法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『出口のない海』

TVで視聴、原作は未見。人間魚雷回天を主題にした戦争映画で、評判通りの佳作。
俳優や美術や特撮は水準以上で、可能な範囲で自然な映像を作っていた。題材や逸話に共通点がある『ローレライ』が、個々の特撮精度は高くても、背伸びして不自然さを感じさせ、全体の印象を悪くしたのと対照的だ。
水中爆発する爆雷など、明らかに『出口のない海』は作り物めいていたが、そもそも海中の爆発は撮影不可能に近いイメージカットだ。イメージに力を入れる代わりに、主人公が生きていた時代の日本を再現することに力を入れたのだろう*1


戦争に違和感を持つ主人公から逃げ場をなくす脚本構成も巧み。もちろん初見では前後する時系列や、中盤で変化する視点が不自然で気になったが。
以下、ネタバレをふくむ感想。
終盤に入り、中途で感じた不自然さが全て制作者の意図だったと気づかされた瞬間、物語の重みや痛みが増した。
視点は最初から統一されていた。残された、そして残さざるをえなかった手記を読み取った者が、語らざるをえなかった物語。
主人公が最終的に死ぬだろうことは、観る前から予想している人がほとんどだろう。しかし、映画で見られる主人公は全て、いずれおとずれる死を予測できない現在進行の姿ではなく、必然的な死を目前にした瞬間から語り直されたものだ。


もしや幸福な結末にいたるかもしれない、という期待が持てないことをつきつけられるだけではない。映画の流れに身をゆだねて主人公が生きのびられるかどうかを楽しむ鑑賞方法すらふさがれる*2
最後まで見終わったなら、もう一度。最初から見返すことを勧める。冒頭から語られる主人公の日々、その一つ一つがいずれ無駄に消えるものだということを、いやおうなく念頭に置きながら見ることになるはずだ。その日々が、主人公にとって最も人に伝えたい大切な全てだったことも観客は知っている。


仕掛け自体は昔からあり、連名で脚本に入っている山田洋次監督作品でも使われたばかりの手法だが、『出口のない海』は高い効果を上げている一作に入るだろう。

*1:アクション主体の『ローレライ』とは特撮で力を配分する方向性は異なるのが当然だが、樋口監督作品であるからにはハッタリをリアルに見せてくれるだろうと期待していた。個人的な期待に応えてくれた特撮カットは、滑走路上の爆撃機くらいしかなかった。

*2:良いサスペンスやホラーは結末を知っていても迫真性を楽しむことができるが、この映画はそうではないということ。