法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『私ときどきレッサーパンダ』

 2002年の米国。中国系移民の少女は母とともに観光客を相手にしながら、はみだしものの友人たちと前向きに日々を楽しんでいた。しかし思春期の妄想が母に知られてしまい、かんちがいから心理的に居場所をなくしてしまう。状況の変化を望んだ少女が次の朝に目ざめると、巨大なレッサーパンダになっていた……


 ディズニーピクサーによる2022年の3DCG映画。過剰な身体接触が問題視されたジョン・ラセターピクサーを去った後、監督脚本のドミー・シーをはじめ女性があつまってつくった私小説的な作品。

 しもぶくれの顔に一本一本くっきり描画された歯で、まるで『となりのトトロ』のようなキャラクターデザインだなと思いながら視聴した。
 感想を書いている現在は、はみだしものの少女たちが個性を活用して居場所をつくっていく物語として、『夜のクラゲは泳げない』に近いところがあるとも思っている。
『夜のクラゲは泳げない』雑多な感想 - 法華狼の日記


 さて思春期青春映画として見ると、導入の展開が良い意味であまりに痛い。いわゆる生モノ夢イラストを母親が見てしまい、事実だと思いこんだあげく、相手の青年のところに怒鳴りこんで周囲にすべてを知らせてしまう。こんな地獄のようなシチュエーションをよく思いついたものだ。ここまで痛い描写があるなら逃避のように変身する展開があってもドラマ的な説得力は充分ある。
 作中で初潮と誤認されるように、レッサーパンダへの変身は第二次性徴のメタファーだろう。その後の展開を見ても初潮とはちがって子供を産むこととは関連しないが、さまざまな心身の変化は起きている。誇張されたメタファーのおかげで過干渉する親というドラマの基盤に説得力も出てくる。
 過干渉が正当と観客に解釈されないよう、主人公の暴走を静めるイメージは両親ではなく友人。そしてリアルの友人たちは変身を活用する方向で主人公を助けていく。母から距離ができて友人をたよって変身能力を活用して商売をはじめるあたりは『ドラえもん』の同種エピソードのよう。失敗こみで試行錯誤の風景が楽しい。
 そうして変化を抑圧してきた親族の歴史の先に、折りあいをつけることを選んで自身をありのまま愛する主人公という結論は、新たな社会によって障害が障碍ではなくなることのメタファーのようでもある。母親は若いころにつけていた眼鏡を今はもうつけていないが、主人公は物語の結末でも眼鏡をかけつづけている。


 念のため、最終的に母の愛は真実だったとわかるし親類も全力で献身するわけだが*1、それでも母が自分と同じような苦しみを過去に体験していたことを知って同調ではなく別離を選び、結末では家族として再生しつつも少し距離をとる。結論が現代的で見やすかった。
 またラセター時代のピクサー共通の欠点と感じていたメインテーマの課題とクライマックスの敵の不一致も、この作品での主人公は母親の葛藤を知りつつ暴走には抵抗するアクションが展開されてメインテーマがクライマックスと合致している。
 主人公と友人たちがどうしても見たがる少年アイドルグループ4☆TOWNも、あくまで目標を設定するためのK-POP風味のマクガフィンかと思いきや、信じられないほどヒロイックな行動をとって、人気者となる説得力があった。


 ただし娯楽として気軽に楽しむには難があるかもしれない。主人公たちは終始ポップにふるまうが、変身時に暴れると自分自身を傷つけるばかりで、冷静になっても周囲や親から隠れることが優先されてカタルシスが少ない。予想していなかったクライマックスの怪獣映画的シチュエーションは面白くなりそうだったが、短くすまされて満足とはいえない。そもそも異なる文化背景をもつ属性を切り売りするように見世物にすることは映画全体をとおして変わっていない。
 とはいえ、希少さもふくめて見どころのある良い映画だとは思えた。誤解をおそれずにいえばジャンプ+読切の良作のようであり、それがディズニーピクサーの大作3DCG映画として公開されたことに価値がある。もっと小規模にしたほうが需要にあう企画だろうとも思ったが、その意味では新型コロナ禍のため配信での公開になったことは結果として良かったのかもしれない。。

*1:呪いを封じるアイテムを壊していく場面がヒーローの変身のようで、不可逆な文脈も覚悟を感じさせてかっこいい。