たとえば不治の病に特効薬ができたというウソを考えてみる。
それをあくなき医学の挑戦により達成した理想として描いた医療漫画なら許されると思う人が多いかもしれない。
この場合、特効薬はウソでも良いと作者が考えているわけではなく、やがて現実化すべき未来として提示されている。
もちろん、どれほど真面目に描写したフィクションでも、素材にされた当事者から反発されることはありうる。
次に、製薬会社が特効薬ができたというプレスリリースを出して、エイプリルフールとして撤回したらどうだろう。特効薬ができたといったん期待させ、ウソと明かして落胆させることのどこに楽しさがあるだろうか。
それならばプレスリリースの時点で明らかにウソとわかる記述をしていればどうか。その場合は、切実な問題を冗談の素材にすることへの強い反発が最初に生まれかねない。
また、エイプリルフールという機会を利用して社会的なメッセージを出す事例もある。しかしその場合はウソで終わらせないという意志をどこかで明確に表明しなければメッセージとして成立しない。
この場合は、エイプリルフールという冗談に真面目なメッセージをもちこむこと自体が反発されるかもしれないが、その可能性は良くも悪くもメッセージを出す側もあらかじめおりこんでいることだろう。
いずれにしても、ただ切実な問題でウソをついてはいけないというよりも、切実な問題で反発されないウソをつくことは難しいし、反発されてでもウソをつくなら覚悟と意義がいるということではないだろうか。