法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『相棒 season21』第7話 砂の記憶

20年前、謎の連続通り魔により少女が撲殺される。そして現在、健康診断をおこなう特命係に、ふたたび通り魔事件が起きると予告する手紙がとどいた。少女の母親へ会いにいく特命係だが、2年前に夫も亡くして、事件のことは忘れたいとつたえてくる……


山本むつみ脚本。あまり良くない意味でこの番組らしくなかった。
まず、冒頭で少女が撲殺された時に友人がいて印象づけられているのに、その存在を完全に無視して物語を進めているため、逆に手紙の差出人と見当がついてしまう。
そこから今回いきなりメインキャラクターのように登場した女性や、他に健康診断を受けている地方から栄転してきた男性から、事件全体の構図も見えすいてしまう。
塾帰りの少女が夜遊びしていたかのように報道されたり、被害者が二重三重に被害にあったという逸話も、ドラマの本筋にからまないまま流されてしまった。


さすがに中盤に入ってすぐ真犯人らしき存在がおびきだされ、その場にあつまっていた人物の情報があわさることで解決編のような空気になり、逆に残り時間の長さから考えて真相にひとひねりが入るかと期待したのだが……
……本筋の連続通り魔は20年前の事件ということで証拠がまだ不足して、後は証拠をかためるだけで終わった。それでも『刑事コロンボ』のような倒叙ミステリのように意外な手がかりが伏線をもって提示されたら納得できたのだが、完全に科学捜査だよりで、まだ証拠としても言い逃れできそうなレベルで終わった。
科捜研の女』なら今回のような展開でもいいだろうが、この刑事ドラマに期待する内容ではない。

ヴィーガニズムを蔑視せず、ひとつの考えとして応じた漫画を少しずつ見かけるようになった

少し前に驚いたのが寿司バトル漫画『寿エンパイア』。分子ガストロノミーを超えた「未来寿司」として、3Dプリンタや培養肉で寿司を握る天才が出てくる。

海から遠いところで美味しい寿司を食べた子供時代の記憶。何でもできて仕事も趣味もつまらなくなった天才が、まだイノベーションできる場所として寿司を握りだす。
提示される人工的な寿司ネタは分子ガストロノミーですら作りえない食感で、さらに漁獲資源や命を奪う問題を解決できる可能性も提示される*1
一方、主人公は魚をとむらう文化を継承して、偽善という評価を覚悟しつつも寿司が命をうばう問題に向きあう。ここまでは『美味しんぼ』の「業」などから特に変わりない。
しかし料理対決として勝利した主人公は未来寿司を賞賛して、絶滅の危機にある食材を楽しむだけでなく、絶滅した生物を食材化できる可能性まで提示した。
ここで「美食」とは何かという普遍的な問いに対して、食べられることを期待できない美味を食べることだと再定義された。そのありようは、幼少期に海から遠い場所で素晴らしい寿司を楽しんだ天才のプロフィールに重なるし、命を奪わずに肉の味を再現しようとするヴィーガンにも重なりあう。
未来寿司には現実に「寿司シンギュラリティ」というプロジェクトがあり、許可をとって漫画で使用したので否定できない側面もあったのかもしれない。しかしきちんと咀嚼して、未来寿司を思いついた天才のプロフィールから、それに対峙する主人公のドラマまで、きちんと料理漫画として成立させていた。


もうひとつ、ジャンププラスで連載しているエクソシスト少年漫画『エクソシストを堕とせない』の対ベルゼブブ戦を興味深く読んでいる。
shonenjumpplus.com
ベジタリアン思想へ反論しつつ素直に美食をたのしもうと扇動するベルゼブブ。対峙するのは、かつてベルゼブブに騙されたことで心理的に肉食ができなくなった少女。
このベルゼブブの主張が、インターネットなどで誇張化され悪魔化された「ヴィーガン」でなく、それをふくめた多様なベジタリアン思想をふまえて反論するかたちをとれている。
思えばこの作品は、先に戦った敵アモンからして、少年漫画で賞揚されがちなマチズモをもつ「男らしい」悪魔であった。

少年が戦うことになる七つの大罪を、しばしば漫画でも肯定されがちな「欲望」にすることで、逆に漫画という表現の豊かさを生みだそうとしている。いまのところ、そう思える作品になっている。

*1:現状の培養肉は、それを作るために投入される資源が天然や飼育による食肉より多くなりがちで、まだ環境負荷は増してしまう段階らしい。 www.ethicalfood.online

『世界まる見え!テレビ特捜部』ドキドキもハラハラも止まらない危険な旅SP

最初に紹介されるのは『世界の果ての通学路』のダイジェストで、象をさけながら通学するケニア、兄が車椅子を弟に押してもらうインド、高山を馬で進むアルゼンチンの兄弟たちを見せる。

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残念ながら、ひさびさにこの種のドキュメンタリを見ていて作為が鼻についた。危険な動物から隠れる時、そして物陰から頭を出す子供を正面からとらえる時、カメラマンは何をしているのか。
車椅子の少年が学校にたどりついた時にクラスメイトがいっせいに歓迎しにくる場面も、くりかえされる日常の一コマとしては不自然だ。やらせではないにしても、そこにカメラがあることで派手な行動をさせてしまっていないか。
Amazonレビューを見ても、星3つ以下は演出の多さを具体的に指摘しており、全長版を見ても印象は変わらなさそうだ。


