しかし一話ごとに主人公を追いつめる危機が発生して先を気にさせるTV番組としては成立している。
主人公の父に見いだされた一歳上のライバルは当初から主人公を甘いと考えながら敵視して、軽薄に見えて主人公を助ける男性歌手との三角関係になるかと思いきや、第11話の共演で早々にツンデレ化。その後もしばらく距離をとってツンツンがつづくが、えり子の反応のわりにデレが感じられる。DVD-BOX2のジャケットも納得の身長差百合カップル状態。
個別回では第15話が目を引いた。サブタイトルの「ア・カペラ」で何をやるか予測させるが、予想以上にドサまわりが泥臭く、主人公にふりかかる苦難が重い。それでいてゲストキャラクターの地方タレントが、仕事中にずっと酒を飲むようないきづまった中年男のようでいて、舞台に立つプロフェッショナルとして主人公を導く逆転が話として面白い。
第25話も、直後の決裂の前ぶりとはいえ、百合度がいったんピークに達するCM撮影が良い。エピソード内でいったん亀裂が入って修復しなおすことで短編としてのまとまりがある。
第33話は一言でいうと茶番サバイバル。『真夜中ぱんチ』*2の同種エピソードの先行例というか、源流のひとつなのかもしれない。第38話で明らかになる主人公の叔父と主人公のライバルの関係もそうだが、真相はわりと見えすいているが……
第39話で主人公が新人賞を獲得して第一部が終わるが、直前により大きなイベントでライバルが勝利し、主人公の獲得後に流れるのもライバルの歌なので、一方的な勝利ではない。主人公が新人賞を争った相手も、歌うために突飛な行動もためらわないが芸能には賞の発表直前に飽きた超然としたキャラクターなので、もともと勝敗とは別の領域にいる。予定としては途中から歌うことに目ざめるキャラクターだったが、監督が変更したという。熱気バサラのダウナーな原型と感じさせる。
3クール目からの第二部は一話完結展開がつづく。キャラクターの決着をつけるためと、本筋でつかわなかった歌をつかうための消化月間らしく、良くも悪くも平凡なTVアニメになった。次々に新曲が出てきて良好な作画で描写されるのでアイドルアニメとしては充実しているが。
そして主人公が失踪する第三部は今見てもすごい。最終一話前の主人公の台詞はサブタイトルの読み上げだけ*3という挑戦ぶり。つづく最終回の宗教的な荘厳さと危うさは後のアミノ作品の原型のよう。群集は止め絵中心だが、さまざまなメインキャラクターやゲストキャラクターが一員として参加することで、後の『BLUE SEED』*4よりも祝祭的な表現として成功していた。


