参加したのはパネルディスカッション「多様性を育てるメディアとコンテンツ」で、プロデューサーが立ちあげた1作目から多様性が描かれていたことを受けてのことだという。
プリキュア:“生みの親”鷲尾Pが国際女性会議に 多様性語る - MANTANWEB(まんたんウェブ)
鷲尾プロデューサーは第1弾「ふたりはプリキュア」について「当時、子供向けアニメは、女の子らしくあることがテーマの作品が多かった。それは違うんじゃないか?と西尾大介監督と話し合っていた」と説明した。
近年の西尾大介シリーズディレクターのコメントでも、登校する黒人少女の絵画「The Problem We All Live With」が引用されたりして、たしかに制作側も意識していたことがわかる。
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『ふたりはプリキュア』の根底にあるのは「日常の中で勇気を出す話」です。たとえばノーマン・ロックウェルの絵画「The Problem We All Live With」(注)のあの黒人の女の子。「学校に行く」というただそのことが、彼女にとってどれほど勇気がいったことか! もちろん、そこまで政治的・歴史的なテーマはなくとも、僕は観た人一人一人が小さな勇気の火種を持ってもらえるような作品を作りたかった。
注=「The Problem We All Live With(共有すべき問題)」
アメリカ全体が人種差別を当然としていた1960年代の絵画。白いワンピースを着た黒人の小学生の女の子がスーツの男性=連邦保安官に囲まれ、たった独りで登校する姿を描いた作品だ。iCanvasART The Problem We All Live (Ruby Bridges) Canvas Print 18 x 12 [並行輸入品]
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今期の『HUGっと!プリキュア』に対して、シリーズで特異的に社会問題をとりこんだ作品として反発するような意見も散見されるが、実際はシリーズ初代から政治的・歴史的な文脈が埋めこまれていたわけだ。
しかし鷲尾PDも西尾SDも男性であり、女性自身が主体性をもった作品とはいいづらいし、女性がならぶディスカッションに男性が参加している絵面も過渡期の印象を受ける*1。
念のため、シリーズを通してみれば、女性がメインスタッフとして参加した作品も多い。
キャラクターデザインは約半数の作品で女性がつとめ、シナリオをコントロールするシリーズ構成も女性がつとめた作品が複数ある。
監督は現在までTVアニメでは男性しかいないが、劇場版では複数の女性演出家がキャリアをつむ登竜門となった感すらある。
日本の女性アニメ監督 - 法華狼の日記
1980年代まで数人しかいなかったことも事実だが、2000年以降の作品が目立つので、それなりに状況が変わりつつあることも確実だろう。
近年のものを見ると、東映女児向けアニメで劇場版を任されるケースと、新興アニメ会社で若手監督として起用されるケースが目立つかな。
それでは、過去のメインスタッフだった女性がパネルディスカッションに登壇すれば良かったかというと、残念ながらそうならない可能性もあったという悲観的な想像をしてしまい、さらに悩んでいる。
アニメにおいて女性スタッフが前面に出ることはインターネットにおける視聴者の反応が良くなく、さらに社会的メッセージが語られることも反発がしばしばある。教育的な期待がされるはずの女児向けアニメでも例外ではなく、上述のように『HUGっと!プリキュア』では注目のかわりに反発されている状況をあちこちで見聞きした。
もしパネルディスカッションに女性スタッフが登壇すれば、意義のある光景だろうとは思うが、年長の男性が講演するよりも激しい反発が起こった可能性があったのではないか、などと考えている。もちろん杞憂であってほしいし、杞憂な社会をつくるべきだと思うが……
*1:ただし単純に女性が参加すればいいかというと、それはそれで違うだろう。そもそも「WAW!」は安倍政権がかかげる「女性が輝く社会」のために立ちあげられた国際会議であり、社会へ奉仕させるために女性を応援してるという背景は留意せざるをえない。