注意するだけで誤記がまったくなくなるなら、校正のような仕事が商業的に成立するはずがない。
分社化により校閲能力の低下がうたがわれがちな産経新聞にしても、「日本語メモ」「赤字のお仕事」という校閲担当者のコラムがあったりする。
www.sankei.com
内容を読むと、大手新聞社にしては校閲能力に問題がないかといううたがいが強まりはするのだが、それはそれとして。
また、アマチュアの、それもインターネットの気楽な文章ならば、誤記や誤変換にめくじらをたてる必要はないという考えもあるだろう。
そもそも明らかな誤記や誤変換が主張の根幹にかかわることは滅多にないし、修正しなくても補いながら読むことはできる。
しかし、そうしたささいな誤りを、他者については信用にかかわる問題とみなすような人物が、自身への指摘を拒絶する姿に首をかしげることはある。
多数の意見がよせられて指摘に気づかない場合などはあるだろう。だが明らかに気づいて拒絶するなら、それこそ信頼を自ら捨て去るようなふるまいだ。
ささいな誤記の指摘くらいなら自説をすべて撤回する必要もまずないし、素直に訂正したほうが自説を維持できるだろうに、と思うのだが……