法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

金美齢の力

『愛和』2007夏号より。強調は引用者。金美齢の発言はカギカッコ内。

金さん自身、大学教授の夫、周英明さんとも相談しながら、長女と長男、二人の子どもたちには、早くから自立教育を行ってきました。ときには体罰も交えながら、厳しくしつけたと言います。おかげで二人とも、家にいるより外に出かけるのが好きな子どもに育ちました。

金美齢は、ある種の典型的な保守派なので、体罰肯定発言は驚かなかったが、家にいるより外が好きに育ったこと、それを「おかげで」などと賞揚する地の文には驚いた*1

「とくに娘は学校が大好き。何かと親が干渉して小うるさい家にいるより、ずっと居心地がよかったようです。でも、当時は気づかなかったんですが、実は娘は高校時代、いじめに遭っていたようなんです」

いじめられるほうが悪いと言い出すかと思ったが、そうではなかった。悪い意味で。

「ところが、娘のほうには、いじめられているという自覚はまったくなかったようなんです。二年生になったときに、クラスメートから『去年はいろいろ意地悪してごめんね』と言われて、初めて『えっ、私って、いじめられてたの?』と思ったそうですから、笑えますよね
「そう言えば、上履きが見当たらなかったり、テキストがなくなったりしたことがあったなあ」と、後から思い当たることはあったようですが、娘さんにしてみれば、家のほうがはるかに「おっかないところ」だったので、その程度のことは気にも留めていなかったというのです。

でも、子どもにはこうした『鈍感力』も必要だと思うんですよ。過保護に育てられた子は、ちょっとしたことで傷ついたり、くよくよ悩んだりしがちですが、その点うちの子たちは、家のほうがずっと厳しいと思っていましたから、少々のことではめげたりしませんでした」

なるほど、と得心がいった。薄々思っていた通り、金美齢は人の傷に鈍感なのだ。
自身の子供がいじめられたことが笑い話なのだ。いじめられている痛みを感じられない子供を笑えるのだ。
周囲から阻害されていた程度ならまだしも、積極的な悪意を行動で示されているのに気づかない人間に育てることが、何の教育だというのだろうか。


ちなみに『愛和』とは、実践倫理宏正会という国粋的な雰囲気の新興宗教が発行している小冊子。最近どこかから来た信者が近所を配布して回っていた。
しかし同時に配られた別冊子を見ると、「昨年末、『教室の悪魔』という本を緊急出版したのは、子どもが自殺するのは、決してその子の心が弱いからではなく、現代のいじめがそれほどまでに残酷で巧妙になっていることを知ってほしかったからだ」と書いている者*2もおり、金美齢の教育論は教義でなく独自の考えである可能性が高いと思う。

*1:インタビュアー名は未表記

*2:『倫風』山脇由貴子