法華狼の日記

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『相棒 Season20』元日SPの脚本では存在しなかったデモ描写のヘボさについて

『相棒 season20』第11話 二人 - 法華狼の日記

分断された弱者が目先の利益をもとめて個別にいろいろなものを失った物語において、唐突に登場したデモ隊が社会背景の伏線的な説明をしただけでしかなく、会社ではなく特命係にシュプレヒコールをあげただけで再登場すらしないことは引っかかる……これには制作現場に問題があったらしいと明かされたが。

上記の引っかかりについて、脚本家がブログでもともとの描写は平社員の会話で共感をこめて説明する描写だったと明かして、注目を集めている。
相棒20元日SPについて(視聴を終えた方々へ) | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

鉄道会社の子会社であるデイリーハピネス本社で、プラカードを掲げた人々に取り囲まれるというシーンは脚本では存在しませんでした。

あの場面は、デイリーハピネス本社の男性平社員二名が、駅売店の店員さんたちが裁判に訴えた経緯を、思いを込めて語るシーンでした。

同回は全体的に演出が過剰気味で、老人を診察した医師がキャスター付きの椅子に座ったまますべる場面なども、いかにも受けねらいに感じた。デモ隊の芝居がかった女性の演技も、固い話題を少しでも視聴者が笑えるようにという意図ではあるのかもしれない。
しかし貧しい少年と息子の友情をひきさこうとする母親なども記号的な悪人ではあったが、ドラマをとおして考えをあらためる結末になっていた。犯罪者ですら魔がさした底辺の男たちにはフォローがあった。比べて戯画化されたデモ隊だけはフォローがなく浮いたまま終わった。
脚本段階に存在しないキャラクターを後づけするにしても、自己責任思想への抵抗を杉下が語るクライマックス前後でデモ風景をインサートしたりすれば、少しは印象が変わったのではないだろうか。


予算をおさえられる脚本を、わざわざ予算をつかう方向に改変したことも疑問を増す。
映像としてSP回らしい派手な絵を演出したかったのかもしれないが、デモの人数が少なく画面が安っぽくなっていて逆効果だった。
TVerGyaO!の無料配信で簡単に確認できるが*1、俯瞰のフレーム内に全員がおさまっていて広がりを感じさせない。
相棒 season20 | テレビドラマ | 無料動画GYAO!

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群衆がとりかこんだ絵にしたいのなら2倍以上のエキストラはほしい。新型コロナ禍で人数が制限されているのかもしれないが、その規模でハチマキやプラカードを全員が用意していることが違和感を増す。
最初からこの人数しかつかえないとわかっていたなら、トラメガも用意せず簡単なノボリを立てるくらいで、チラシくばりだけする描写でも良かったのではないか。


念のため、このドラマが常に社会運動のたぐいを戯画化しているわけではない。
同じシーズンでほんの数話前、水質汚染をうたがって自主検査する住民団体は参加者の個性を描きつつ全体的には肯定していたし*2学生運動内の性暴力を題材にした同時期のエピソードも運動そのものは戯画化をさけていた*3
ただ、どちらにしても描写されるのは小集団の運動であり、群衆の運動を説得力あるかたちで描くだけの演出や技術や資源が不足しているのかもしれない、ということも感じた。不足をフォローできる経験を現場がつんでいれば、また違ったのかもしれないが。
別にデモを批判的に描写してはいけないということはない。たとえば市民運動が力強い韓国では映画でよく描写されるが、主人公はしばしばデモを嫌悪するし、時にはデモが見当違いだったという作品もあるが、行動を揶揄することはまずない。
クライムサスペンスやアクションホラーじゃない、ポジティブになれる韓国映画の5作品 - 法華狼の日記

捏造の発覚前までは、ノーベル賞の可能性も語られていた医療技術。そのため主人公側を非難するナショナリスティックな蝋燭デモがまきおこったりする。
しかしデモを単純に衆愚として描いたりはしない。多くの参加者は愚かだったとしても、先端技術に期待をかけずにいられない存在を印象づけ、捏造の罪深さを実感させる。

さらに予算の問題があるにしても、群衆の動きを説得力をもって描けているかで映像作品としての違いも出てくる。エキストラを集めてすみずみまで自然に演技させるデモはそれだけで見ごたえがある。
ドラマだけでなく映画でも、デモを一般市民のとれる表現手段のひとつとして率直に描けた日本のフィクションがどれほどあるだろうか。

*1:開始33分ごろから36分ごろまで。

*2:hokke-ookami.hatenablog.com

*3:むしろ当時の表現をとおした運動の政治性が漂白されていることが気になった。 hokke-ookami.hatenablog.com