法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『スター☆トゥインクルプリキュア』第8話 宇宙へGO☆ケンネル星はワンダフル!

修理したロケットで宇宙を進んでいた星奈たちは、骨型の星へとたどりつく。そこケンネル星では毛むくじゃらの現地人が住み、偉大な人物の像に畏敬の念をささげていた。
その像に輝きをもたらしているのがプリンセススターカラーペンだと気づいた星奈たちは、わたしてくれるよう現地人にたのむが、すげなく断られる……


脚本は広田光毅で、寓話的なSFとして期待以上によくできていた。
まず現地人にとっては毛が頭部にしかない星奈たちが奇妙に見えるという相対的な文化観がいいし、そのような現地人のありようが定期的に骨が降ってくる星に適応したためと暗示される設定も地味によくできている。その設定によって、一面の骨で埋もれた奇妙な情景が、見ていて面白いだけでなく統一感と生活感を感じさせるのもアニメとして効果的。かつて東映がアニメ化した『銀河鉄道999』を思い出す。
ここで精神年齢が高いがゆえにプリキュアよりも傲岸なプルンスがピックアップされ、まったく毛のない肉体を薬で毛だらけにして現地人とふれあっていく展開も意外でいい。たとえば少女たちが毛を生やした姿を描いても面白かったろうが、このシリーズではあまりドラマにうまくからまない妖精をこのタイミングで物語に組みこむ構成力に感心した。
もちろんケンネル星を襲いに敵幹部がやってきて、戦いを終えてプリキュアがアイテムをもらう結末になる。つまり予定調和なわけだが、敵襲撃から即座にプリキュアが信頼されるわけではない。ちゃんと言葉だけでは信頼されないワンクッションをはさんで、主人公側の行動を受けて心変わりするからこそ、現地人が人格をもったキャラクターに見えるわけだ。

「第5回国際女性会議WAW!/W20」に『プリキュア』の鷲尾天プロデューサーが登壇した報道に、少し悩む

参加したのはパネルディスカッション「多様性を育てるメディアとコンテンツ」で、プロデューサーが立ちあげた1作目から多様性が描かれていたことを受けてのことだという。
プリキュア:“生みの親”鷲尾Pが国際女性会議に 多様性語る - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 鷲尾プロデューサーは第1弾「ふたりはプリキュア」について「当時、子供向けアニメは、女の子らしくあることがテーマの作品が多かった。それは違うんじゃないか?と西尾大介監督と話し合っていた」と説明した。

近年の西尾大介シリーズディレクターのコメントでも、登校する黒人少女の絵画「The Problem We All Live With」が引用されたりして、たしかに制作側も意識していたことがわかる。
『アニメージュ』2018年7月号で、プリキュアから派生するように、富野由悠季と宮崎駿の興味深い関係が語られていた - 法華狼の日記

ふたりはプリキュア』の根底にあるのは「日常の中で勇気を出す話」です。たとえばノーマン・ロックウェルの絵画「The Problem We All Live With」(注)のあの黒人の女の子。「学校に行く」というただそのことが、彼女にとってどれほど勇気がいったことか! もちろん、そこまで政治的・歴史的なテーマはなくとも、僕は観た人一人一人が小さな勇気の火種を持ってもらえるような作品を作りたかった。

注=「The Problem We All Live With(共有すべき問題)」
アメリカ全体が人種差別を当然としていた1960年代の絵画。白いワンピースを着た黒人の小学生の女の子がスーツの男性=連邦保安官に囲まれ、たった独りで登校する姿を描いた作品だ。

今期の『HUGっと!プリキュア』に対して、シリーズで特異的に社会問題をとりこんだ作品として反発するような意見も散見されるが、実際はシリーズ初代から政治的・歴史的な文脈が埋めこまれていたわけだ。

しかし鷲尾PDも西尾SDも男性であり、女性自身が主体性をもった作品とはいいづらいし、女性がならぶディスカッションに男性が参加している絵面も過渡期の印象を受ける*1


念のため、シリーズを通してみれば、女性がメインスタッフとして参加した作品も多い。
キャラクターデザインは約半数の作品で女性がつとめ、シナリオをコントロールするシリーズ構成も女性がつとめた作品が複数ある。
監督は現在までTVアニメでは男性しかいないが、劇場版では複数の女性演出家がキャリアをつむ登竜門となった感すらある。
日本の女性アニメ監督 - 法華狼の日記