国境警備隊は南米各地から。ボリビアの記憶力のいい男がスタジオで最初に宣伝されたが、パスポートを他人につかわせていた女性に気づいただけ。
他は大金をもちこんだり、巨大な鉄の歯車の内部にコカインが隠されていたり、この種の番組で珍しくない光景がつづく。
ひとつ目を引いたのがチリの国境で、夜間に3人の国境移動者を発見。逮捕した2人を調べると、チリへ出稼ぎへきて帰れなくなった男たちで、強制送還してほしいとうったえる。密入国したため出国もできなくなったという珍しいパターンであり、移民が出稼ぎで苦しむエピソードも珍しい。また、逃げた1人を2時間かけてさがしたが逃がしてしまった一因に、1970年代の軍事独裁時代にうめられた地雷原があるため、というところも固有の歴史性があった。


最後は国連が認めた世界で最も新しい国、南スーダン。2011年に独立したが2018年まで内戦がつづき、さらに洪水がつづいて土地の半分が水没してしまっている。
草がおいしげる湖に、草葺きの屋根だけが水上へ顔を出している。まだ新しい巨大なトラックやトラクターが美しい水面につかっている。モーターをつけた木製の細い船に人々が満載され、水草にからまり渋滞しながら首都を目指す。川の途中で放棄された漁業者休憩用の人工島で停泊する……
まるでディザスター映画のようで、グレタ・トゥーンベリ氏への的外れな批判*1を思い出す光景であり、『天気の子』の結末の能天気さ*2に懸念をもつ感想にも理解できる情景だった。
他は内戦つづきのため未舗装の道路をトラックで苦労しながら荷物を運ぶ光景は他の国のドキュメンタリでもよく見るが、洪水で減った草原をもとめて牛とともに放牧する人々の暮らしは珍しい。
殺菌できると信じて牛の尿で洗髪や洗顔をおこなうし、高熱の子供を3時間かけてつれていった診療所の医師は祈祷師文化がまだ残っていることを懸念する。思えば川を移動する船もコップですくった生水をそのまま飲んでいた。衛生観念はかなりの問題を残していそうだ……

『機動戦士ガンダム 水星の魔女』第8話 彼らの採択

株式会社ガンダムを設立したミオリネは、アーシアン寮にやってきて社員になるようせまる。一方、シャディクは敗北したグエルやミオリネを懐柔しようと動いていた……


中西やすひろ脚本。物語としてはつなぎ話のようなものだが、あらためて今作の「ガンダム」の位置づけを説明し、PROLOGUEからズレがある時系列や設定を整理して、物語全体の見とおしが良くなった。
描かれるのは、学生同士の意見の衝突などはありつつ、これまでのような差別で傷つけるドラマではなく差別された子供たちの選択。劇中でスレッタが語るように部活動アニメのような楽しさがあった。
前回*1につづいて戦闘シーンはなかったが、学校の訓練やPV制作*2でメカが動くシーンを入れていたので、これはこれで良い。「ガンダム」を兵器にしないことを学生たちが選択するドラマにもふさわしい。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:原画は小谷杏子とのこと。

『デリシャスパーティ♡プリキュア』第37話 ひそむ怪しい影… あまねの文化祭フィナーレ!

クッキングダムに拘束されて情報を流しかねないナルシストルーを、セクレトルーが始末しようと動く。しかしそれを逆用してナルシストルーは監獄をぬけだした。出てきた場所は、プリキュアたちがかよう学園のすぐ近く。学園では文化祭がひらかれていて……


金子香緒里脚本回。制限された状況で技術力のあるナルシストルーが好き勝手してみせるクライムコメディとしては面白かった。なんでもひとりでやってしまうキャラクターは組織の幹部としてより、その組織からも捨てられた逃亡者の立場でこそ輝く。
始末しにきたドローンをつかまえて逃亡のための素材につかったり、ドローンを転送させた技術でクッキングダムから逃げ出したり、変装して文化祭にまぎれたり……基本的に組織の指示で組織の目的を段取りでこなしていた過去回より魅力的だ。
それでいて、ひょんなことから教師とかんちがいされ、プリキュアから隠れるため他人の機械をなおす展開で、自尊心の高すぎる孤立したキャラクターに周囲とふれあう意味を教えていく。かんちがいしたのが学校の部外者な菓彩兄弟というところも細かく説得力をあげつつ、後述の伏線としても機能している。文化祭という状況設定のため、普段は学校ではつかわなそうな機械がそこにあっても違和感がない。
そして機械修理の流れが自然にドラマになじむよう描けていたからこそ、その機械が菓彩生徒会長の退任をいわうクス玉を動作させるためのものという真相におどろいた。悪の組織をぬけた元同僚が仲間に祝われることにナルシストルーが意図せず参加する構図も、ドラマとして意味が生まれている。


しかし、ただの飴と思ってリンゴ飴を食べたなら、ただ味を気にいらせるのではなく、中にリンゴが隠れていることに驚かせるべきではないだろうか。
おそらくこの番組は幼い視聴者に食べ物への先入観を植えつけないため美味い不味いといった表現をさけているのだが、それが食べ物へのリアクションの種類を減らしていてテーマの印象を弱め、前回*1のように食べ物の評価で具体的な言葉をつかえない結果をまねいているのかもしれない。
今回の他の場面にしても、ラーメンのスープをパンや白米にあうようにしたと説明するなら、たとえばコンソメをベースにしたといった具体性を増す描写にもできただろう。