はてな村の悪名高さを感じる。
いや、ふたつの意味の「歴史修正主義」と、代替できる言葉 - 法華狼の日記に対する[twitter:@Beriya]氏の応答だが。
ツイッターが公開に戻っていたので、私もエントリで応答をあげておく。
このツイートからよくわからない。はてなダイアリーのエントリへBeriya氏が言及したのが始まりだ。そのエントリには私も書き込みしていた。反応が来ることは予想できただろうし、それが私であることに不思議はないだろう。
それとも、特定をさけたなら言及され返されないのが当然だ、とでも思っているのだろうか。「はてな村」うんぬんはさておいても、むしろ対象を特定せず批判することこそ誤解をまねき、良くないと思うのだが。
それでは「歴史修正主義」という言葉の用法について。
まず上記ツイートだが、5月10日の下記ツイートの説明になっていない。
「自称」について私が引っかかった理由の一つが、このツイートだ。
そして以降も「当人たちの能動的な意識・行動をネグり続けている」について説明どころか言及にあたるものが見当たらなかった。
次に、5月10日の上記ツイートで「何であの辺りあんなにこだわってるんですかね」とあったので、私なりに「歴史修正主義」という言葉を使うメリットとデメリットをエントリでならべた。
それに応じた説明らしい下記ツイートを見て、首をかしげる。
「さっさとやめろとしか言いようが無い」という文章から、デメリットとメリットを勘案させた上での「判っているならやめろ」という文意を読みとることは難しい。それに「あの辺りの界隈」はどこに行ったのだろう。
一般的には歴史修正主義が定着しており、歴史否認主義はこれから定着していくかもしれない段階という認識を、5月10日のツイートから読みとれるだろうか。5月10日のツイートを見ると、下記ツイートがBeriya氏に向けられているが、この解釈は誤りだというのだろうか*1。
上記ツイートについてだが、前後した下記ツイートで参照するよう求めた過去発言こそが問題だ。
自分自身が批判する時に「歴史否認主義」を使うか、それとも「歴史修正主義」を使うか。自身も「歴史修正主義」を批判に用いながら、他人へ「さっさとやめろとしか言いようが無い」というようでは、まず隗より始めよという話にならないか。
これは私がコメント欄に書いたMValdegamas氏のこととも重なってくる。
MValdegamas氏(はてなid:Donoso)のツイログを見てみると、ネタらしき用法もふくめて複数の意味で「修正主義」を使ったツイートをしている一方で、「否認主義」が使われたツイートはネタっぽい自称がひとつだけ。
http://twilog.org/MValdegamas/search?word=%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
http://twilog.org/MValdegamas/search?word=否認主義
インターネットの一部で否認主義が定着する日は遠そうです。
上記コメントの時点では、あくまでインターネットの一部において、どのような用法が定着しているか調べるというくらいの意図だった。
しかしMValdegamas氏は下記ツイートのように応じた*2。
しかしBeriya氏が「否認主義」と呼ぶべきだと主張した問題に対してMValdegamas氏が言及していること、しかも「修正主義」という言葉を用いていることがツイログの検索結果から明らかだった。
コメント欄でNakanishiB氏も下記のようにツイートを引いて指摘していた*3。
ずいぶんテキトーな「アレな修正主義」にもちゃんと興味があるようですね。
すると下記ツイートのように関係のない話をはじめた。
揶揄のためか検索をさけるためか知らないが、厳密さを求める人物からハンドルネームを粗雑にあつかわれると、不思議な気持ちになるものだ。
そして以降のツイートもひととおり読んだが、「歴史学における修正主義」にしか興味がないという自認について追加の説明は見当たらなかった。
MValdegamas氏は自分もまた「言葉の周囲を這いずりまわる人間」の一人だという自覚があるのだろうか。