1980年代まで数人しかいなかったことも事実だが、2000年以降の作品が目立つので、それなりに状況が変わりつつあることも確実だろう。
近年のものを見ると、東映女児向けアニメで劇場版を任されるケースと、新興アニメ会社で若手監督として起用されるケースが目立つかな。


それでは、過去のメインスタッフだった女性がパネルディスカッションに登壇すれば良かったかというと、残念ながらそうならない可能性もあったという悲観的な想像をしてしまい、さらに悩んでいる。
アニメにおいて女性スタッフが前面に出ることはインターネットにおける視聴者の反応が良くなく、さらに社会的メッセージが語られることも反発がしばしばある。教育的な期待がされるはずの女児向けアニメでも例外ではなく、上述のように『HUGっと!プリキュア』では注目のかわりに反発されている状況をあちこちで見聞きした。
もしパネルディスカッションに女性スタッフが登壇すれば、意義のある光景だろうとは思うが、年長の男性が講演するよりも激しい反発が起こった可能性があったのではないか、などと考えている。もちろん杞憂であってほしいし、杞憂な社会をつくるべきだと思うが……

*1:ただし単純に女性が参加すればいいかというと、それはそれで違うだろう。そもそも「WAW!」は安倍政権がかかげる「女性が輝く社会」のために立ちあげられた国際会議であり、社会へ奉仕させるために女性を応援してるという背景は留意せざるをえない。

『カメラを止めるな!』

廃墟でおこなわれているゾンビ映画の撮影風景。それを映しつづけるカメラに少しずつ異変が入りこむ。そしてついに本物のゾンビが現れたかと思いきや……


金曜ロードSHOW!で3月8日に完全ノーカットで放送された作品を録画で視聴。ワンカット撮影をCMで寸断しなかった判断が素晴らしかった。
超話題作「カメラを止めるな!」放送日決定!3月8日(金)テレビ初放送!完全ノーカット!|金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ

製作費300万円と超低予算のインディーズ映画として、都内のミニシアター2館で上映がスタート。そこからSNSなどで瞬く間に口コミが拡がり、さらに芸能人や著名人からも大絶賛の嵐を受け、興行収入は30億円を突破、累計350館以上で上映されるなど社会現象を巻き起こし、異例の大ヒットを記録しました。

番組冒頭に監督や出演者が登場。序盤のワンカット長回し撮影をアピールしつつ、その後に新展開があることが予告される。そうでなくても、大ヒットした話題作であるため、ほぼ作品コンセプトに見当がついた状態で視聴した。
しかし作品コンセプトに見当をつけた上でなお、ちゃんと映画として楽しめる作品だった。番組冒頭で出演者が前半ワンカットを我慢して見てほしいと視聴者へたのんでいて、ところどころ実際につたなさを感じたりはしたが、劇中劇のホラー映画としての完成度からして悪くない。


ゾンビ映画というジャンルそのものを作りあげた巨匠によるフェイクドキュメンタリー*1をはじめ、これまでいろいろなPOVホラーを見てきたが、劇中劇『ONE CUT OF THE DEAD』の完成度は上位に入る。
劇中台詞のとおり舞台となる廃墟には雰囲気があるし、廃墟から森へ逃げたり小屋に隠れたりと、ワンシーンなりに情景が変化に富んでいる。人体切断などの特殊メイクも、きちんと実物大のそれを複数用意して、低予算とは感じさせない。ワンカット撮影そのものも、カメラが階段を昇り降りしたりして単調な構図になることをさけている。
尺が短いおかげでゾンビの襲撃が多くてダレないし、劇中劇中劇の男女のやりとりが劇中劇の男女のやりとりで反復されるという構成も美しい。
そして、それなりに劇中劇がよくできているからこそ、つたない部分が印象的に浮かびあがり、その種明かしを再現していく後半に納得感があった。


特にワンカット長回し撮影で問題になりがちな、カメラが誰の視点かという謎解きが良かった。
主観視点であれば、先述のフェイクドキュメンタリーのように撮影者を特異な性格にしなければ、異変に際して撮影を続ける動機が説明できない。客観視点であれば、カメラワークの制限によって撮影者の存在が浮かびあがり、作り物であることを感じやすくなってしまう。
そんな原理的な矛盾に加えて、この映画では劇中人物がカメラを意識している描写があるのに、カメラが存在しないかのようにゾンビがふるまう。
そんな矛盾を、バカバカしい舞台裏で説明していく。しかも主人公たる映画監督の作家としての信念に重なることで、感動的なドラマにも結びつく。
その謎解きの全てが、タイトルにもなった「カメラを止めるな!」という劇中台詞に集約される構造も美しい。

