法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ポストモダニズム系リベラルの観点から東浩紀氏を全面的に擁護する

敵対する言説にも場を与えるべきと主張し、自らの講義へ来るよう批判者を挑発あるいは招待しながら、実際に出向いた批判者を選別したため*1、批評家の東浩紀氏が批判されている。
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文字情報ばかりといえば、はてなブログでは、ぼくが公認してもいない速記の断片的引用ばかりがコピーされ「東浩紀、許さん!」とか言われているらしいのだけど、上記のように、ぼくからすればそれは授業の内容についても僕の立場についても明らかに誤解している。そもそも、そんなに真実が大事だと思うのならば、そのかたがたは実際にぼくの授業に来て質問したらいいのではないでしょうか。

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結局、東工大の授業に歴史認識問題を問いただす学生などだれひとり現れず、それどころか先週はいたゼロアカ生さえすっかり消え、いささか拍子抜けした東浩紀です。

つまりは、あいつらにとっては東浩紀はネタでしかないんだよなあ、とあらためてコミュニケーション志向社会の現実に思いを馳せてしまったりしました。まあ、ぼく自身はそんなネタ化のおかげで得もしているので、トータルでは喜ぶべきなのでしょう。授業の準備のため高橋哲哉カール・シュミットを読み直したらあらためて発見があったりして、これはこれでよかった。東工大の授業は、「ポストモダンと情報社会」というお題目などどこへいったのやら、来週はデリダの「法の力」について話したりします(少しだけど)。

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該当エントリにもあるように、ぼくはまず教室外の廊下で、「前回まで潜っていたひとは教室に入っていいです」と言いました。10人弱の人間が残りました。しかし、そのときに彼は黙って、しかもぼくの背後のドアから教室に入ろうとした。

いちおうぼくとしては、彼らの振るまい(後述のように授業の直前に知りました)が不愉快なことは事実で、その点についての最低限の問いただしを、彼らが誠意をもって聞いてくれれば教室に入れるつもりでした。けれども、問題のひとは最初から嘘をつくし、「ブログに書いた以上俺らを入れろ」の一点張りだったので、そのプランは吹っ飛びました。該当エントリだけ読むとずいぶん違うふうに書かれているけれど、ま、いちおうぼくのほうからは、そう見えるということですね。

確かに、講義へ来なければ「あいつらにとっては東浩紀はネタでしかない」、講義へ来れば「幼稚」で「不愉快」という評価を下すのは、人間としてどうかと思わざるをえない。
しかし、はたして本当に東氏の態度は批判されるべきだろうか。一度、立ち止まって考えてみる。


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C.だとすれば。ポストモダニズム系リベラルは、たとえその信条が私的にどれほど許し難かったとしても、南京大虐殺がなかったと断言するひとの声に耳を傾ける、少なくともその声に場所を与える必要があるはずである(この場合の「耳を傾ける」=「同意する」ではない)。

C'.逆に、もし「南京大虐殺がなかったと考えるなどとんでもない」と鼻から言うのであれば、そのひとはもはやポストモダニズム系リベラルの名に値しない。

D.ポストモダニズムリベラリズムの立場とは、このようにハードで、ときに自己矛盾を抱えかねないものなのだ。

これは東氏が自身が発言する背景を語っていると解釈するべきだろう。同じエントリで「ただ、そもそもはこれはだれかに反論するためではなく、ぼくの立ち位置を明らかにするためのエントリなので、これで勘弁を」と書いているように、あくまで東氏なりの矜持を語っているわけだ。
ただし、同時に開陳された南京大虐殺への経験が素朴な「体験」*2に裏付けられたものでしかなく、偽超能力者の起こした超常現象を信じる学者に似た、「ハード」とは正反対な態度でしかないことも明らかになった。東氏がポストモダニズム系リベラルであろうとするなら、むしろホロコースト否定派に言説の場を与えるよう主張するべきであった。
つまり東氏は、南京大虐殺通説派に対してポストモダニズム系リベラル的なふるまいの困難さを教えつつ、自らがポストモダニズム系リベラル的なふるまいをするつもりはないと宣言したわけだ。
自分自身はポストモダニズム系リベラルを体現するつもりはない、それが東氏の「立ち位置」だ。


