法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『バリバラ』ドラマ カフェであえたら

 Eテレ障碍者バリアフリーバラエティ番組の特別ドラマ。自動車で道に迷った母娘がにぎやかなカフェにたどりついて小さな変化をする物語を、通常の30分枠で描く。
ドラマ カフェであえたら - バリバラ - NHK
 2016年に初放送されて先週に再放送もされたドラマ3作目「アタシ・イン・ワンダーランド」の後日談的なつくり。実在する障碍者アート空間のやまなみ工房は作品提供にまわり、架空のカフェでバリアをこえて自己表現する人々を見せていく。
『バリバラドラマ第3弾 アタシ・イン・ワンダーランド』 - 法華狼の日記
 残念ながら、純粋なドラマとしてもバラエティの企画としても感心できなかった。2016年に登場した人々の元気な姿を確認する同窓会的な面白味がないではなかったが、現実と虚構がくみあわさりながら新しさを感じさせるバリバラドラマならではの面白味はうすれている。


 さまざまな作品や人物と出会っていくだけの構成は単調で、物語のしかけもうまくない。新型コロナ禍らしく母親が不織布マスクをしていることは伏線だろうとすぐにわかるし、おおぜいの客が密集しているカフェで他に誰もマスクをしていないため露骨すぎる。
 母親の俳優について知識がなくても番組の枠組みからして容貌を隠していると予想できる。せめてカフェやライブでも不織布マスクをつけている人々も多くいて、食事などする時のみ外すが、母親だけは何も食べようとしない……といった描写にできなかったか。
 マスクをはずして素顔をさらす変化をそのまま賞揚して終わることも、新型コロナ禍がつづいてインフルエンザも流行している現状にそぐわない。もちろん障碍は個性であって自己否定する必要などないというメッセージは理解できる。しかし心身や生活環境において病気に弱い立場におかれている人々を、感染症にかかるリスクを上げてまで顔を見せることにこだわるのは、出演者の顔を映したいTV関係者の利己主義が背景にあるのではないかという疑問がぬぐえない。


 この番組の過去のドラマは、ちまたにあふれている障碍者のドラマに足りない部分、未開拓な部分に挑戦することで、たとえ稚拙な部分があったとしても固有の良さが存在していた。
 しかしすでにNHKの一般ドラマ枠でも『パーセント』や『虎に翼』のような当事者を起用して特別視せず物語にくみこんだ作品が生まれてきている。そうした時代の変化のなかで障碍者のドラマをつくるなら、この番組でどうしてもやりたいという情熱や意図がほしい。
 たとえば障碍者だけが登場しながら、いっさい障碍にふれることのない物語を展開するようなドラマはどうだろう。チェーホフの銃をマイノリティに当てはめるよくある誤謬を、正面から否定するドラマだ。まったく言及しないのではコンセプトがつたわりにくいなら、「アタシ・イン・ワンダーランド」の翌週に放送されたメイキングのようにドラマの枠外で意図を語ってもいい。
『バリバラ×やまなみ工房 ドラマ・アフタートーク』 - 法華狼の日記
 どうしてもドラマで完結するように構成したいなら、謎の事件が発生して名探偵が推理する古典的なミステリドラマの枠組みでやるのはどうだろう。名探偵は登場人物の障碍の特徴をくみこんだ推理をするが外れて、障碍者の障碍とはいっさい関係のない真相が明らかになる……といった二重構造にすればコンセプトをつたえられるのではないか。そして登場人物のすべて、被害者も容疑者も探偵も助手も障碍者にすれば、障碍者は無垢な天使ではなく良さも悪さもある普通の人間だとつたえられるかもしれない。