*1:ゾンビ映画の撮影から実際のゾンビ襲撃が始まる導入は似ているが、展開や趣向はまったくの別物。『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』 - 法華狼の日記

『相棒 Season17』第20話 新世界より

ゲノム編集にかかわる研究者が殺された。周辺には、正体不明の若い男女ふたりが出没し、反文明をかかげる男ふたりの影もちらつく。
やがて新たな死者が出つつも、研究によって作りだされたウイルスで世界が終わるという予言とともに事態が進行していくことに……


今期の最終回として2時間超の特別枠で放映。金井寛脚本らしいSF的な発想を延長して、ある種類のトリックを刑事ドラマで成立させたことに感心した。
予告ではいつものスペシャルらしく無理して事件の規模を拡大したように感じて、語られる設定からは社会派テーマ回のようでもあると感じられたが、実際は本格ミステリらしいアイデアで楽しませる娯楽回だった。
社会派テーマにしては反文明論者の描写がカルト一辺倒で、もう少し対抗言論にも説得力を与えるべきではないかと思ったが、後半の飛躍から逆算すると、まずありきたりなカルト描写から段階を踏もうとしたのだと理解できる。全体のコンセプトからはずれている外国工作員によるテロ関与も、ミスディレクションと思えば許せる。


まず、記憶喪失と主張する男女が予言者のようにふるまい、その名前が反文明小説の主人公からとられているという前半から、実際に男女が未来人だと杉下が考える後半で一挙に飛躍。
そのまま日本のドラマとしては大規模なウイルステロ描写に、時間を超越して孤立した若者の冒険サスペンスと、文明の興亡というポストアポカリポスSFが展開される……

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『オペレーション・クロマイト』

南進した朝鮮人民軍が半島の大半を占領した1950年、連合軍司令官として東京にいたマッカーサーは大規模な上陸作戦を計画する。
その作戦に必要な情報を収集するため、諜報部隊が朝鮮人民軍になりすまして潜入、敵将校と接触することになったが……


朝鮮戦争で韓国と国連軍が反転攻勢するきっかけとなった仁川上陸作戦にもとづく大作アクション。『戦火の中へ』*1イ・ジェハン監督による2016年の韓国映画

オペレーション・クロマイト [DVD]

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しかし近年の韓国映画としてはビックリするほど残念なところがある作品で、それが逆に興味深いくらいだった。


念のため、アクションサスペンスとして基本的にはよくできた娯楽ではある。
上陸作戦よりも前段階の潜入作戦がメインだが、ぎりぎりの騙しあいや戦闘がつめこまれて飽きさせないし、クライマックスでは陸海空にわたる仁川上陸もたっぷり描写され、映像は充実している。

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はげしい銃撃戦だけで終わらず、血みどろのまま韓国映画らしい格闘戦へつなげたりと工夫しているのが良い。それほど広くなさそうなオープンセットをうまく使って当時の街並みをカーチェイスする場面も楽しい。
VFXについては、全体として水飛沫の合成っぽさだけは残念。しかし兵器類はCGっぽいなりにクオリティは悪くないし、マッカーサーがいる日本の風景はこれみよがしでない自然な描写に感心した。
リーアム・ニーソン演じるマッカーサーも、カメオ出演とは感じさせない存在感が充分ある。潜入作戦の進展と呼応するように日本から最前線まで移動して、ひとつの場所だけで撮影をすませたかのような安さを感じさせないし、日本の司令部や軍艦内のセットもしっかり作られている。
上陸作戦は基本的に3DCGばかりで表現されているが、上陸作戦を助けるため主人公が敵陣に乗りこみ、近距離での戦車対戦車*2まで展開するサービスぶりで、ちゃんと最後までアクションに身体性を感じさせる。


物語についても、大規模な作戦を成功させるために敵地へ潜入するサスペンスの定型を押さえていて、新鮮味はないが楽しませようとする意図はわかる。
どのような敵にも対等な人格を描こうとしてきた韓国映画の名作と違って、どこまでも敵将校を嫌らしく悪魔化しているが、娯楽としてひとつの手法ではあるだろう。喜び組のように若い女性をはべらせる悪役ぶりはわかりやすいし、主人公を疑いつづける勘の良さも緊迫感を高める。占領地の住民を公開処刑して高いところに吊るしている描写は、オープンセットに生々しさをもたらす演出として良かった。