現実にポストモダニズム系リベラルを体現した人というと、個人的には故筑紫哲也氏や、半藤一利氏を思い浮かべる。
両者とも、自身の思想と相反する相手と多くの仕事をこなしており、敵対する相手ともしばしば友好的な関係を築けていたという*3
そのような態度が可能だったのは、一種の才能でもあるだろうが、それぞれ『朝日ジャーナル』『文藝春秋』といった有名雑誌の編集長を経験していたことも理由にあると思う。編集長は強権を付与されているが、同時に個人的な好き嫌いだけで仕事をしてはならない。特に両雑誌の方向性や執筆陣を思えば、相当に個性的で攻撃的な相手とも、我を抑えて仕事を行わなければならなかっただろう。
いわば、ポストモダニズム系リベラルを体現するための訓練を仕事としていたようなものだ。


対して東氏は、大学講師という立場にある。異なる意見を持つ学生に、同等な発言が可能な場を与えることは難しい仕事だ。
ポストモダニズム系リベラルのようにふるまおうとしても、非対称的な発言権が身に染みついてしまっていたのだろう。少なくとも大学という場ではポストモダニズム系リベラル的なふるまいが許されないと東氏は解釈した。
東氏が講義の場で質問を求めるような記述を「公的には撤回」しつつ、講演などの機会であれば質問も可能としたのは、そう自身の立場を理解してのことと思える。


東氏が誤っていたとすれば、自身の過去発言をポストモダニズム系リベラルゆえであるかのように表現した点だろう。
ポストモダニズム系リベラルであろうとしてかなわない存在と正しく自覚し説明していれば、南京大虐殺に関する東氏の主張は、専門外の問題へ言及する学者の典型例にすぎない。歴史学に関しては、自分の経験を絶対視する疑似科学論者や歴史修正主義者に似たふるまいをしてしまった、ただそれだけだ。
あくまで東氏は思想家ではなく、思想を学生へ教える人。教える人が教える内容を体現し続けるのは無理がある。ピカソを教える美術教師がピカソの絵を描くことは不可能だろうし、その必要は最初からない。その破綻について無自覚であったことが、かつては学生運動を暴走させる一因にもなった。そう認識することが双方にとって幸福だと思う。
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それにしても、今回の件でぼくが唯一反省しているのは、結果的に井口時男さんにご足労願ってしまったところです。上記のひとが、「帰らない、ぼくには授業に出る権利がある」と粘るので、このままだとぼくも教室に入れないと考えてお呼びしたわけですが、正直、あれは格好悪かったw。

次回以降はひとりで対応したいものですね! ←違う

この文章は、無意識的にだとしても、事務を人間扱いしていない。余計な仕事を増やされた原因や責任は、少なくとも東氏にもある。ここでも大学講師である東氏の「立ち位置」が暗示されている。もちろん全ての大学講師がそうであるということではなく、東氏が考えている大学講師のありかたが透けて見えるということだ。


東氏は、ポストモダニズム系リベラルを教える人という観点からは擁護できる。
ポストモダニズム系リベラルな思想家ではないこと、大学講師として軽率はなはだしい言動を取ったこと、人として大いに問題があることもまた事実ではあるが。

*1:講義に来なかった相手を想定して挑発あるいは招待したのだから、かつて講義に来ていたか否かは選別の理由にならない。

*2:過去の歴史を実感もって体験することについては、日本で現在進行中の問題もはらんでいる。http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080312/p1のコメント欄で「2008/03/14 09:54」にコメントさせてもらった事例と、当時の状況を残したまま見学できるよう注意深く保存されているアウシュビッツ収容所と比べれば、差は歴然としている。これは逆にいうと、東氏が自説の背景とする「体験」もまた恣意的に操作可能という話でもある。東氏もやや自覚的に言及しているが、それでも浅いといわざるをえない。

*3:週刊文春』の、阿川佐和子氏が筑紫哲也氏を偲んで『NEWS23』時代をふりかえる記事で、同じような趣旨の話をしていた。