法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『怪奇探偵リジー&クリスタル』山本弘著

 20世紀初頭のロサンゼルス。その一角に居をかまえる私立探偵と助手の女性コンビは、まともな人間ではなかった。オカルト的な意味で。そして立ちむかう事件もまた、人間の社会から外れたものだった……


 2015年に出版され、後に文庫化された幻想怪奇連作短編。レトロSFやレトロ特撮への愛好が前面に出つつ、作者にしては人間描写はライトでクセのない娯楽作品になっている。

 作者は過去作品で何度かレズビアンバイセクシャルを登場させているが、今回の女性コンビはそういう関係ではない。かといって『ダーティペア』のように男好き描写が強烈なわけでもなく淡白なので、逆に百合っぽい解釈もしやすい。
 1話目は幻想怪奇な設定を活用した特殊設定ミステリ*1として標準的で悪くない。しかし以降はミステリ的な推理や意外な真相よりも、舞台となった時代と場所を意識した特撮趣味やB級ホラーへと1話ごとにジャンルを変えていく。
 各話ごとにネタはまとまっているのでジャンルが変わっても読みやすいし、舞台設定にすぎないはずの女性コンビの来歴もしっかりSFホラーとして物語にくみこんで小説としてまとまっているが、2話以降も謎解きミステリとしての枠組みを守るほうが好みではあった。

*1:生ける屍や超能力などの現実には存在しない設定を厳密なルールとして組みこんで、合理的な謎賭けと謎解きを展開しようとするミステリジャンル。こちらのミステリ作家による座談会でも言及されているように、TRPG設定をつかった短編小説アンソロジー山本弘が提供した『ゴーレムは証言せず』も代表的な作品のひとつ。 令和探偵小説の進化と深化 「特殊設定ミステリ座談会」|令和探偵小説の進化と進化 「特殊設定ミステリー座談会」! 前編|tree

スティーブン・スピルバーグ監督が南カリフォルニア大学でのスピーチで、イスラエルの被害にふれるなかでガザ虐殺にも初めて言及したらしい

 まだ日本語の記事にはなっていないようだが、3月25日にCNNが報じて、スピーチ全体も掲載している。
Steven Spielberg: ‘The echoes of history are unmistakable in our current climate’ | CNN
 言及は下記の部分で*1、あくまでイスラエルの被害を重視した流れで「無実の女性と子供」にかぎった一言ではある。

We can rage against the heinous acts committed by the terrorist of October 7 and also decry the killing of innocent women and children in Gaza. This makes us a unique force for good in the world and is why we are here today to celebrate the work of the Shoah Foundation, which is more crucial now than it even was in 1994.
私たちは、10月7日のテロリストによって犯された凶悪な行為に対して激怒することができ、またガザでの無実の女性と子供の殺害を非難することもできます。これが私たちを世界で唯一の善のための力にしているのであり、それが私たちが今日ここに来て、1994 年当時よりも今ではさらに重要になっているショア財団の活動を祝うためにここに集まっている理由です。

 ずいぶん遅いし、まだ足りないし、それでも待っていた。最初に予想した「中立」的に平和をもとめる内容にとどまっているが、それでも現状では意味がある。
スティーブン・スピルバーグ監督が、ハマスの蛮行のみ批判する声明を出したという報道に悩んでいる - 法華狼の日記

 もともとショアー財団はユダヤ人の被害記録に限定せず、CNNが言及しているカンボジアルワンダの他、アルメニアの虐殺なども対象にしている。そこにパレスチナをくわえない理由がどこにある。

 ユダヤ人の被害記録のために設立したショアー財団が評価された状況での発言という重みもあるし、スピーチ全体を見ればユダヤ差別を問題視した場面でアラブ差別にも言及したりしている。


 さらに少し前のことだが、絶賛*2したホロコースト映画『関心領域』のジョナサン・グレイザー監督がアカデミー賞のスピーチでガザ虐殺を正面から批判*3したことについて、否定するオープンレター*4にも参加しなかったらしい。


More than 450 Jewish creatives, executives and Hollywood professionals have signed an open letter denouncing Jonathan Glazer’s “The Zone of Interest” Oscar speech.
Jonathan Glazer's Zone of Interest Oscar Speech Denounced in Letter