この敵将校が問題なのは、表面の人懐っこさに対比される裏面の嗜虐性が、物語の都合にあわせて簡単に変わるところだ。主人公たち潜入部隊にしてやられ、対処できなかった部下を怒りのまま銃殺したかと思えば、スパイの男を公開処刑したところへ娘がきた時には理由もなく見逃す。殺された父のそばで娘を泣かせて観客の同情をさそう描写のために、主人公をおびきだすための公開処刑にのこのこやってきた人間を無視するという、心理的に矛盾した行動をとらせたわけだ。
しかもその娘は、逃亡する主人公たちに連れまわされて反発しており、しかし公開処刑される父へ無謀にも会おうという行動が主人公に許されて、協力するように心変わりする。つまり主人公に新しい仲間ができる局面で御都合主義がつかわれたため、ことさら悪目立ちしている。
これがもっと敵味方の人格を複雑に描いてきた物語なら、残酷な敵の気まぐれな良心という解釈もできたかもしれない。真面目に社会問題にとりくんだ作品は、そういう展開で危機を脱することが良いアクセントになることも少なくない。同時期につくられた別の史実を題材にした韓国映画*3も、まったく説明のない敵の見逃しがクライマックスにあり、むしろ感動を生みだしていた。それが敵を戯画的に悪魔化してきた娯楽になると、ただの御都合主義としか感じられないし、そのままひとつの危機を脱してしまっては以降の危機感が弱まってしまう。
たとえば敵将校がやってきた娘を捕縛して主人公が救出する新たなアクションを描いたり、主人公が全身全霊をかけて娘をひきとめるドラマを説得的に描けば、せめて印象は違ってたろうが。


敵将校が悪魔化されているように、マッカーサーはどこまでも美化されている。歴史上の著名人が劇映画で活躍する時には珍しくないことなので、ここだけなら目をつぶれる。
引っかかりをおぼえるのは、マッカーサーら連合軍側がたびたび信仰にもとづく発言をしていること。宗教を弾圧する共産主義国家との対立構図を意図していることはわかる。実際に敵将校も無神論的な台詞で他者の信心を軽視する。
しかし仁川上陸作戦を題材にした大作映画で、あまりに主人公側が神をたたえる場面が多いと、どうしても過去に統一協会がつくったポンコツ映画『仁川』を連想してしまう。
2006-03-10

 1950年、北朝鮮軍が突然南下し、いっきに朝鮮半島の8割を占領した。これに対して国連軍を指揮するマッカーサー司令官は敵の腹部にあたるインチョン(仁川)に捨て身の上陸急襲作戦を敢行。北朝鮮軍を北に押し戻した。これがどうして「神の真理を広める映画」なの? 文ちゃんは言う。「きっとマッカーサーは神のお告げを聞いたに違いない」(だから、なんでそうなるのってばよー?)
 主役のアーカンソー生まれのマッカーサー役にはなぜかシェイクスピア俳優のローレンス・オリヴィエがギャラ1億円で雇われた、

 クライマックス、マッカーサーは仁川に捨て身の突入を決意、ベンと斉藤サンとその娘はニンジャみたいな格好で、上陸地点にある灯台を急襲、世界のミフネ、マシンガン乱射して大活躍!

同じ史実にもとづくとはいえ、マッカーサーは外国の名優を起用して背景に置き、末端の主人公が敵地へ潜入して上陸作戦を助けるクライマックスという構成も同じだ。
カルト宗教と差別化するには、思想の多様性を描けばいいのだが……『オペレーション・クロマイト』の主人公は敵軍のふりができるくらい敵情に通じていて、もともと共産主義者だったという過去も言及される。しかしそこから思想の自由を描いたりはせず、ひたすら敵を全否定するだけ。たとえば共産主義国家に幻滅しつつ共産主義の理想そのものを否定しないような台詞があれば、印象は違ったろうに。
いくら反共産主義ナショナリズムを鼓舞する題材であっても、カルト宗教による映画と同じ世界観を、まさか現在の韓国映画で見られるとは思わなかった。

*1:『戦火の中へ』 - 法華狼の日記

*2:一方は自走砲

*3:少しネタバレになるのでタイトルは伏せるが、無駄なカーチェイスが無駄にすごかった作品とだけ書いておく。