法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

歴史認識論争についての記述を読むかぎり、DavitRice氏の記憶力や要約力は信用しづらいし、誠実な対応をする信頼ももちづらい

hokke-ookami.hatenablog.com
上記エントリと関連あるようなないような話。


日刊ゲンダイなどに寄稿しているid:DavitRice氏の下記エントリで私が言及されていた。
davitrice.hatenadiary.jp
応答を求める意見が第三者からあったので*1、「北村紗衣」氏の誤記などをコメント欄で指摘した。
しかし返答や反論のコメントがないのはいいとして、簡単な修正すらないまま新しいブログエントリが上げられている。


もちろん、指摘を黙殺することも個人の自由ではある。意見が長文になるほど反応が難しくなることも理解するし、単純に読みやすさを損ねてしまう問題もある。
しかし今後も応答が期待できないと思わざるをえないので、別エントリに対する歴史認識についてのコメントのみ、記録をかねて下記に転載しておく*2


ツイート*3などでDavitRice氏自身が関連づけている1年前のエントリを読んで、DavitRice氏の認識と発言にまったく信頼がおけなくなった。
ポストモダンの右と左 - 道徳的動物日記

ひと昔前のネット論壇……というかはてな論壇では「歴史修正主義」をめぐる議論が盛んに行われていた。

 それも、単純な右派と左派の対立ではなく、歴史修正主義を肯定/容認する"わかっていない"ポストモダン相対主義者と、それを批判する"ただしい"批判理論家の対立が主であった(というか、大学にポストを得ていたり主流メディアで発表する機会のある前者に対して、ネットが主な活動の場である"はてサ"がブログなどで批判する、という構図であったような記憶もある)。

当時に批判されていた「ポストモダン」は、主に東浩紀氏の南京事件に対するふるまいだ。そこで東氏が批判されていたのは、あらゆる歴史認識を懐疑したためではなく、選択的に凡庸に懐疑していたがためだ。
私が過去に東氏を批判したエントリでも、ホロコースト否認論なども同じように懐疑するなら相対主義として一貫性があるが、東氏はそうではないという主張が確認できないか。
ポストモダニズム系リベラルの観点から東浩紀氏を全面的に擁護する - 法華狼の日記

東氏がポストモダニズム系リベラルであろうとするなら、むしろホロコースト否定派に言説の場を与えるよう主張するべきであった。

現在までくりかえし批判しているApeman氏のエントリでも、「強い実感」を根拠にホロコーストを懐疑しなかったような態度が、東京大空襲否認論の不在になぞらえて批判されているわけである。
ポモ系リベラルは気楽な稼業と来たもんだ〜♪ - Apeman’s diary

アウシュヴィッツの収容所と、大虐殺事件から7年半ばかり日本軍が実質的に支配していた南京を同列に並べ、両所への訪問体験を語るナイーヴさ(ましてビルケナウと下関を比較するならともかく、80年代半ばにつくられたに過ぎない紀念館と比較するセンス!)。

日本「政府の余裕のなさ、というかある種の怠慢」をはっきりと見てとることができるから。にもかかわらず東京大空襲の実在を疑う人間は(ほとんど)いないのはなぜなのか? この問いを欠いている点は致命的だ。

たとえば広島の原爆投下をも東氏が懐疑していたなら、それは相対主義として一貫性があったかもしれない。私も広島の原爆ドームに行きながら、その遺構の見学が原爆の惨禍の直接的な証拠にはならないだろうと感じている。なんなら藤子F短編『どことなくなんとなく』的な世界への懐疑すら私は感覚的にもっている。もちろんその感覚を根拠に生活しているわけではないが。
いずれにせよ、東氏が批判されたのは相対主義を徹底していたためではなく、相対主義を徹底しなかったがためだ。徹底した不可知論のひとつとして南京事件の懐疑を表明したなら、歴史修正主義的な言説とは別問題と理解されて、強く批判されることはなかっただろう。


そして上記エントリでDavitRice氏が下記のように要約した「はてなサヨク」の主張は、実例がひとつも示されていない。一応、DavitRice氏自身がかつてそうだったという説明はされているが、他人のそれは存在しない。

「悪どいものがやっていることだから、なにかしらの悪どい意図や悪どい目標が隠されているはずだ」

本題に入る前に、私は印象論であればそうと明記して否定的主張でも弱くすることにしているし、不特定集団でも批判する時はいくつか引用するか、特定個人への非難をさける時でもリンクはするようにしている。
念のため、「はてなサヨク」と呼ばれる全ての人がきちんと常に自説の根拠を提示しているわけではない。しかし「はてなサヨク」を「反面教師」としたDavitRice氏が、それゆえ主張の根拠を提示する手間を省くようになったのだとしたら、あまりに愚昧で怠惰なふるまいだと思う。「反面教師」にするのなら、「はてなサヨク」がグウの音もいえないくらいしっかり根拠立てて自説を主張する方向にできないか?
DavitRice氏が自説の根拠をもちつつ省略した可能性を念頭におくならば、上記の私の要求は勇み足になるかもしれない。しかしながら、上記と同じようにDavitRice氏が誤った記憶もしくは捏造によって「はてなサヨク」を論難していると私は考えている。


はてなサヨク」は「自称中立」というふるまいをたしかに問題視してきた。それは人間は誰しも何らかのバイアスにとらわれていて、中立でいようとする態度もそれ自体がバイアスだという認識にもとづいている。
これはDavitRice氏がまとめた「意図や目標」とはニュアンスが違うし*4、もちろん「アカデミアは真実を追求する場ではなく、どちらがよりもっともらしいことを言って主導権や影響力を握るかという闘争の場である」という結論にはならない。
自称中立」とは、バイアスをもっていること自体への批判を抑える。あくまでバイアスをもたない客観的な態度は存在しえないから、それを自認する態度への批判だ。
「ブログ名だけで」「断定」←端的に記憶違い - 法華狼の日記
自分自身がバイアスをもっていることを認めなければならないと少なくとも私は考えて公言してきたし、それによる資料の歪曲や誤読の可能性も注意喚起してきた。それは、バイアスによる歪曲を正当化する意味ではないし、もちろん「確かさや客観性を保ちながら真実を追求するのではなく、自分の派閥の力を強めて相手の派閥の力を弱めることをがんばろう」という話ではまったくない。
DavitRice氏がかつてそうだったのだとすれば、それは何よりもまずDavitRice氏の問題であって、「はてなサヨク」の問題ではないだろう。

*1:個別具体的な内容もなく十把一絡げに言及されていただけなので、当初は応答する気がなかった。id:amamako氏がはてなブックマークで「本当は、記事で挙げられたようなIDの人たちが応答すべきだと思う」とコメントしていたので、気が進まないがコメントすることにした。やはりというべきか、徒労感しかおぼえなかったが……

*2:転載時、冒頭の「次に、」を削除した。「ひと昔前の」に始まり「記憶もある)。」で終わる引用を追記した。「貴方」を「DavitRice氏」に、「です・ます」調を「だ・である」調に、引用符やリンクや注記をはてな記法へと変更した。

*3:https://twitter.com/RiceDavit/status/1412801631863726085

*4:なお、歴史的な加害を否認する人々は、しばしば意図や目標を公言している。こちらに各集会での発言などが多数収録されている。