 ここまでの沈黙や一方的な言及、そして現在の立場を思えば、もちろん現状でもスピルバーグへの批判はありうるだろう。
 それでも原則としての平和をうったえる発言には意味があるし、社会の側が意味をもたせなくてはならない。

*1:日本語訳は、google翻訳を手なおしせずにつかった。

*2:スピルバーグがベスト・ホロコースト映画と大激賛!『関心領域』 – VOID

*3:アカデミー国際長編映画賞「関心領域」の英監督、ガザでの戦争について声明 受賞スピーチで - BBCニュース

*4:ちなみにリンクされたページの下部にある署名者の末尾によると、更新前は偽名がひとりふくまれていたらしい。その良し悪しはさておき、オープンレターで厳格に本人確認をおこなうことは世界的にも一般的ではないようだ。 不正署名されたオープンレターと不正署名したリコールを同列で考えるのは、いくつもの意味で間違っている - 法華狼の日記

まずウソそのもので楽しませて、それをウソとして終わらせることも楽しませるエイプリルフールって、一般的なフィクションより二重に難しいところがあるよね

 たとえば不治の病に特効薬ができたというウソを考えてみる。
 それをあくなき医学の挑戦により達成した理想として描いた医療漫画なら許されると思う人が多いかもしれない。

 この場合、特効薬はウソでも良いと作者が考えているわけではなく、やがて現実化すべき未来として提示されている。

 もちろん、どれほど真面目に描写したフィクションでも、素材にされた当事者から反発されることはありうる。


 次に、製薬会社が特効薬ができたというプレスリリースを出して、エイプリルフールとして撤回したらどうだろう。特効薬ができたといったん期待させ、ウソと明かして落胆させることのどこに楽しさがあるだろうか。
 それならばプレスリリースの時点で明らかにウソとわかる記述をしていればどうか。その場合は、切実な問題を冗談の素材にすることへの強い反発が最初に生まれかねない。


 また、エイプリルフールという機会を利用して社会的なメッセージを出す事例もある。しかしその場合はウソで終わらせないという意志をどこかで明確に表明しなければメッセージとして成立しない。
 この場合は、エイプリルフールという冗談に真面目なメッセージをもちこむこと自体が反発されるかもしれないが、その可能性は良くも悪くもメッセージを出す側もあらかじめおりこんでいることだろう。


 いずれにしても、ただ切実な問題でウソをついてはいけないというよりも、切実な問題で反発されないウソをつくことは難しいし、反発されてでもウソをつくなら覚悟と意義がいるということではないだろうか。

『わんだふるぷりきゅあ!』第9話 こむぎ、中学生だワン!

 ニコガーデンの特殊な力で、こむぎも犬飼いろはと同じ中学校に通うことに。さっそく人間の姿になって元気いっぱいに登校したこむぎは、サッカー部の練習にわりこんでしまう。その後もこむぎは好き放題していろはと悟にフォローされつづけるが、サッカー部員の猪狩勝だけはライバル心を燃やして……


リコリス・リコイル』や『 勇気爆発バーンブレイバーン』の神林裕介が脚本として初参加。深夜アニメばかり参加しているのかと思いきや、成田良美シリーズ構成のEテレのミニアニメ『のりものまん モービルランドのカークン』が初アニメ脚本らしい。
 上田由希子と赤田信人の共同作画監督なので絵は安定して良いが、印象に残ったのは原画の「犬。」。ツイッターであつめられたような珍名ペンネームのアニメーターは子供向けアニメでも珍しくなくなったが、さすがに作品テーマとの関係で印象には残った。


 物語は犬が変身した少女という設定で、精神年齢の幼い立場の初登校を描く。終盤にいろはがこむぎに学校は楽しいだけではない学びの場だと注意した描写からも、小学一年生くらいの位置づけとわかる。つまり、こむぎは犬の擬人化というより、作品の対象年齢にあわせた視点人物と考えるべきなのだろう。本筋とは関係ないが、犬が変身したこむぎはもちろん、いろはより体力のない兎山悟が良い。
 今回はアヒルのガルガルが登場するが、特に現実の生態を反映しているわけではないようで、検索しても水を吐いて餌をとらえたりはしないらしい。ただ以前のペンギン*1と同じく、鳥でも空を飛べない種類のガルガルということは、いずれ新プリキュアか強化変身において飛行の必要性がある敵を出すための準備として意味がありそうだとは思った。

