法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スマイルプリキュア!』第31話 ロイヤルクロックとキャンディの秘密!!

……いくらなんでもプリキュアの説教に脈絡がなさすぎる。
夏休みの宿題を終わらせられなかった主人公が努力を訴えても説得力がない……という問題ではない。むしろ、補習しなければならなかったという反省の弁を口にしていれば、それはそれで納得できたかもしれない。


今回の物語において、前半の日常場面でえられた教訓は、努力の必要性ではない。1枚のクッキーを仲間と別ければ、量こそ少なくなるが、幸福感は増したという体験だ。そして後半、敵の策略でプリキュアと引き離されたキャンディが、幻の世界で大量の菓子を与えられる場面でも、心底から幸福になれない理由は隣にプリキュアがいないためだ。
つまり今回プリキュアがするべき説教は、物品だけあっても幸福になるとは限らないということ、友達とわかちあうことで幸福になれるということ。もちろん、こちらの説教でも、それぞれ批判的に見ることは可能だろう。前者は健康も文化も両方必要ということを無理なく説明するべきだろうし*1、後者は「絆」という言葉が抑圧的に用いられる昨今では慎重になるべき考えだ*2。しかし、キャンディと友情を確かめあったばかりの主人公の言葉としては、ずっと自然になったことは確かだろう。
いずれにせよ、努力の必要性という主張は、完全に前後の流れから浮いていて、存在する意味がない。かろうじてプリキュアが努力主義者であれば、唐突な説教が出てきても違和感だけはないのだが、先述したように今作のプリキュアは全体的に努力ができないし、遊ぶことにも意義があると考えている。


今回の脚本はシリーズ構成の米村正二が担当していたのだが、どこをどうすればこういう流れになるのか理解できなかった。
「なまけ玉」によってなまける姿は次回に描かれるらしく、どう考えても今回の説教は次回に行うべき内容だ。
http://asahi.co.jp/precure/story/backnum_32.html

“なまけ玉”にはいると、みんなダラダラしたなまけものになってしまう。あかね、やよい、なお、れいかも「ガンバるなんてムダ…」と、あそんでばっかり。
ゆめやもくひょう、じぶんがプリキュアだったこともすっかりわすれているみたい…。

全体で見ても、物語の構成要素がからまないまま点在している上、クッキーを食べる場面だけで尺を多くとったりと、薄い物語を無理に引きのばした感が強い。
作画監督が河野宏之で、戦闘力を増した敵*3との荒っぽい作画ゆえのダイナミックなアクションはところどころ良かったのだが、さすがに脚本の薄さや雑さを補うほどの力はない。

*1:今回の描写に、その危険性があるという話ではない。

*2:ただし今回の物語では、拉致された幻の世界で偽りの友好的な存在を与えられているため、むしろ台詞で説明せずとも批判をかわしやすいだろう。

*3:食われて合体する姿に、『勇者王ガオガイガー』の「フュージョン」を思い出した。