漫画家の藤栄道彦氏が、またまたツイッターで商業作家らしからぬ著作権の見解を語っていた

 発端は2023年12月、杉田水脈氏への難癖であるかのように香山リカ氏の発言をまとめブログ「フェミ松速報!」がとりあげたことにある。


【難癖】香山リカさん、杉田水脈議員の"生産性がない"発言にブチ切れ「子どものいない私はどうですか!?」
https://femimatsu.com/article/501843565.html?1703277936

 その「フェミ松速報!」を漫画家の藤栄氏が引用リツイートして、同調するように『ジョジョの奇妙な冒険』のコマをはりつけ、医師の高須力弥氏に批判された。
 そして藤栄氏が2024年3月になって宮内悠介氏のツイートを引いて、漫画のコマをラインスタンプのようにつかったことを正当化したことで、あらためて高須氏に批判された。


差別的な意図を持ったポストに、空条承太郎たちのような高潔な意思を持ったキャラクターに勝手に代弁させるなんて、人間讃歌であるジョジョの奇妙な冒険という作品及び荒木飛呂彦先生に対する冒涜だと思っています。


私が問題にしていた件はこのポストでした。

 漫画のコマや映画の画像を文脈から切りはなしてラインスタンプのようにつかうSNS文化は、今件にかぎらず作品へ誤った印象をつけくわえかねない。代表的な事例として『少女ファイト』の一コマがある。
お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではなとは (オマエガソウオモウンナラソウナンダロウオマエンナカデハナとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


 前後するが、高須氏が上記で引用リツイートした藤栄氏は下記のように、漫画のコマをラインスタンプのようにつかう手法は良いことが多いと正当化していた。


ストレートな反応で流血沙汰に発展するのも防げるし、画像の著作権者にとっては作品の認知度も上げられるし…と良いことは多い。
ただこないだの力弥先生みたいに、特定の意見や意思表示に〇〇先生のキャラを使うなんてと怒る人もいるから難しい。

 きちんと引用の要件をみたして漫画のコマを掲載したエントリに対して、「無断使用」と表現してしまった漫画家の言葉とは思えない。
漫画家の藤栄道彦氏が、またツイッターで商業作家らしからぬ「引用」の基準を見せていた - 法華狼の日記

もちろん私のエントリでコマの位置を改変したりはしていない。そうして引用が認められる場合は「無断」でコマを使用しても何の問題もありはしない。

その後の藤栄氏は、「一番大きな問題点」がかかるのは「画像を利用して私を排外主義漫画家としてる」と釈明したが、「無断使用」という表現の説明にはならない。

 作品の認知度をあげるというならせめてタイトル等の作品情報をしめすべきだろう。それをしないなら、すでに認知されている作品のネットミームを利用したにすぎない。


 ちなみに高須氏の他にも批判があったためか、藤栄氏は当該コマの自作パロディにさしかえ、文章を追加するようにツイートしなおしていた。


他人の批判ばかりしてる人間には、あまり生産性はないよなあ。
自分の絵であげ直しておく。

 しかし「他人の批判ばかりしてる人間」という表現は、地域医療に奉仕している現在の香山氏より、フェミニストの揶揄に特化した「フェミ松速報!」やその同調者にこそ当てはまるだろう。
 さらに今回の藤栄氏は杉田氏の「生産性」発言を擁護した。しかし「出てけ」と明言していないだけのことや、否定しない当事者がいることは、差別と無関係になる充分条件ではない。


スクショの貼り付けって微妙らしいけれど、力弥先生がやっているので同様にやります。

杉田氏は単に子供を生むことを「生産性」と表現しているだけで、「生産性がない人間は出てけ」などとは発言してません。
冨田格氏等、当事者でも論文に一定の理解を示している人たちはいます。
差別とは無関係。